第13話 死にたくない
右頬に血が伝う。
目の前にいたのは、俺たちが追っていたはずの【
何故、こいつがここにいる?
俺の居場所がバレた?
ザムザは? 錦ちゃんは? みんなは無事なのか?
「クソッ……!!」
疑問が溢れ出るように脳内を埋め尽くす。
いや、こんな時こそ焦るな。落ち着いて思考しろ。見たところ、奴の着ている作業服に目立った返り血はない。あの指先のフォークで攻撃したのなら返り血くらいはつくはずだ。つまりは、二人は無事……と結論づけることもできる。
「あんたが、
「ンン……いかにも。オレこそがフォークの【
「なぜって……だって、あんたは——」
「……いや、いい。どうせ今から殺す人間の情報源など、今のオレには無用中の無用。アウトオブ眼中だ」
俺の言葉を遮った肉叉は、重ねた両手の指をフォークに変化させた。前情報から想像していた通り、合計十本の銀の三又フォークが俺を刺し殺さんと輝きを放っている。
「フハハ……見ろ、この美しさ! この輝きを! これこそが、
狂乱気味に言葉を連ねながら、肉叉は高笑いする。
殺人容疑のかかっている点からおおかた予想はしていたが、やはり彼も
携帯してきたナイフ三本を、静かに腰から引き抜く。
「……どこがいいんだよ、フォークなんて」
「教えないッ! 今のオレに同志など不要!」
刃先をこちらに向けて肉叉は言った。
この場は、俺一人で凌ぐしかないのか。
「——死ねぇえええええええええええええッッ!!」
向かってきたフォークを、反射的にナイフで弾く。
相手の持っているのは純粋な凶器だ。乾遥の時のようにはいかない。少しでも判断を間違えれば俺は死ぬ——そのことを念頭に置きつつ、俺はナイフをジャグリングの要領で回し始める。
空中に一本、両手に二本。
これは殺し合いなどではなく、俺のジャグリングのステージだ。この演戯にさえ集中してしまえば、俺には奴の癖も呼吸も次の一手も何もかもが読めるようになる。もう怖いものなどない。
「ちょこまかと——動くなァッ!!」
激昂した肉叉のフォークを寸前でかわし、片手のナイフを浮かせて今度は腰のバトン型スタンガンを引き抜いた。少々荒事になったときのために、と水無月さんが渡してくれた非常用のものだ。
スタンガンを起動し、懐に飛び込む。
そして奴の首筋めがけて——それを押し当てた。
「—————ッッ!?」
100万ボルト近い電流が肉叉の体を走る。
的確に急所に当てられた。体に与えたショックは大きいだろう。
うまくいけば、これで気絶する筈——
(……やったか?)
肉叉がゆっくりと目を閉じ、そのまま後ろへ倒れかける。
気絶して昏倒……するかと思われた、その時だった。
「——なぁ〜んてなァ!!」
肉叉が起き上がり、垂れ下げた右腕のフォークを勢いよく繰り出してきた。俺は咄嗟に回避することができず、ナイフを持った左腕でそれを受け止める——。
「
「お遊びはお終いだ、ジャグラーッ!!」
左腕に二本フォークが突き刺さったまま、俺はそのまま壁際まで押し戻される。腕に刃先が深く入り込む痛みに呻きながら、俺は落としたナイフを拾おうと足元を見回す——が、今度はこちらの首筋にフォークが押し当てられた。
演戯が、集中が、ぷつりと途切れる。
死を覚悟した。
「ふはは! 子供にしては物騒なものを振り回していたようだが……結局は、こうなれば何もできないだろう? 大人しく我が兄弟たちの餌食となり、破滅的に滅茶苦茶に、滅多刺しになるがいい!!」
「ッ……なんで、こんなことしやがる……!」
「なぜ? そんなの簡単だ! ただ今、俺の前にはお前がいる……フォークで滅多刺しにできる人間がいるッ!! 肉を突き刺すという使命を与えられたフォークが、新鮮な肉を前にして黙っていられるとでもいうのか!? ——否! そんなものはフォークではないッ!!」
相変わらず頭がおかしい。
こんなやつの話、いくら聞いたって不毛だ。ありったけの武力をもって、暴れる前に一方的に鎮圧する——こいつの場合それが最適解だったのだ。もっとも、俺一人の力ではそんなことは毛頭不可能だったが。
(畜生……!!)
思い返せば——三宅晴道の件だって、たまたま揺さぶりが聞いただけだ。俺一人の武力でなんとかすることは不可能だった。素の運動神経も良くはなく、ましてや戦闘センスもない俺が、こんな場でいきなり戦えるわけがない。
俺は弱い。
(俺は、死ぬのか……?)
嫌だ。そんなの嫌だ。
怖い。死ぬのが怖い。
死にたくない。
「——死なないよ」
その時、聞き慣れた声がした。
俺が顔を上げたと同時、肉叉の左腕に緑色の蛇の尾が絡みつき、動きを封じる。途方もない安堵に包まれ、思わず涙しそうになってしまった。
「錦……ちゃん?」
「——ッ、邪魔だ! 離れろッ!!」
肉叉が俺の左手からフォークを引き抜き、今度は錦ちゃんの尾めがけて振りかざす。——が、錦ちゃんはそこで「変化」を解き、低姿勢から肉叉の顔面を強かに蹴り飛ばした。
「——がッ!?」
肉叉を崩した彼女のトリッキーな動きに、思わず舌を巻く。普段からは想像もできない俊敏さで俺の前に立った錦ちゃんは、血の滴る俺の左腕を一瞥して、わずかに顔を曇らせた。
「ゆうすけ、それ……平気?」
「……平気ではないけど、俺は、もう——」
「大丈夫。さっき……あの人、呼んできたから」
あの人?と訊ねる間もなく、モニタールームの扉がぶち破られる。
果たしてそこから登場したのは、施設内の巡回にあたっていたはずの
「——よく耐えた、ジャグラー!!」
「……っ! 次から次へと、何者なのだ貴様らはッ!!」
錯乱した肉叉がフォークと共に突貫する。
ザムザはそれを軽い動作でかわすと、彼の両腕を力強く掴んで拘束した。二人の体格は同等だが、しっかり鍛えられている分純粋なパワーはザムザの方が上だろう。
「俺たちが何者か、って訊いたな?」
「……?」
「俺はこう見えて慈悲深い性分でね、お節介だろうが教えてやるよ。こいつらはお前と違って……自分たちの中毒をコントロールできる『理性ある狂人集団』——〈
作業服を脱ぎ去ったザムザの背。
そこから一本、二本と新たな腕が出現する。それらはあっという間に数えきれないほどの本数となり、彼が手にしていた木彫りの仏像——「千手観音」を彷彿とさせる姿となった。
「——俺は千手観音の【
ザムザが威勢よく啖呵を切る。
彼による肉叉の鎮圧は、一瞬にして遂行された。
◇◇◇
時刻は17時過ぎ。
無事に肉叉確保の任務が終了し、俺と錦ちゃんは警視庁に戻っていた。任務完了……とはいえ、ほとんどザムザ一人で解決してしまったようなものであることは言うまでもない。
それに比べて俺は、何もできなかった。
錦ちゃんやザムザの助けがなければ、死んでいた。
「俺は……」
これほどまでに、自分の無能さを実感したことはない。とはいえ、他の人にこんなことを話しても「初任務だから仕方ない」と慰められるだけだろう。俺は今、「弱くて当然」の人材としてここにいるのだから。
と、ソファに沈んでいた俺に、
「——あ! 操神くんお疲れ〜!」
缶コーヒーを二つ持った金髪の少女が、屈託のない笑みを浮かべて歩み寄ってくる。いつものツーサイドアップにされた髪は解かれ、艶やかな長髪がなびいていた。
「……? 天喰……か?」
「そうだけど……何、その間は」
「いや、個性が全部死んでるからわかりづらくて」
「ひどくない!?」
だが正直、いつもの厨二病口調とツーサイドアップがなければ「天喰夜宵」は成立しないような気がする。個性が死んでるは言い過ぎかもしれないが。
「さっきの任務で髪留めが二個とも切れちゃったんだよ〜。あ、これ差し入れね」
「どうも」
缶コーヒーを受け取り、プルタブを起こす。
水無月さんの言っていた内容の通りなら、天喰は「ウニの【
「その怪我、大丈夫なの?」
「動かすと痛いな。けど生活に支障はない」
包帯の巻かれた俺の左腕を見る天喰は、傷一つ負っていない。
天喰も、ザムザと同じプロの仕事人なのだろう。
「……強いんだな。天喰は」
「強い……? フフッ、まあそうだな。現代最強にして稀代の天才幻想魔術師である私、天喰ナイトフォールにかかればあの程度の任務は楽しょ——」
「——みんな、集まってるかい?」
天喰がいつものテンションに戻りかけたところで、水無月さんが階段から降りてきた。向かいのソファで寝ていた錦ちゃんもはっと目を覚ます。
「よしよし、みんないるね」
「何かお話ですか? 班長」
「うん。四日後の25日には私たちも謹慎が解けて通常業務に戻るから、忙しくないうちに今後の予定を伝えておこうと思ってね」
今後の予定、ときいて思わず気を引き締めた。
また俺にも次の任務があるのなら、それまでに少しでも役に立てるようになっておかなければならない。もうあんなふうに足を引っ張らないためにも——
「第二班との協議の結果、25日以降の一週間は我々本職の刑事だけで動くことになった。君たちはその間、丸々一週間お休みだね」
……あれ?
「その代わりに——君たちには25日から、第二班との『合同訓練合宿』に参加してもらうよ」
◇◇◇
四日後。
「ゴーガツだぁーーーーーー!!!」
合宿の会場——もとい訓練場に着いたところで、天喰が嬉しそうに叫ぶ。俺はわけも分からぬまま乗富さんの車でここまで来てしまったのだが、そろそろ聞いておかなければいけないことがある。
「その……『ゴーガツ』って何だよ、天喰」
「? “合同合宿”の略だけど?」
「んなことはわかってる! 俺が訊いてんのは——」
「——私が説明するわ」
不毛になりかけた俺たちの会話に割り込んできたのは、薄い桃色の髪をした少女だった。真っ白なワンピースに身を包んでおり、全体的に穏やかでおっとりとした雰囲気のある人だ。
「合同訓練合宿っていうのはね……公安部公安第五課に協力者として所属している【
「ああ……って、俺の名前」
「ふふ、同じ〈
柔和な笑みを浮かべる伊織さんの手を、とりあえず握り返した。俺たち水無月班の他にもう一つ部隊があると聞いていたが、彼女はそちらの所属なのだろうか。
というか、物腰が丁寧すぎて逆に怖い。
「さて、合宿場にも着いたことだし……寮に荷物を置きに行きましょうか」
「賛成ー!」
「それと、操神くん」
「はい?」
「操神くんは今回、うちの炭酸バカ——いえ、少々性格と素行に難のあるファンタスティックなお馬鹿さんと相部屋になるわ。色々大変でしょうけど、仲良くしてあげてね。くれぐれも喧嘩なんて起こさないように……」
フォローしてるのかしてないのか、どちらとも言えないことを伝えられて不安になる。だがひとまず、会ってみないことには相性も何もわからないだろう。
「……と、ここが203号室か」
訓練場に併設された寮にて、渡された鍵と同じ番号の部屋を見つけた。どうやら相手は先に着いているらしい。一週間をともに過ごすルームメイトだ、どんな種類の狂人なのか気になって仕方がない。
(どんな奴だか知らないが……こっちは狂人にはもう慣れてるんだ)
自分を奮い立たせ、それでも少し心構えをして——俺はおそるおそる扉を開く。すると、そこには……
「——おっ、お前もこの部屋? よろしくな!」
ベッドであぐらをかいていた少年は、1.5Lサイズのサイダーをがぶ飲みしていた。床に並ぶのは、無数の炭酸飲料。とても一人で飲みきれる量じゃない。
「……おう」
マジか、こいつ。
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