箱庭療法~Sandbox~

はむらび

ワンドロ お題「SF」


人間は、星から離れられない。

昔の科学者が出した結論だ。


1000年前、地球の資源が枯渇しだした時に、科学者たちが頭をひねって、それでもそう結論付けた。


結局僕たちは、1000年経ってもまだ星の上から離れられていない。



……


「……って聞きましたけど、結局のところどういう理由なんです?」


僕は「彼女」に尋ねた。


彼女は、僕の家庭教師(らしきもの)をしている。

宇宙工学の研究をしているらしいが、なにぶん稼ぎが薄いらしい。

だから、近所の知り合いである僕の家で、ちょっとした科学談義をして小金を稼いでいるようだ。


「まず大きいのは重力だね」

「重力、ですか。重力から離れた人間は身長が伸びるとか、そういう話ですか?」

「まあ、概ねそういう話だ。個々人ならその程度で済むが、『総体』としてはもっと酷い。出生率が下がったりとか、変な病気が出たりとかね」

「何か別の力で引っ張るとかはダメなんですか?」

「遠心力とかで重力の代替をしたり、疑似人工重力を作る研究もあったし、短期的にはまあなんとかなったらしいが。それでも重力、というかもっと細かくヒッグス力場だね。これが細胞を細かく引っ張ってないと、いろいろと齟齬が発生するっていうのがわかってきたわけでね」

「重力、っていうと、まあ万有引力ですよね。重いものに引っ張られるっていう。じゃあ、例えばすごく大きい宇宙船を作って、その重さで何とかする、ってのは無理ですか?」

「資源的な問題もあるけど、理論上も難しいね。それは要は『宇宙船が星の内核並の圧力に耐えられてほしい』って話だろ?結論から言うと無理だったらしい。材料工学理論上、その1/3くらいの強度が限界だったとか。そもそもそんなもの作っても居住域は表面だけじゃないか。さすがに非効率が過ぎる」

「ですよね……」

「でも、発想はいい。」

流石私の教え子だけあるね、と彼女は鼻を鳴らした。


もっとも、彼女に勉強を教えてもらったことなどない。

こうした豆知識が半分と、分かりっこない専門分野の自慢が半分だった。


それでも彼女がうちの家庭教師をやれているのはまあ、魚の餌やりのようなちょっとした家事手伝いも含めてやってくれるから、という側面もある。


「あとは、エントロピーの問題もあるね」

「エントロピー、乱雑さ、ですか」

「放っておくとあらゆるものは『均一に』なってしまい、それを再度乱雑にするにはエネルギーを要する。極端に言えば、別の方向からエネルギーを捉えたものだと言える」

それくらいは知っている。問題は、むしろそれがこの話にどう関わるかだ。

「宇宙船でもそうなんだ。閉鎖系だからね。放っておくと、内部でエントロピーが均一化して、資源が枯渇してしまう。元素もあるし、エネルギーもあるのにね」

「え、枯渇、ですか?外部にゴミを捨ててなくても?」

「昔のSF小説なんかだと、宇宙船の中であらゆる物質循環を行う、なんていうアイデアも普遍的だったとか言うね。でも、そんなことできっこないだろう」

「いや、でも、エネルギーなんてのは余るほどあるわけですし、できないことは……」


彼女はコーヒーを啜りながら言った。コーヒーメーカーの掃除も彼女の仕事になっている。


「確かに現代においては、一家に一台核融合炉、っていうエネルギー革命が起きてはいる。でもね、『エントロピー』ってのはもう少し複雑なんだ」

「というと?」

「エネルギーがないとエントロピーは逆行できないが、エネルギーがあったとしてもエントロピーを逆回しなんかできない、ってことさ」

「?????」

「例えばだけど、無尽蔵の電力があったとて、排泄物を食材に戻せるかい?」

「それは、なんか嫌ですね」

「そういう話じゃなく、できない、んだよ。元素構成はほぼ同じでもね。……いや、研究室レベルだとやった奴がいて、かの権威あるイグノーベル賞すら取ったというが」


イグノーベル賞。太古の昔から存在する賞だ。何が「イグ」で何が「ノーベル」なのかはすでに誰も知らない。かつてはイグ賞とかノーベル賞とかもあったのかもしれないが。


「単純に、『手間』なんだ。崩れたドミノを元に戻す操作は、崩す操作よりも時間も根気もいるようなもので」

「なるほど、だから『星の資源』が要るわけなんですね」

「そうだね。物質循環、リサイクルにはどうしても限度がある。じゃあ、鉱物なりガスなりの純度の高い自然物から作り出した方が結局いいってことになる」

環境には優しくないけどね、と彼女は嗤った。


「結局のところ、私たちは星の重力に引き付けられて生きていくしかないのさ」

この星で生まれたばかりのメダカの稚魚に餌をやりながら、彼女は呟いた。



……



……



……



……



卵から孵化したばかりの稚魚には、自分の身の丈以上の卵黄がついている。

それは栄養源であり、母親の愛であり、依代でもある。


身の丈以上の黄色の太陽を腹下に着けた、歪で不安定で透明な魚。

それを、「卵黄嚢仔魚」と呼ぶ、100日足らずのモラトリアムだ。





人類は、星から離れられなかった。


だから、星を持ち運ぶことにした。


1000年前、地球の資源が枯渇しだした時に、科学者たちが頭をひねって、考え出した結論だ。



宇宙船の腹の下に、かつて木星と呼ばれていた星のかけらを1つ連れて。

重力に体を預け、母なる星から栄養を吸って。


宇宙船は、エントロピー・資源・重力を一気に解決した。



地球という卵を離れても、所詮は生まれたての稚魚にすぎず。

僕たちは、星を腹に着けた宇宙船の中で、星から離れられない我が身を憂う。



それはいずれ、人が本当の意味で星から離れられるまでの、短く長いモラトリアムだ。






卵黄嚢仔魚(Sac Fish)




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