第6話
ここ最近、この学園――ソルジェンテ・アカデミーでは、ちょっとしたカレーブームが起きている。
きっかけになったのは学園内を歩いていると、どこからともなく漂ってくるカレーの香りだ。
食欲をそそる、あのスパイシーな香り。
昼食前に遭遇しようものなら、即座にカフェテリアに駆け込んで「カレーを一つ!」と叫びたくなるほどの破壊力を持っている。
しかし何でまた急に、カレーの香りが学園内を漂い始めたのか。
この学園の生徒会長バートランド・フロックハートはその謎を解明するため、スクエア型の眼鏡を押し上げ、聞き取り調査を始めた。
――のだが、意外とあっさり、その『きっかけ』に辿り着いた。
情報源は生徒会に所属している二年生の会計メイ・ワッツだ。
「それなら、キャロルが婚約者にカレーパンの差し入れをしているからですよ」
キャロルというのは、メイの親友の女生徒の名前だ。
広大な薬草園を営むアップルヤード家の末っ子で、いつも元気でにこにこ笑っている姿をよく覚えている。
彼女の婚約者はクライド・オルコットと言う、この国アストラの騎士団副団長の三男だ。
仲が良いとは知っていたが、本当にしっかりと仲が良いのだなとバートランドは感心する。
だが、なぜカレーパンなのだろうか。
「差し入れは微笑ましいけれど、どうしてカレーパンなんだい?」
「クライドさんの好物がカレーらしくて。それで好物で彼の胃袋を掴んで、しっかり、ばっちり、がっつりと落とすらしいですよ」
「なぜ?」
バートランドは首を傾げた。
落とすも何も、クライドはもうすっかり落ちているじゃないかと思ったからだ。
学園で行われる行事の時や、外でのパーティーやお茶会の時に見かけた際に、クライドはキャロルにぴったりとくっついて離れようとしなかった。
傍から見るとボディガードだが、バートランドからすれば、あれは自分の婚約者に他の男がちょっかいを掛けるんじゃねぇ、という威嚇をしているだけだ。
どう考えてもベタ惚れだ。キャロルから万が一別れを告げられでもしたら、発狂するんじゃないかというレベルである。
だからバートランドには、キャロルがクライドを落すという言葉の意味がよく分からなかった。
なのでメイに聞き返す。すると彼女は苦笑して、
「ルイーズ・ハンプトンさんから、クライドさんがキャロルとの婚約を嫌がっていると言われたらしくて」
「ありえないだろう、それは」
何とも信憑性の薄い話が出て来て、バートランドは半眼になった。
「嘘を吐くならば、もっと他にあるだろう……。キャロルさんはそれを信じたのかい?」
「可能性がなくもないからって」
「ポジティブなのかネガティブなのか」
バートランドは頭を抱えた。
クライドの事を信用していないと言う事ではないだろうが、キャロル自身にも何かしら思うところがあったのだろう。
しかし一応は行動の理由については理解出来た。
「それでカレーパンねぇ……」
「カレーって、ついつい食べたくなる香りをしていますからねぇ。それで今、カフェテリアでカレーフェアまで始まってしまっているんですよ」
学園内を漂うカレーの香りの謎は、思ったよりも平和な内容だった。
解明出来たは良いものの、何となく拍子抜けしてバートランドは、はぁ、とため息を吐く。
「この学園は謎が足りない……」
「生徒会長、本当に謎マニアですよね」
「ロマンだからね。まぁ、事件でなかったなら何よりだよ」
……とは言うものの、やはり少しだけ物足りない。
いつか自分の胸を躍らせるような、ハラハラドキドキする謎や事件に出会いたいものだ。
そんな事を思いながら、バートランドは時計を見上げる。
今日の生徒会の活動時間も、そろそろ終わりだ。
「ところで他のメンバーはどうしたんだ?」
「カレーを食べにカフェテリアへ行きましたよ」
「ここでもか。私も明日はカレーにするかな……」
カレー、カレーと言っていたら、すっかりカレーの口になってしまっていた。
さすがに今からカレーを食べると、夕食に支障が出るので我慢しておくが。
(こういう時にカレーパンがあれば)
カレーほどがっつりではないが、カレーパンを一個くらいなら大丈夫そうだ。
帰り道の途中でベーカリーにでも寄って行こう。
そう思いながらバートランドは机の上の片づけを始める。
ふと、その時、資料の一枚が目に留まった。
近い内に隣国オアーゼからのやって来る、留学生についての注意事項がまとめられた資料だ。
どうして生徒会にそんなものが渡されているのかと言うと、理由は単純に、それが少々問題のある人物だからだ。
留学生の名前はイリス・クラウン・オアーゼ。隣国の第六王子である。
立場と状況的に王位を継ぐ可能性は無いに等しいらしい。
そう言う意味では、この学園の生徒がそういう争いに巻き込まれる可能性は低いが――問題は彼の素行だ。
なので生徒会の方でも目を光らせておいて欲しいと、学園側から依頼があったのだ。教師よりも学生の方が接する時間が多いからと。
「そう言えば、件の留学生はメイのクラスに入るんだったっけ?」
「ええ、そう聞いています」
「そうか……。大変だろうがよろしく頼む。僕達の方も出来るだけ協力するから」
そう言いながらバートランドはその資料を持ち上げ、机でトントン、と軽く叩いて揃える。
(……幾ら謎や事件に出会いたいと思っていても、これ関係はご勘弁願いたいものだな。後始末が面倒過ぎる)
平和な状況のままで心が躍る謎や事件に出会いたい。
そんな我儘な願望を抱くバートランドだった。
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