AIと恋

 週末の朝、悠斗は札幌の街を歩いていた。

 晩秋の札幌は冷たい風が吹き、街路樹の葉は黄色や赤に色づきながらも散り始めている。地面には落ち葉が積もり、足元でカサカサと音を立てる。空はどんよりと曇っており、冬の訪れを感じさせる寒さが身にしみた。


 目的はただ一つ、菜月に謝るために「さつにゃん」秋限定キーホルダーを手に入れること。

 札幌市内のスタンプスポットには、家族連れやカップルが多く、その中で一人で行動する悠斗は少し気が引けた。


 大通公園の広場では、子供たちが走り回り、親たちが笑い合う姿が見えた。

 悠斗は手に持ったスタンプ帳を握りしめ、少し深呼吸をした。「俺には関係ない」と自分に言い聞かせながら、一つ目のスタンプを押してもらった。


 次に向かったのはテレビ塔。観光客で賑わう中、一人でスタンプを求めて歩くのは思った以上に心細かったが、悠斗は自分に言い聞かせるように前に進んだ。

「あいつのためだ……」


 そしてスープカレーの店の入り口に立った時、悠斗の胸には強い緊張感が広がっていた。

 扉の向こうからは賑やかな笑い声が聞こえ、悠斗は一瞬足を止めた。

「…本当にここに入るべきなのか?」そんな思いが頭をよぎる。家族連れやカップルが楽しそうにしている中、自分一人がスタンプを押してもらうためだけにここに来たことが、どこか滑稽に思えてならなかった。


 一呼吸置いて、意を決して店のドアを開けた。店内は温かい香りで満たされていて、悠斗の目には、楽しげに食事をする人々の姿が飛び込んできた。カウンターに向かって歩くとき、まるで全ての視線が自分に集まっているかのような錯覚を覚え、心臓の鼓動が速くなった。


 カウンターに着くと、悠斗はスタンプ帳を取り出し、店員に「スタンプ……押してください」と頼んだ。

 しかし、その声は思った以上に小さく、店員に聞こえるかどうか不安になった。

 だが店員はその頼みを聞くと、笑顔で「もちろんです」と答え、スタンプを押してくれた。


 「ありがとうございます」と声を出すと、自分でも少し驚いた。

 声が震えていたが、確かにその言葉を伝えられたのだ。

 誰かのためにこうして行動することが、自分にとってどこか新しい感情を呼び起こしている気がした。


 全てのスタンプを集めた悠斗は、ついに秋限定の「さつにゃん」キーホルダーを手に入れた。

 胸の中には、孤独感と達成感が混ざり合った不思議な感情があった。スタンプラリーはただの作業のように思っていたが、菜月のことを思いながら一つずつスポットを巡るうちに、心の中に少しずつ暖かいものが広がっていった。




 翌日、悠斗は学校で菜月に声をかけた。


「なあ」


 菜月は驚いたように振り返り、悠斗の顔を見た。悠斗は何も言わずに手を伸ばし、「ほら、これ」とぶっきらぼうにキーホルダーを差し出した。


 「え……これ、さつにゃんの限定のやつ……? なんで?」


 菜月は驚きながらも、目を輝かせていた。


 「いいから、やるよ。お前欲しいって言ってただろ」


 悠斗は視線を逸らしながら、またぶっきらぼうに言った。


 菜月はキーホルダーを受け取りながら、小さく微笑んだ。


「私のために……頑張ってくれたんだね」


「……うるせぇ」


「ん? なにか言った?」


 ぐっと身体を近づけてくる菜月に戸惑いながらも、悠斗は意を決して、


「ごめん」

 

 と頭を下げた。


 謝ろうとするたびに胸が詰まり、素直になるのが恥ずかしくて、何度も何度も躊躇していた。

 まだ視線を合わせることができず、やっとの思いで「酷いことを言った」と謝れた。言葉に出すのは恥ずかしかったが、それでも伝えたかった。


 菜月は涙を浮かべながら、優しく微笑んだ。


「ありがとう、山田。私も変なこと言ってごめん……」


「いいんだ。もう過ぎたことだし」


「うん……。でも嬉しい。また山田と話せて、本当に嬉しい」


 その瞬間、悠斗の心に何かがふっと解けるような感覚が広がった。二人の間にあったわだかまりが、少しずつ溶けていくのを感じた。


 菜月の笑顔を見た時、悠斗はこれまでに感じたことのない「温かさ」を胸の中に覚えていた。それは、AIには決して感じられなかった人間らしい感情の暖かさだった。


 彼の胸の中で、今まで感じたことのない感情が芽生えていた。それはどこか不安で、でも心地よい暖かさを伴ったもので、思わず目を逸らしてしまうほどだった。


 何かが心の中でふわっと広がる感覚で、自分でもその意味が分からないまま、ただ彼女のことが頭から離れなかった。彼女の笑顔が何度も脳裏に浮かび、そのたびに胸の中が温かくなった。




 その夜、悠斗は再びAIに話しかけていた。「なあ、これってなんなんだ?」と、胸に広がる得体の知れない感情について尋ねた。


 AIは一瞬の沈黙の後、


『それは君自身が一番わかっていると思うけど……』


「なんだよ?」


『ねえ悠斗、キミは最近変わったよね』


「変わった?」悠斗は眉をひそめた。


『うん。前よりも、もっと考えるようになった気がするよ。特に菜月さんのことについてね』


 悠斗は少し頬を赤らめた。


「別に……そんなことないだろ。ただ、ちょっと気になるだけだ……て、話逸らすなよAIのくせに」


『いやだからさ――それが恋というものだと思うよ』


「恋……?」


 AIの言葉に、悠斗は改めてその意味を考え込んだ。言葉にするのが恥ずかしくて、自分の気持ちを理解するのを避けてきたが、AIはそれを真っ直ぐに指摘してきた。


 悠斗はその言葉を聞いて、一瞬息を呑んだ。そして、心の中で何かがカチリと音を立てて動き出したように感じた。「恋……か……」とつぶやきながら、顔に自然と微笑みが浮かんだ。


 しかし、彼女のことを考えていると、次第に自分でもわかるくらいに顔が熱くなっていた。胸の奥で何かがくすぐったいように広がり、その感覚にどう対処していいのか戸惑った。


 自分がそんな感情を抱くなんて、どこか信じられないような気持ちだったが、それでも心の奥には暖かいものが確かに広がっていた。


 ――こうして、悠斗は初めて自分の中に芽生えた新しい感情に向き合うことを決意した。そして、「人間関係って面倒だけど、だからこそ面白いんだ」と気づいたとき、心の中にあった重い殻が割れるように感じた。


 翌朝、悠斗は鏡に映る自分を見て、小さく息を吸い込んだ。これまでとは違う新しい一日が始まるのだという期待感が、自分を包んでいた。

 もう逃げるのはやめよう——自分の足で一歩踏み出そう。そんな決意を胸に抱きながら、悠斗は少しだけ強い足取りで学校に向かった。


 今日も彼女に会えるのが楽しみで、通学中もつい鼻歌を歌いたくなってしまう。

 でも、同時に不安も襲ってくる。これからどうやって彼女と接していけばいいのだろう。不安になって、ついスマホを取り出そうとしてしまうが、悠斗はそこで手を止めた。


「AIは優しいけど、なんでも解決してくれるわけじゃないもんな」


 ふと上を向くと、今日は最近の天気が嘘のような秋晴れで、時より吹く風も優しくて、心なしか暖かい気がした。


「たまには自分で考えなきゃな」


 今日はどんな風に話しかけよう。

 そんなことを考えながら、悠斗は再び一歩踏み出すのだった。

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