第5話
この声はルイーズ・ハンプトンだ。
ややあって、黒髪を揺らしたルイーズが現れ、にこやなか笑みを浮かべてクライドのところへ駆け寄る。
「もう、やっと見つけたわ! 探したじゃないの。どこへ行っていたのよ?」
ルイーズはそう言うと、クライドの進行方向へ回り込んで、腰に手を当てて彼の顔を見上げる。
クライドは片方の眉を僅かに上げて、
「俺がどこへ行こうと君には関係ないが」
と素っ気なく答えた。
ルイーズに興味がまるでないと言う様子で声に抑揚がない。
その態度にルイーズは一瞬、うっ、と軽く詰まったが、直ぐに気を取り成して表情を取り繕う。
「つ、つれないわね。私にはあるのよ。ねぇ、クライド。今日の放課後、お暇? 暇よね? デートしましょうよ」
「暇じゃない。先約がある」
クライドはすげなく断った。ぐう、とルイーズは顔を顰める。
(どうしましょう。立ち聞きになってしまったのだけど)
そんな二人のやり取りを見ながら、キャロルは少し悩んだ。
一度出直した方が良いだろうか。けれどもメイのところへ戻るのも、クライドのところへ行くにも、どうにも中途半端な位置だ。
うーん、とキャロルが考えていると、
「え~? じゃあ、今でいいわ。教室までエスコートしてよ」
ルイーズは自分の腕を、クライドの腕に絡ませようと手を伸ばすのが見えた。
あっ、とキャロルが口を開く。
それは嫌だ。それは婚約者である自分の特権なのだ。さすがに見ていられなくて、声を掛けようとした時、
「お断りだ、やめてくれ」
クライドは不快そうに眉をひそめ、数歩後ろに下がった。
そのためルイーズの手は空を切る。
「あん、もう。いいじゃない」
「良くない。そもそも、俺は……あ」
嫌悪感混じりに行って、クライドは目を逸らした時、キャロルは彼と視線があった。
クライドの目が軽く開かれる。
とたんにクライドは、今までの不機嫌な雰囲気をパッと消して、キャロルの方へ足早に近づいて来た。
「キャロル。こんなところでどうしたの?」
「メイとおしゃべりしていたんですの。それでクライドの姿が見えたから……お邪魔じゃなかった?」
「いいや、全然。キャロルと話したかったから、嬉しいよ」
そう言ってクライドの目尻が下がる。
あ、これは喜んでくれている。そう思ってキャロルは微笑んだ。
「ちょっと、私が先にクライドと話をしていたのだけど。マナーがなっていないのではなくて?」
するとルイーズがこめかみをぴくぴくさせながら、こちらへ近づいて来た。
クライドの手前、極力笑顔を保とうとしているのだろう。しかし表情はかなり強張っている。
「私の婚約者の腕に抱き着こうとする方が、マナーがなっていないと思いますの」
「ンッ」
キャロルがそう言った時、クライドが手で口を押えて悶え始めた。
ついでにこの男、小声で「キャロル……もしかして嫉妬を……?」なんて呟いている。
ここにチャーリーがいたら「こいつはどうしようもねぇ」なんてツッコミを入れていた事だろう。
表情があまり動かないせいで、クールで格好良いと周囲からは思われているが、中身はなかなか残念な男である。
「クライド? だ、大丈夫ですの? もしかして具合が……」
「い、いや、問題ない。それに彼女とのお話はもう終わったから、行こうキャロル」
「えっ!? 終わっていないわよ! ねぇ、クライド! ねぇ、ちょっと!」
クライドは機嫌良さそうにキャロルの手を握ると、騒ぐルイーズを放って歩き出す。
ルイーズは追いかけてきたが、クライドが無視を決め込んだものだから、途中で諦めて「もう!」と憤慨して帰って行った。
彼女の足音が遠ざかるのを耳で確認してから、クライドはちらりと後ろへ視線を遣る。
それから、はぁ、とため息を吐いた後、
「……ありがとう、キャロル。実はちょっと困っていたんだ」
と言った。どうやら辟易していたらしい。
キャロルはにこっと笑った。
「お役に立てたなら何よりですわ!」
「とても。あ、ところで、キャロルは俺に何か用事があった?」
「はいですの! ……えっと、その、差し入れを」
「差し入れ?」
クライドは僅かに首を傾げる。
キャロルは鞄の中から、ひょいとカレーパンの包みを取り出して、クライドに手渡した。
「カレーパンを作って見ましたのよ」
「良い香り……って、作ってみた? もしかして、これってキャロルのお手製……?」
「うちのシェフに教わって頑張ってつくりましたの!」
「ンンッ」
クライドは空いた手で口を押え、再び悶え始めた。
ここが学園でなかったら、床をごろごろ転がるか、クッションに頭を何度も打ち付けていた事だろう。
キャロルが関わって来ると、まぁまぁクライドはおかしくなる。恋とは人を狂わせるものである。
「た、食べていい?」
「どうぞですの!」
キャロルは頷くと、ドキドキしながら、クライドがカレーパンを食べるのを見守る。
ちゃんと味見はしたし、美味しく出来ていた。メイにも褒めてもらえた。
問題はこれがクライドの好きな味かどうかである。キャロルが緊張の面持ちで見つめていると、
「……美味しい、俺の好きなカレーの味だ。……ありがとう、キャロル。嬉しいよ」
とクライドがほんの少し微笑んでくれた。
ふわっ、とキャロルの胸が温かくなる。
キャロルはそれからぶるぶる震えた後、
「胃袋作戦第一弾、成功しましたわー!」
と両手の拳を天に突き挙げて、喜びの声を上げた。
クライドは目をぱちぱちと瞬く。
「胃袋作戦?」
「うふふ。こっちのお話ですの!」
キャロルは満面の笑みを浮かべると、
「これからも頑張りますわ!」
なんてクライドに宣言する。クライドは目を丸くした後、
「これからも……差し入れを……!?」
なんて、食べかけのカレーパンを両手に持って悶えた。
本当にキャロルに関してはどうしようもない男である。
◇ ◇ ◇
――そんな二人を、物陰からじっと見つめる目があった。
怒って帰って行ったはずのルイーズ・ハンプトンである。
「どこかからカレーの香りがすると思ったら……なるほど、そういう事」
そう呟くと、彼女は口の端をニヤリと上げた。
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