救出

「勝利だ! 勝利だ! 勝利だ!」


 勝ちどきが廊下の遠くから聞こえてくる中、八的はとある扉の横にあるスイッチを押した。するりと開いた扉の向こうには闇。まるで宇宙に続いているかのような真っ黒の空間だ。彼がおっかなびっくり床を踏むと、床はそこにあった。

 一、二歩内部へ入る。なじみのある声が出むかえた。


「あなたは……」


 八的の目の前に輝く四角形が出現した。透明パネルの向こうにいる人物が動いたことで照明が作動したようだ。その中の人物に対して、彼は駆け寄る。


「シズク!」


 それはシズクであった。赤褐色の体節を立方体の床につけてうつぶせになっている。顔だけをようやく持ち上げて、黒い複眼で八的のほうを見ていた。


 八的は真っ黒な床を蹴って、銀色の立方体へ駆け寄った。透明パネルに手を置いて、スライドドアを開こうとする。だが動かない。

 真ちゅう色の筒をスーツの内ポケットから取り出し、ドアへ向けた。ドアと天井の境界から火花が散る。ドアが開いた。


 身震いする八的。

 立方体の中は恐ろしく寒い。ずっといると凍えてしまいそうだ。人間ならまず耐えられない。


「シズク。おいシズク」


 シズクの隣にしゃがみこむ。


「電気ショックをありがとう。怒っていません」

「それはその……すまなかった。あそこでお前を捕まえておかないと、お前はミラーの部下に殺される恐れがあった」


 かすかに頭部を動かすシズク。うなずいたのか。


「大丈夫か?」

「どう見えます?」

「すまん」


 シズクの目は八的の持つテレレンチを見ているようだ。


「これは研究所から借りた。ほら。お前のだ」


 八的はシズクの氷のように冷たい手に、テレレンチをにぎらせた。シズクが弱々しく握り返す。


「立てるか?」


 シズクは質問には答えず、どこか遠くを見つめている。


「わたしは罰を受けたようなものです。自業自得」

「なんのことだ」


 しばし間が空いた。答えるかどうか迷っているように。 


「イクトさんを犠牲にした。もちろん死なせるつもりなど……」


 新たな痛みが走ったかのように、シズクは言葉を詰まらせた。

 八的はシズクをじっと見つめていたが、やがて言った。


「いや、死んではいない」


 シズクは八的を見て、またかすかにうなずいた。


「ええ。わたしの心の中に……思い出の中に生きています。ありがとう」


 八的は少し考えた。どう言えば伝わるのか。この悲しみにひたりきった生きものに。


「そうじゃないんだ。つまりだな」


 言葉を探し、やがて見つけた。


「彼は焼けなかった。ウチで保管してる」


 数秒間の沈黙ののち、シズクはがばと身体を持ち上げて八的を正面から見た。



「焼けなかったというのはどういうことです?」


 八的に肩をかつがれてコンパートメントを出ながら、シズクが八的に言った。八的が息を切らせながら答える。


「一千度で一時間焼いたのに、堺くんの身体には焦げひとつなかったらしい。よいしょっと」


 シズクは黒色の床に座らされた。なんとか上体を立てているだけの元気はある。

 八的が続ける。


「驚いて別の炉でもう一回焼いたそうだ。それでも結果は同じ。困惑した職員から火葬炉のメーカーに修理依頼があり、その文面が諜報システムに引っかかった」


 複眼の下、人間で言えばあごのあたりに曲げた指を当てるシズク。


「ですが、心肺停止だったはずですね? 医師の死亡診断がなければ火葬などするはずがない」

「もちろんだ。現在もその状態を保っている。腐敗も一切しない」


 シズクがうなだれる。


「不思議な現象ですし、おそらく特指現象でしょう。ですがそれでは死んでいる事実に変わりはない」


 八的が黙った。シズクがそちらを見ると、八的が目を丸くして彼女を見ている。


「驚いたな」

「なにがです?」

「堺くんのことになると、お前の目は見えなくなってしまうようだ」

「遠回しな表現は避けてください」


 イライラした様子でシズクが言う。なだめるように八的が両手を挙げた。


「いいか、よく考えてみてくれ。彼は心肺停止になる前、どういう状況だった?」


 思い出すのも苦痛だというように、シズクは顔をそむける。

 か細い声で言った。


「推定ですが、特指対象のゲームをプレイしていました。そこでなんらかのアクシデントがあり、射殺された状態で見つかりました」

「これは特指現象だと思うか?」

「ええ。報告書を読む限り、犯人が完全に蒸発したとしか思えない状況なので。あのゲームに原因があるのでしょう。あんな調査を頼まなければ……」


 八的がシズクの肩に手を置いた。質問を続ける。


「誰に射殺されたと思う?」

「不明です」


 首を振り、八的がもう一度問う。


「あのゲームの内容を思い出してもらえないか」

「思い出したくありません」

「頼む」


 シズクはうつむいた。どこを見るでもなく、ただ記憶を探りながら答える。


「プレイステーションのゲームです。主人公がゾンビを撃って倒すという単純な内容です」

「そうだ。で、堺くんはどうなったんだっけ?」


 数刻の間があった。

 シズクが突然、その脚で勢いよく立ち上がる。八的は危うく弾き飛ばされるところだった。

 ぶつぶつつぶやきながら、シズクが黒い床をあちこち歩き回り始める。一本の脚の調子が悪いようで、それをかばう歩き方だ。だが本人は気にならないらしい。


「ゾンビを撃つゲームをプレイしていたら、イクトさんが撃たれた。つまりゲームの主人公が撃った……そしてあのゲームには回復アイテムがあって、ゾンビにも有効……」


 シズクが八的に向けて突進してきて、その肩を強くつかんだ。


「あのゲームはどうなっていますか!」

「落ち着け! ウチで保管してる。誰にも触らせてないし電源も切ってない!」


 シズクが八的を解放する。八的はスーツに寄ったしわを直した。

 落ち着きを取り戻したシズクが言う。


「SSRIに向かいましょう」

「待ってくれ。悪いが、まず黒幕を倒したい。これから何をしでかすかわかりゃしないからな」


 黒い複眼が八的をじっと見つめる。にらみつけているのかもしれない、と八的は思った。

 彼女の気門から短く息が漏れた。


「彼を取り戻したとしても、世界が滅んでいてはどうしようもないですね。協力してくださいますか?」

「それは俺が言おうと思ってたことだ」


 八的がシズクに手を差し出した。シズクの甲殻に包まれた指が、しっかりとその手をにぎった。

 そのとたん強い揺れが起きて、ふたりはひっくり返った。

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