絶望のどん底で

第3話

冷たくて固い地面の感覚がする。


俺は薄暗い路地で寝ていた。


嫌な夢を見たなと思いながら日の入らないこの場所で目を覚まそうとした。目を開けようとしたその瞬間だった。腹部に鈍い痛みが走った。その衝撃で一気に目が覚める。すぐに状況が理解できず、寝ていたこともあって視界がぼやけていた。一人の男が俺を罵る声が聞こえる。



「七草《ななくさ》、こんなところで寝るなよ。邪魔だろう?ただでさえ生きている意味なんか無いのに」


「…………」


七草とは俺の名前だ。七草 玄兎《ななくさ げんと》、本当の名前なのかすら怪しい。


でも、呼び方がないのでそう呼ばれている。腹部を押さえてそいつを見ることしか出来ない。


俺はこの世界では忌み嫌われていて、生きることすらも許されないのだ。


それに対し、目の前の男はここらじゃ有名な家の息子らしい。

貴族だとか言っていた気がする。そんな人に俺が何かをしたら、本気で首が飛ぶだろうなと考えながらも耐えることしか出来ないのが辛い。


「お前みたいな異端で傷もついている奴、なんで生きているのだろうな」


嘲笑いながらそいつは言った。俺は物心ついた頃には左頬に傷を負っておりその跡が残っているのだ。


この状態では奴隷にも働き手にもなれず生きている価値がないと言われた。当然、家も仕事も食べるものもなく、何とか命を保っている状態だった。そんな日々が続いている。


 腹部の痛みも少しだけ落ち着いてきたなと思ったときだった。近くにある広場でなにやら騒いでいる声がする。


争いなのどの声ではなく、パレードのような音だった。先ほどまで俺のことを殴っていた男は俺よりも広場の方が面白いと感じたようでそちらに走っていった。


 今日はましな方だなと思いながら彼の走っていった方へ目をやる。ここからでは広場で何をしているかは見えない。少なくとも俺には関係がないだろうと考えていたときだった。誰かが歩いてきている足音がする。暗闇から姿を表したのは一人の少女だった。



「七草さん!」



きれいなブロンドの髪を二つ結びにした少女が駆け寄ってくる。名前は桜田 陽和《さくらだ ひより》だ。


「ああ、おはよう」


「おはようなんてのんきに言っている場合じゃないでしょう!ボロボロじゃないですか」


そう言いながら彼女は壁にもたれ掛かっている俺の体を見ていた。まあ、身体中痛いからボロボロなのかもしれない。陽和は俺が着ている服の袖を容赦なくめくった。


「真っ青じゃないですか。一昨日に来た時はなんともないって言ってたのに」


「いや、これくらいなんとも……」


そう言いかけたが彼女は俺の腕を自分自身の肩に掛けて立ち上がらせた。いくら、ちゃんとした食事をしていないと言えど女が男の体を支えるなんて大変だろうと思う。しかし、それを断る力すらも俺にはなかった。


 意識がはっきりしないなかで歩いていたので気がついたときには陽和の家にいた。陽和がいなかったら俺は死んでいたかもしれない。なぜならこのように時折、怪我の治療をしてくれていて食事も何度も分け与えてもらったからだ。


 陽和が俺の腕を触りながら骨が折れていないかを確認していく。桜田の家はこの辺りでは有名な医者で陽和はその家の娘だ。


「折れてはいないみたいですね。お腹の方は氷で少しの間、冷やしておいてください」


そう言って氷に布を巻いたものをくれた。そして、俺は少しだけ気になっていたことを尋ねる。


「なんで、俺を助けてくれるんだ?あの男に目をつけられるかもしれないし、利益はないだろ?」


陽和はため息をついて呆れたように言った。


「医者は誰でも分け隔てなく命を助けるのが使命です。私はそうなりたいのに七草さんを助けない理由がないでしょう。それに、あの男については気を付けているので大丈夫です」


自信を持って彼女は言った。陽和がこんなにも優しくて暖かいから俺は生きていこうと思えたのかもしれない。そう、思ってしまう。しかし、あの男が俺のことを助けている人物がいるなんて知ってしまったらと思うと恐ろしいなと思う。


 「ありがとう。助かった」


そう言って俺は椅子から立ち上がり玄関へと向かう。あんまり長くいるのも迷惑だろう。それこそあの男が来たら終わりだ。


「ちょっと待ってください。そんな体でどうするんですか」


そう言っていたが構わずに俺はドアを開けて陽和の家をあとにした。


 先程の広場での騒ぎはなんだったのかとふらふらと歩いていく。特にやることもないのでただの気まぐれだ。


レンガ造りの町並みに、綺麗な服を着た人が蔑んだ目をして俺を見つめる。もう、何年もこんな日々が続いているため慣れてしまった。そんな異常さを感じながらも広場に到着した。中央では白い噴水があり、円のように街頭が並んでいる。


しかし、先程の音の正体が何なのかは分からなかった。周りの人に声をかけるわけにもいかず仕方なく帰る。家があるわけでもない。だから段ボールなどで雨風をしのげるほどの場所だ。こんな表通りに居ては気分も悪いし、誰に絡まれるか分かったもんじゃない。足早にそこに向かう。


 そのときだった。広場を離れて、引き返そうとしたとき、男の人とぶつかってしまった。


「すいません」


慌てて謝る。俺の立場はこの世界では最弱と言える。何を言われるか分かったものじゃない。だから、すぐに謝ったのだが、構わずに男は走っていってしまった。


さすがに驚いたが、何もなかったのならそれでいい。しかし、周りも慌ただしく騒いでた。俺にぶつかったことに気をかけないぐらい焦っていたのだろう。そして、男が走っていった方を見る。そこには赤い火柱が上がっていた。黒い煙が上がり、熱気が伝わってくる。人混みを掻き分けて進み、目の前まできた。




そこは、先程までいた桜田陽和の家だった。

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