小骨を飲み込む

本野李花

第1話

「魚の小骨って飲み込みますか?吐き出しますか?」

営業部の浦野さんが明らかに酔っているであろう様子で聞いてきた。

「んー、小骨ならほかの身と一緒に食べちゃいます、私」

自分でも猫なで声で答えているのが分かって、我ながら女って感じ出してるな私、と思う。正直私は目の前のこの男、浦野武史さんの事が好きかどうか、付き合いたいかどうかと聞かれると返答に悩んでしまう。それでも、小骨を飲み込んでしまうと答えた私を見て眉間に皺を寄せるこの男に彼女と呼べるような相手ができたら、私は多分、一人前に嫉妬する。

「えー!小骨って、喉を通る時不快感を覚えませんか?俺、ああいうイガイガした感じ、好きじゃないです」

そうやって酔った時に変なジェスチャーを使いながら喋る彼の癖を、私は最近発見した。

「ふふ、なんですかその変な手の動き。でも私だって不快な感じはしますよ。ただ、あんな小さな骨を一本一本取るのも疲れるじゃないですか」

「俺は、その疲れる動作をしてでも不快感は除きたいんですよね。スイカの種を間違えて噛んじゃった時すごく気持ち悪く感じませんでした?俺にとって魚の小骨って、スイカの種と同じくらい気持ち悪いんですよね、どうしても」

正直、この男が小骨を取り除こうが一緒に飲み込もうがどちらでも構わないな、と思いながらも口角を上に引っ張って肯いた。

「でも、原田さんは大人ですね。その変な不快感も飲み込めるって事じゃないですか。目を瞑れるっていうか。それってすごく、大人です」

たかが魚の小骨を飲み込めただけで大人なのか?とツッコミを入れたくなったが、浦野さんが言っている事はあながち間違いではなかった。


 私は、都内の広告代理店の受付で派遣として働いている。中学三年の時に高校受験の影響で、ここはジャングルか?と思うくらいに教室が弱肉強食の地と化してから私は、まず元からあったのかも分からない勉強のモチベーションが消え、たいして頑張らなくても入れた私立大学に入学した。就職活動も、元々将来の事を深く考えていなかった私は態々労力を伴う道を選べず、すぐに派遣社員としてこの会社で働く事を選んだのだ。私がこの会社で浦野さんと出会うまでに時間はあまりかからなかったように思う。思う、というのも、今まで苦労という苦労をしてこなかった私はいくら受付という仕事でも多少慣れるのに時間がかかった。少なくとも最初の二、三ヶ月は他の社員と世間話に花を咲かせた記憶はない。浦野さんと初めて言葉を交わしたのはもう仕事に完全に慣れた頃で、頼まれていた資料を営業部に届けるために乗ったエレベーターで彼と出会った。彼はネイビーのストライプスーツにグレーのネクタイをしていて、黒縁のメガネに髪が少しかかっていた。同じ女性の中だとやや身長が高めの私でも高いな、と思うくらい背の高い、凛とした佇まいの男性だなという印象を抱いたのを覚えている。営業部は会社の四階にあって、彼が先に乗っていたエレベーターの四階のボタンが光っているのを確認して、私はただ何も言わず後ろの方で資料を抱えていた。すると彼が、「何階ですか」と聞いてくれたので私は、「四階なので、大丈夫です。ありがとうございます」と答えたのが、私達の最初の会話だ。

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