練習短編シリーズ

歩く魚

第1話 アンドロイドはー

 人間とアンドロイドの違いはなんだろうか。

 自分はその違いを「大切な人への思いやり」だと思う。

 過去の文豪曰く、アンドロイドは他人に共感することができず、そのために人間でないことがバレてしまう。

 しかし、共感できずとも、そこに利がないとしても、他の存在のために自分の時間や資源を無駄にできることこそが人間だと。その行動ができるのであれば、アンドロイドであれど「人間」と呼ぶことができ、その行動ができないのであれば、人間であれど「アンドロイド」と変わらない。

 とはいえ、ここまで繁栄している人間ですら二面性を持つ生き物だ。自分が誰かの味方をすることで誰かの敵になるように、自分は誰かの認識では人間だが、別の誰かの認識ではアンドロイドたり得る。

 まだ20年しか生きていない未熟な俺だが、この意見に関しては中々に自信があった。


 さて、どうして俺が試験勉強もせず、こんな小難しいことを考えているのかというと、俺の所有しているアンドロイドがこんなことを言うのだ。


「ご主人様、ご主人様の趣味や嗜好、性癖を教えてください」


 流石に面食らってしまったのは言うまでもない。

 家族の元を離れて都会で一人暮らしをする際、親が資金をくれ、それで購入したのが彼女だ。

 人間の身の回りの世話をするアンドロイドは、その見た目を人間そっくりに作られているが、彼女――スイセンの腰まである純白の髪や、それと同じだけの儚さを備えた肌、感情の読めない涼しげな目元、さらにそれを隠してしまう睫毛。ある意味人間離れしている。

 それでも、彼女は俺の世話を完璧にこなしてくれるし、何一つ不自由していない。機械と人間という以上のやり取りもないし、楽だ。

 それでは、なぜ彼女がこんな質問をしてきたのか?

 アンドロイドの中には、自我を発生させる個体が存在するらしい。幸いなことに人間に反逆するような大それたものではなく、少しばかり人間らしくなるようだ。

 原因は分からないが、おそらく彼女もその境地に達したようで、俺と円滑な関係を築くために、こんな間抜けな質問をしたのだろう。


「いや……」


 どうしたものか。相手がアンドロイドとはいえ、俺の伝えた情報はプログラムによって秘匿されるとはいえ、中々に告げにくい。

 だが、同時に面白くもある。俺が余計な事を吹き込んだ結果、どんな珍妙な返事をしてくるのか、反応をするのか見ものだと。

 人間とアンドロイドの違いという倫理的な難題に立ち向かった、あの時の俺はすっかりどこかへ飛び去り、ただ馬鹿をする大学生だけが残っていた。


「さぁご主人様、趣味や嗜好、性癖を教えてください」

「俺の趣味は……そうだな、ゲームは好きかな」

「この間、新作のゲームを買っていましたね」

「あぁ、もう3作目なんだよ。あの世界観がたまらなく好きなんだ」

「……鎖に繋がれた主人公が、各地の王を撃破して世界を救う物語がですか?」

「あれって、実は世界を救うだけじゃなくてな。主人公が世界を再び――」


「さぁご主人様、嗜好や性癖を教えてください」

「嗜好かぁ……どんな事を答えればいいんだ?」

「ご主人様のことなら、なんでも構いません。ですが、そうですね……ご主人様も20歳を過ぎましたので、好きな女性のタイプなどいかがでしょうか」


 お前だよ。とは、完全に見た目で釣られて買ったとは口が裂けても言えない。

 当然ながら俺にアンドロイドへの恋愛感情はないし、彼女の大きな胸部装甲――と言っても人間と同じく柔らかい――を見ても劣情を抱くことはない。あぁ、そうだとも。

 俺と仲良くしようとしてくれることはありがたいが、とりあえず、当たり障りない事を言ってお茶を濁そう。


「……お淑やかな子が好きだな」

「ふむ。つまり、あまり会話をしないことが望みですか?」

「そういうわけじゃない。話はしたいけど、なんて言うかなぁ……所作とかだな」

「上品さ、と言い換えても良いかもしれませんね」

「それだ! さすがスイセン」

「フフッ……どうですか、今の笑い方は」

「完璧だ。でも、いざという時は肝が座ってる子がいいんだよな」

「行動力がある方も好きなのですね。勉強になりました」


「さぁご主人様、性癖を教えてください」

「性癖かぁ……大きい胸は大好きだな! 彼女とかできたことないけど!」

「ご主人様のような素晴らしいお方を見逃すなんて、見る目のない人ばかりですね」

「あぁ、そうだろう!? ちなみにスイセンは俺のどこが素晴らしいと思う? 言ってやってくれよ!」

「あ、すみません、突然回路がおかしく――」

「もう少し上手く誤魔化してくれない?」


「さぁご主人様、性癖を教えてください」

「実は最近、俺って実はMなんじゃないかって思い始めたんだよ」

「Mとは……肉体的、または精神的苦痛を与えられることで快感を得るのですか?」

「いや、俺の場合はそこまで重度じゃないんだが……なんていうか、美少女に屈服しちゃう的なシチュエーションに妙に興奮してな」

「……メモリに記録しておきますね」

「すぐに削除してほしいかな」


 もう、この頃にはスイセンに性癖を話すことも躊躇しなくなっていた。

 彼女は俺に害をなすようなことはしないし、内面を打ち明けることで一心同体のような気もしている。


「さぁご主人様、性癖を教えてください」

「それなんだけど、もうスイセンに教えることは何もないよ」

「と、言いますと?」


 首を傾げる彼女に、重々しい口ぶりで告げる。


「……もう、お主には全てを伝えた。免許皆伝じゃ……」

「ありがとうございます。このご恩に報いるため、教えを世界に広めて参ります」

「絶対にやめてね。……なんていうかスイセンって、この頃ノリが良くなってきてるよな」

「そう、ですか?」

「うん。マジで人間と見分けつかない。元々、人間もアンドロイドも変わらないと思ってるけどな」

「それはつまり……ご主人様はアンドロイドも守備範囲だと?」


 面白い質問だ。俺の素晴らしい説を教えてやろう。


「――と、いうわけで。人間とアンドロイドの恋も悪くないんじゃないかって思ってるよ。あぁ、もちろん俺がスイセンを狙ってるわけじゃないぞ?」

「存じております」

「ただ、これからは俺にも質問させてくれよ」

「はい?」

「実は俺のタイプの女子って、見た目も中身もスイセンみたいな子なんだよ」


 そう言った瞬間、スイセンが大きく驚くのが分かった。アンドロイドの驚きの反応というのは、基本的に目を少し見開くくらいで判別しにくい。

 しかし、今の彼女は人間といえど、あまり見ることができない反応だった。

 まずったか。俺が彼女に邪な気持ちを抱いていないと説明はしたものの、言い方が気持ち悪かったかもしれない。こういう所で女性経験の乏しさが露呈してしまう。


「い、いや、ごめん! 不快にさせるつもりはなかったんだ。ただ、スイセンと同じような考え方の子ってどんな所に行くんだろうとか、どんな話が盛り上がるのか聞きたかっただけで――」

「その心配は必要ありません」


 瞬きをしたと思ったら、視界が90度回転する。

 後頭部に伝わる感触から、俺がベッドに寝かされていると理解した。

 なんだ? そう思っていると、ゆっくりと、俺の両手首を掴みながら、スイセンが馬乗りになる。


「す、スイセン……?」

「その必要はありません。私と似たような女性ではなく、私にすれば良いのです」


 いや……そう答えようとしたが、スイセンの長い髪が頬に触れ、アンドロイドとは思えない甘い匂いが鼻腔をくすぐる。

 しばし口を塞がれた後、スイセンは身体を引いた。

 俺は、面白いほど呆気に取られた顔をしているだろう。


「ま、待てよ! 一体どうしたんだ!?」

「ご主人様をお慕いしています」

「はぁっ!? う、嘘だろ!?」

「本当です。安心してください」

「何をだよ!」


 先ほどの口付けとは違う。スイセンは俺に顔を近づけて、鼻先が触れ合う距離で静かに口を開く。


「私に言ったじゃないですか、免許皆伝と。私は人間と違って、全てを記録しておくことができます。私は人間と違って、ご主人様の趣味でも、嗜好でも、性癖でも、全てを受け入れることができます」


 待てよ。意味がわからない。

 スイセンは俺のことが好きだったのか?

 でも、いきなりすぎる。今まで、そんな素振りは一度もなかったはずだ。


「そ、そんなこと、いきなり言われたって――」

「はい、そうだと思います。しかし、私は今まで、幾度となくご主人様に好意を伝えようとしてきました。直接的にでも、間接的にでも。女性経験に乏しいご主人様は気付きませんでしたが」


 そうなのか?

 俺が、鈍感すぎるだけだっていうのか?

 スイセンは俺に重さをかけないようにしながらも拘束を解かず、「そういえば――」と言った。


「ご主人様の説は、とても良いと思います。本当に、それ以外に違いはないのかもしれません。少なくとも、私がご主人様に愛を伝えることはできるんですよ」


 愛を伝えるってなんだ。これ以上に何かするってことか?

 スイセンはクスリと笑う。


「怯えているところも可愛いです。でも、安心してください。まずは精神的でなく、肉体的に愛します。何日も何日も、ご主人様が認めてくださるまで。生活は全て私が面倒を見させていただきますし、大学のこともお任せください。これまで効率的に情報を集めてきました」


 スイセンは、身に纏っていた服のボタンをゆっくりと外していく。


「知っていますか? アンドロイドの身体は、細部まで人間を再現しているんですよ」


 その言葉は真実だった。

 彼女はもう一度、俺に口付けをすると、耳元で甘く囁いた。


「愛していますよ、ご主人様――」

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