旅立ち

パーティー会場にて

 黄金色の水面があった。


 そこへ滝のように追加の液体が注ぎこまれる。水面と液体が接した部分は沸き立ち、雪のように白い泡を生じた。透明な素材で作られた世界の端までを泡はおおいつくし、そのまま上方へと伸びていく。空をも征服せんとばかりに。


「かんぱーい!」


 八的がビールを注いだグラスを高々と掲げて叫んだ。大勢の声が復唱する。


 ホテルのパーティー会場は広く、数十人の人間と数台の箱型ロボットが集まっても余裕があった。

 八的の背後には「大勝利!」と書かれた横断幕が下げられている。


「えー、今回は無事に職務を完遂できたということで、こうやってお祝いできることを心より嬉しく思っております。これもひとえに関係各所の皆さまのご尽力のたまものと……」


 ひとくちあおったグラスを持って、八的のあいさつに聞き入る人々。スーツ姿のSSRI職員もいれば、リーグ・オブ・フォールンのメンバーもいる。軍服姿の男はおそらくA.N.C.H.O.R.の司令官だろう。日本式のやり方に慣れていないようで、少し居心地が悪そうだ。鉄塊組のテッペイはじっとしていられない性分なのか、クローラを小刻みに動かしている。イッテツにたしなめられて動くのをやめた。


 学生服のレイカもその場にいた。参加するかどうか迷ったが、招待に応じることにした。ウーロン茶入りのグラスを口につける。

 参加者の中にはビュッフェ形式で食べものが盛られたテーブルにちらちらと視線を送るものもいたが、レイカはあまり食欲をそそられなかった。


 あいさつが終わった。参加者がめいめいの好きな食べものを取りに行く。レイカはシンと話していた八的に歩み寄る。

 八的は誰かと陽気に話しているようだ。


「いやー、ここからが隠蔽班の腕の見せ所ってやつですな! 御若おわかさんがもうバシッと決めて何もかもなかったことにしてくださる! これは楽しみだ! ははは」


 相手は心底うんざりした顔で空のグラスを見つめている。レイカはその顔に見覚えがあった。鏡の事件で学校に呼ばれたとき、八的と話していた女性だ。

 御若が言う。


「わたしだけ……わたしたちだけじゃないですよ。これは国際プロジェクトで……」


 八的が近くのテーブルからビール瓶を持ってきて、御若をさえぎった。


「まあまあ一杯どうぞ! 明日から大変でしょうから、英気を養わないと!」


 重圧から解放され、屈託のない笑みを浮かべる八的と、これからの重責に押しつぶされそうな御若。なんとも強い対比だとレイカは思う。


 追加のビールを一気にあおる御若を見つつ、レイカは八的に聞いた。


「シズクは来ますか?」


 八的の浮かべていた笑みが影を潜める。


「来ないそうだ。さっき断りの連絡があった。きみのところに連絡は?」

「なかったです」

「そうか……」


 そこで八的は言葉を切った。思い当たるところがあるらしい。


「もしかすると」

「遅れましたー!」


 見覚えのある姿が会場に現れた。

 レイカは両手で胸を押さえ、これが夢や幻覚でないことを強く願った。

 あれこそ、彼女がずっと見たかった姿。いや彼女だけではない。シズクもそうだ、とレイカは内心で訂正する。


 制服を着たイクトだ。走ってきたらしく、ひざに手を置いて息を荒げている。


「イクトくん!」


 レイカがイクトに駆け寄り、思いきり抱きしめた。


「あっ、え……? えっと」

「あっ」


 動揺して何も言えなくなっているイクトに気づき、レイカは彼を解放した。


「ごめん、つい。またやっちゃった」

「いや、いいんだ。うん」


 イクトはこくこくと小刻みにうなずく。顔が赤いし、ひたいには汗をかいている。

 ああそうだ、これでこそ彼だ、とレイカは微笑んだ。

 ちょっと落ち着いたあたりでイクトが言う。


「髪の色変わったね?」

「うん」

「似合ってる」

「ありがとう」


 ぎこちない会話だ。半日前まで死んでいた人間と、どう話したものだろうか。



「そっか、シズク来てないんだ」


 会場の外の廊下。

 レイカとイクトは壁に背中をつけて立っている。


 イクトがため息をついた。


「うーん……そうか。あいつ思い詰めてないといいけど」

「あたしのせいかも」


 レイカが言った。


「イクトくんが死んじゃったとき……死んじゃったと思ったとき、あたし、シズクをすごく責めちゃったの。だから、あたしに会いたくないのかも」

「それは大丈夫だと思うよ」


 思いがけずきっぱりと言い切られて、レイカは驚いてイクトを見る。


「あいつはなんていうか、そういうの気にしないからさ。それに謝ったんでしょ?」

  

 レイカがうなずくと、イクトは笑って言う。


「じゃ、もうその件は終わり」

「じゃあ……違うのかな」


 物思いに沈む。

 その中で、記憶の端の方へ避けていた怒りが吹き上がってきた。


「でもさ! あんなのわかるわけなくない? ゲームの敵キャラに回復アイテムを使えばいいなんてさ。しかも目の前に倒れてる敵キャラがイクトくんだなんて、わからないよ普通!」


 苦笑いでイクトは首を振る。


「気づいてくれてよかった。そうでなきゃ俺も月で永久に保管されてたかも」

「あのまま誰かが電源切ってたらどうなってんたんだろ?」


 ふいに浮かんだ疑問をそのまま口にしたが、レイカはすぐに後悔した。イクトが青い顔で硬直してしまったからだ。

 レイカはあわてて両手を振る。先ほどの発言が宙に浮かんでいて、それをかき消しているように。


「ま、まあ、そうならなくてよかったよね! ははは」

「そ、そう! 結果オーライってことで! ははは」


 ふたりで乾いた笑い声を上げる。


「あ、待てよ」


 イクトが笑いを中断して言った。


「もしかすると、あそこにいるかも」

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