カガミのクニの異邦人

あかな

第1話

 街道沿いの宿屋は大繁盛だった。

往来する者同士が情報交換をする場所は

決まっている。

酒場、食堂、そして宿屋だ。

酒場が宿屋を兼ねている場合もある。

食堂が酒を出している事も珍しくはなく、2階より上は宿として営業している店ーー客の落としてくれる金を逃がさない為ーーもある

ので明確な線引きはない。

しかし見知らぬ者同士が親しげに話し込んでいても目立たない場所は限られている。


 1日晴れた日の夜だ。

旅程がはかどり、疲れた身体を休める為にも

明日の英気を養う為にも食堂に集う人々は

食べて飲んでに忙しい。

足を休めるかわりに口を動かす時とばかり

喧騒が満ちている。

特にこれから自分が向かう先から来た者の話には熱心に聴き入っている。

揉め事が起こっていないか?

道の状態はどうか?

盗賊が出る場所は?その心配(襲撃)がありそうな場所は?

整備されている道のすべてが安全ではない。

トラブルを避けられるならば避けるに越した事はない。

同時に、避けられない所でトラブルを回避する為にどうすればいいかは重要だ。

知っている者から教えてもらい、確実性を上げる。

関所に詰めている兵士に渡す『袖の下』は

幾ら包めばいいのか。

手形が無ければ通れないが、手形だけ見せて

待っている様な無粋な者はひたすら待たされる。後から並んだ旅人が先に通過するのを見送る事になる。

手持ちの荷物の確認だけで済むような傭兵や

どこそこへお届けする物だけを運ぶ荷車は

ともかく、各地を放浪する芸人達や、

何人かでまとまって行動する隊商は

必要な確認をするだけでもそれなりに時間がかかる。ひっきりなしに往来する人、物。

優先順位を決めるのが『袖の下』と言うわけだ。

大きな隊商ならば兵士ではなく隊長格が

直々に積荷を確認する。

当然、隊長格への『袖の下』は一般兵士のそれとは金額が違う。

関所に居る者にとっては大事な副収入なのだ。多ければ多いほどいいと思われがちだが、あまりに高額を渡すとかえって疑われてしまう。

『禁制品を持ち出そう(持ち込もう)としているのか』などと勘繰られたりしたら、没収、

検閲の為の足止め等、商売に支障をきたす。

そんな事はごめんなのだ。

退屈な任務だが危険が少なく実入がいいので下級兵士の間では人気がある。

もちろん全ての関所が、ではない。

『実入りが良い』のは州をまたぐ場所にあるものがほとんどだ。


 関所の周囲は一定の距離が無人地帯になっている。夜間、門が閉じた後に近づく物はすべて捕縛、投獄。

酔っ払いが誤って近づいてしまっただけでも例外とはならない。

関所破りに関わるとみなされ、巻き込まれたら『店を畳む』で済めば幸い。

店主含む従業員全員が死罪を言い渡される場合もあるのだ。

 日が昇っていても『篝火がついている』間は近づかないのが暗黙の了解になっている。

 『篝火が消えた』事を知らせるのは朝番の重要な役目だ。夜明け前に鐘楼へ登り遅番と交代する。

ーー夜通しの見張りは火の用心だけでなく、夜盗の襲撃を警戒する意味もある。

隊商の荷はありがたく無い客も引き寄せるのだ。関所に詰めている兵達はあくまで関所を守るだけなので、近くの宿屋や酒場は協力して自衛の傭兵を雇っている。

腕一本で世間を渡る傭兵達は無くてはならない存在なのだ。

隊商に雇われ通りがかる者達もいる。

彼らにとってこの一帯は、情報交換の場であり、新たな雇い主を物色する場でもあり。

街の住人たちーー定住者とは異なる、しかし居るのが当たり前の者達。

 賑やかな食堂の片隅に集まる、10代後半にかかるくらいの一団。傭兵の装備として標準的な簡易の革鎧姿。彼らが密やかにやり取りをしていても、気を払う者はいなかった。

 

 人が集まる場があれば、閑散とする所もできる。

夕方、日の落ちる前後は混み合っていた厩舎に人気はない。

食堂の人々のざわめきが、かえって周囲の静けさを際立たせている。

1日の労働を終え安心できる場所に落ち着いた馬達。

 穏やかな夜の気配を乱す事なく、新しい客がやって来た。

立派な体格の鹿毛の馬。

乗り手の体躯も素晴らしい。

多くの者が目を見張る上背。

肩幅は広く胸板も厚く、バランスの取れた姿は見惚れる者もいるだろう。

戦士であれば誰もが望み、あるいは羨むに違いない。

 旅の疲れも身体の重さも感じさせない動きで鞍を降り、厩舎の入り口に近づく。

来客を察したのだろう、奥から出てきた者がいた。

 宿場町に限らず、大きな宿では専属の世話人が馬の面倒をみる。泊まる人間の数以上の馬がいる場合もあるからだ。使える土地が限られていると、厩舎の2階が世話人の『家』の場合もあるが、ここは厩舎と続く造りである。何故かと言えば、目を離す訳にはいかないからだ。

馬の管理は宿において重要な役割だ。

何かあれば責任問題を問われる。

不手際があれば弁償を求められるのだ。

『馬』は旅の足、そして財産でもある。

彼らの健康状態は旅の明暗を分ける。

重い荷車を引いてくれるのは彼らなのだ。

さらに傭兵にとっては重要な『足』である。

いざ戦闘になれば馬の機動力は欠かせない。

周囲を警戒する見回りにも必要だ。

一日の殆どを馬の背ですごす彼らにとって

分身とも言える存在である。

そして、良い馬には目玉が飛び出る値がつくのだ。そんな額を支払う事態になったら日々の稼ぎなど吹っ飛んでしまう。

盗人がとっていくのは物品と限らない。

『馬』も対象になるのだ。夜も目を離す訳にはいかない。

必然として厩舎専任の夜番がいるのである。

 新規の客を迎えたのは中肉中背‥と言うにはやや細いが、特徴となるほどでは無い。

馬を怯えさせない程度に押さえた明かりの元では個性の判別がつかない、標準的な体格。

 入り口で足をとめ荷物をおろし、改めて当番を振り返った客の顔は精悍だった。

濃い眉は黒々として、目は切れ長。

鼻筋が通り、唇は厚くもなく薄くもない。

整った容貌だが甘さは全くない。

野生の獣を彷彿とさせる猛々しさと荒々しさとがあった。

 一方、それを迎えた夜番はやはり特徴など無い普通の体格、平凡な顔立ちだったが

『いらっしゃいませ。

ご乗馬をお預かりします』

丁重な言葉遣いは身についている感があり、

作業に手慣れた雰囲気もあった。が。

出迎えられた客は不審そうな表情になった。

すでに夜は深い。

深夜ではないが寝ずの番をする当番が居るはずの時間だ。しかし、当番とは思えない人間が馬を預かるべく出てきたのだから。

預ける側としては甚だ心許ないと感じたそれをそのままにぶつけた。

『なんだおまえ?』

低い声には険があり『見下ろされている』事も相まって威圧感満点。

まず怯えずにはすまないが、この時はぶつけられた方が例外だった。

『こちらでお客様のご乗馬のお世話を担当している者でございます。

心を込めてお世話をさせていただきます。

手綱をお預かりしてもよろしいでしょうか?』

腰の低さ、丁重さは接客業として及第点。

どれほど練れた店員が対応をしても、

凄む客はいる。理不尽な場合も多々あるが、

この場に限っては客の不信感、あるいは不快感に理があった。

『ふざけんな。もっとマシな奴を連れてこい。子供が番をする様な所に預けられるか』

年端もいかない少女が寝ずの番として出てきたのだから。







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