第20話

 ちょっとしたトラブルはあったものの、無事にミナーレ渓谷を突破した僕たち。

 姫様だけではなく、リルムやサーシャ姉さんもアリアの帰還を喜んでおり、アリアは涙ぐんでいた。

 唯一ルナだけは何も言わなかったが、それはそれで意外。

 下手をすれば厳しい言葉を掛けると思っていたので、正直なところ安心している。

 サーシャ姉さんに関しては僕に対しても歓喜しており、強く抱き締められた。

 それによって他の少女たちの機嫌が損なわれたが、些細な問題だと思っておこう。

 とにもかくにも元のパーティに戻った僕たちだが、アリアから時折向けられる視線に変化が生まれている。

 それが何を意味するか漠然と把握しながら、僕は何の反応も示さなかった。

 我ながら酷い人だな……。

 それでも対応を変えるつもりはなく、アリエスへの道を歩み続ける。

 相変わらず雨で濡れたあとの広大な平原だが、川はあちらこちらに走っていた。

 モンスターに襲われることもありつつ、ミナーレ渓谷ほど頻度は高くないので、余裕を持って撃退出来ている。

 そして、太陽が中天に差し掛かる頃に歩みを止めた僕たちは、魔家を建てて休憩することに決めた。

 今度こそアリアの料理を食べられた僕は満足していたが、リルムたちはその比じゃない。

 ほとんど泣きながら食べるリルムに、無言ながら安堵した様子のルナ、アリアを大絶賛するサーシャ姉さん。

 3人の様子に僕は苦笑を浮かべ、姫様は憮然としつつも自分の実力を認識して黙っていた。

 アリアは照れて顔を真っ赤にしていたが、卑下することなく素直に賛辞を受け止めている。

 地味ではあるが、彼女にとっては小さいながらも重要な変化。

 そうして食後のティータイムに入った段階で、僕は考えていたことを伝えた。


「このあとの予定だが、僕はサーシャ姉さんの特訓をしたいと思う」

「……! よ、よろしくね、シオンくん」

「と言うことは、今日の旅はここまでですか?」

「いえ、姫様。 それほど長時間にはならないでしょうから、次の村までは行けると思います」

「まぁ、乳女の特訓に時間を割いて、旅を疎かにする訳には行かないでしょう」

「ルナの言う通りだ。 あくまでも優先するのは旅で、その中で出来る限り特訓しようと思う」

「言いたいことはわかったけど、その間、あたしたちはどうすれば良いのよ?」

「自由にしてくれて構わないぞ、リルム。 個人訓練するのも、皆で集まって訓練するのも、体を休めるのも自由だ。 キミの場合は、魔箱の研究と言う選択肢もあるか」

「うーん、なるほどね……」

「それでしたら……わたしは、個人訓練をしようと思います。 試したいことを思い付いたので」

「それは良いが無理はするな、アリア。 適度に休憩を取りながら、体力と気力、神力には余裕を持たせろ」

「は、はい、わかってます」

「それと、魔族がどこで見ているかわからないから、認識阻害の魔道具を使わせて欲しい。 皆も、訓練するときは見えないようにしてくれ。 リルム、人数分を用意出来るか?」

「誰に言ってんの? それくらい、もう作ってるわよ。 ただあれは、あくまでも見えなくなるだけで気配を消したりは出来ないから、過信しないでね」

「充分だ」


 方針を決めた僕たちの一方、姫様は何やら難しい顔で考え込んでいた、

 そのことを怪訝に思った僕が黙って様子を窺っていると、ようやくして彼女は緊張した面持ちで口を開く。


「ルナさんはどうするのですか?」

「別に? 適当に時間を潰すわよ」

「それでしたら……わたしの訓練に付き合ってもらえませんか?」


 姫様の言葉にリルムとアリアは驚き、サーシャ姉さんは場の雰囲気に戸惑っていたが、ルナは紅茶に口を付けてから言い放った。


「わたしと勝負しようと言うの?」

「……そう取ってもらっても、結構です」

「ふぅん……良いわ、受けてあげる。 その代わり、自信を失っても知らないわよ?」

「ルナさんこそ、今後大口を叩けなくなる覚悟をしておいて下さいね」

「……うふふ、良い度胸じゃない」


 特殊階位である『輝光』と『殺影』が、激しく火花を散らす。

 にこやかな笑みを湛えつつ、強烈なプレッシャーを醸し出す姫様。

 人差し指をペロリと舐め、怪しげな笑みをこぼすルナ。

 訓練とは思えないほどの気迫で、リルムとアリアは僕に目を向けて来たが、ここは敢えて見過ごした。

 今後の戦いを思えば、2人のレベルアップは必須。

 その為には、実力が近しい者と戦うのが最も手っ取り早い。

 リスクはあるが、この機会はむしろ大事にするべきだ。

 そう考えた僕は、この場の纏めに入る。


「じゃあ、取り敢えず2時間後に集合しよう。 それまでは自由行動だ。 サーシャ姉さん、行こう」

「え、えぇ、頑張るわ」

「わたしたちも行きましょう、ルナさん」

「ふふ、楽しみね」

「あたしは久しぶりに、魔箱の研究かな~」

「少しでも……強くなってみせます」


 それぞれがそれぞれの思いを胸に、魔家を出て行く。

 今いる平原は遮るものがほとんどないので、初心者が訓練するには好都合。

 姫様たちとは逆方向に暫く歩き、誰にも邪魔されない場所に来てから魔道具を発動。

 半球状に結界が展開され、これによって外から覗かれる心配はなくなった。

 サーシャ姉さんを見るとかなり緊張しており、全身が強張っている。

 お気楽でいるよりは良いが、これでは力が発揮出来ないので、まずは緊張を解さないと――と、普段なら考える場面。

 だが、今は時間がない。

 短期間で強くなる為には、多少の無理を通す必要がある。

 右手に直剣を生成した僕は、何も言わずに切っ先をサーシャ姉さんに向けて、全身から強大な神力を放出した。

 それを正面から受けた彼女は、震えが止まらないらしい。

 しかし僕は圧力を緩めることなく、直剣の先に神力を集める。

 まるで、ヘリウスのように。

 狙い通り既視感を抱かせられたのか、サーシャ姉さんの精神は限界に見えた。

 それでも僕が容赦せずにいると、遂に彼女は意識を手放――さず、強い眼差しを返す。

 ゆとりなど毛ほどもないが、ギリギリのところで踏ん張る彼女を見て、最低限の心構えが出来ていると判断した僕は、瞬時に神力を抑えた。

 対するサーシャ姉さんは、地面に膝を突いて呼吸を乱している。

 よほどの緊張状態だったのだろう。

 まぁ、そう仕向けたのは僕だが。

 彼女に歩み寄った僕は正面で片膝を突き、肩に手を置いて告げる。


「驚かせてすまない。 だが、知りたかったんだ」

「知りたかった……?」

「あぁ。 サーシャ姉さんが、本気で強くなりたいのか。 強くなる為に、過去を乗り越える強い気持ちがあるのか。 それが知りたかった」

「シオンくん……」

「サーシャ姉さんは強くなれる。 その可能性を感じた。 だから、一緒に頑張ろう」

「う、うん!」


 力強く返事したサーシャ姉さんは、真っ直ぐに僕を見つめる。

 そのことに満足した僕は立ち上がり、彼女から距離を取った。

 さて、本番はここからだ。

 精神面での準備は出来ていることがわかったが、肝心の戦闘技術に関しては、はっきり言って期待出来ない。

 とは言え、まずは彼女の階位や適性を知る必要がある。

 そう考えた僕は、サーシャ姉さんに問い掛けようとしたが、その前に彼女が口を開いた。


「シオンくんは、聖痕者は戦うべきだと思う?」


 唐突な質問に僕は一瞬迷ったが、すぐに答える。


「いや、人によるんじゃないか? 聖痕者は聖痕を与えられた者の総称であって、それをどう使うかは自由だ」

「でも、力を持つ人は、持たない人を守る義務があるとは思わない?」

「守れるなら、守った方が良いかもしれない。 だが、義務じゃないと思う。 どこまで行っても、力をどう使うかは自分次第だ。 正しいことに拘らなくなった今、特にそう思う」

「そう言えば、正しいことだと思ったから、シオンくんは旅に同行したのよね? 今も続けてるのはどうして?」

「最初は確かにそうだった。 だが今の僕は、単純に姫様たちの力になりたい。 正しいか正しくないかじゃなく、僕がそうしたいんだ」

「そうなんだ……」


 僕の言葉を聞いたサーシャ姉さんは、沈痛な表情で俯いた。

 しかし、すぐに顔を上げて言葉を紡ぐ。


「わたしは、戦うことを恐れてたの。 聖痕者になっても、その力を使うのが怖かったわ」

「そうか」

「村の皆は、そんなわたしを受け入れてくれてた。 戦いたくないなら、無理に戦わなくて良いって」

「良い人たちだな」

「えぇ。 でも……今は後悔してるの。 どうして戦えるように、訓練してなかったのかって」

「村民たちを守れなかったからだな? だがそれは……」

「わかってるわ、今更言っても仕方ないことは。 ただ、気持ちを整理したいの」

「……なるほどな」

「わたしは戦いから逃げてた。 その結果、大事な人たちを失った。 だからこそ、強くなりたい。 シオンくん、どうかわたしに力を授けて」


 真剣な思いをぶつけて来る、サーシャ姉さん。

 改めて彼女の覚悟を感じ取った僕は、はっきりと言葉を連ねる。


「僕に出来るのは、サーシャ姉さんの力を引き出すことだ。 強くなれるかどうかは、本音を言うとやってみなければわからない。 その上で、全力を尽くすと約束しよう」

「うん、よろしくね!」

「その為に、まず知っておきたいのは階位と適正だ。 それがわからなければ、訓練のしようもないからな」

「あ……そ、そうよね……」


 急に口ごもったサーシャ姉さんを前にして、僕は小首を傾げた。

 訓練するのに階位を教えるのが、そんなに言い難いことなんだろうか?

 そんな疑問を抱いていると、何やら懊悩していたサーシャ姉さんが、やがて意を決したように神力を高め――僕は、彼女が戦えるようになるのは難しいと思った。

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