第18話
かなり流されたな。
アリアを背負って川から上がった僕は、瞬時にそう判断した。
しかし、今はそれどころじゃない。
意識を失ったアリアを川辺に寝かせて状態を確認したところ、呼吸がなかった。
血の気が引く思いだったが、即座に応急手当てを試みる。
気道を確保して、まずは心臓マッサージ。
1つ間違ったら彼女の体を破壊しかねないので、正直なところ力加減にかなり難儀した。
そして人工呼吸。
アリアの可憐な容貌を至近距離で見たが、意識の外に蹴り飛ばす。
もう2度と、大事な人を失うのは嫌だ。
心を覆う暗雲を振り払うように、機械的に心臓マッサージと人工呼吸を繰り返して、ひたすらに彼女の復活を祈る。
すると――
「ごほッ! けほッ! はぁ……はぁ……シオン様……?」
アリアが息を吹き返し、薄っすらと目を開けた。
そのときの僕は、もしかしたら泣いていたかもしれない。
反射的に彼女を抱き締め、その温もりを感じる。
腕の中のアリアは困惑しているようだったが、気にする余裕はなかった。
暫くしてようやく落ち着いた僕は、無性に恥ずかしくなったが、敢えて何でもないように装って口を開く。
「良く戻って来た、アリア。 さぁ、ゆっくり休める場所に移動しよう」
「は、はい……お兄ちゃん……」
カチコチになったまま立ち上がったアリアは、恥ずかしそうに俯いて返事した。
取り乱していたとは言え、申し訳ないことをしたな……。
だが、そのことに触れたら余計に意識させそうなので、ここは淡々と行こう。
そう決めつつ、アリアに背を向けてしゃがみ込んだ。
彼女はキョトンとしていたが、平坦な口調で告げる。
「さっきまで意識を失っていたんだ、無理しない方が良い。 僕が背負って行く」
「え!? そ、そんな、大丈夫です! もう何ともありませんから!」
「駄目だ。 ここは、僕のわがままを聞いてくれ。 頼む」
「お兄ちゃん……わかりました……」
控えめに了承したアリアは、尚も躊躇いつつ僕の背中にしがみ付いた。
それを確認した僕は立ち上がり、背後で小さくなっている彼女に声を掛ける。
「日が落ちて暗くなったから、姫様たちとの合流は明日にする。 今日は安全な場所で過ごそう」
「で、ですが、予定では今日中にミナーレ渓谷を抜けるはずでは……」
「予定は予定に過ぎない。 こうなった以上、無理をするのは危険だ。 アリアだって、わかっているだろう?」
「……はい」
「良し、じゃあ行くぞ」
半ば強引に言い聞かせた僕は、山の方に向かって歩き始めた。
意識が戻ったことにはホッとしたが、ずっと濡れたままだと体調を崩しかねない。
魔家を使えば解決するとは言え、あれは1つしかないのだから、姫様たちのことも考慮しなければ。
なるべく自力で休める場所を探すと決めた僕は、【転円神域】を広げて地形を確認。
その結果、少し離れたところに洞穴らしきものを見つけた。
危険もなさそうだな……取り敢えずここにしよう。
ほどなくして洞穴に辿り着いた僕は改めて中を確認し、ゆっくりとアリアを立たせると、かなり落ち込んでいた。
迷惑を掛けてしまったと思っているのだろうが、そんなことで責める者はこのパーティにはいない。
まぁ……約1人、厳しいことを言いそうなゴスロリ服の少女がいるが、そこは耐えてもらおう。
内心でエールを送った僕はアリアの背を軽く押して、中に入るように促した。
それを受けた彼女は重い足取りで動き出し、壁際に座り込んだ。
どうやら、本格的に沈んでいるらしい。
時間が解決してくれるかもしれないが、放っておくことは出来なかった。
「アリア、そのままだと体調を崩すぞ。 着替えた方が良い」
「……はい」
「言っておくが、キミは何も悪くない。 敢えて言うなら、運が悪かっただけだ」
「ですが……最初からお兄ちゃんに任せていれば、何の問題も起こりませんでしたよね……?」
アリアは、僕が森の中の魔蝕教に気付いていたことをわかっている。
だからこその言葉なのだろうが、それでも彼女に非はない。
「確かにそうかもしれない。 しかしアリアは、僕にばかり頼ってはいけないと思ったんだろう?」
「……足を引っ張ってしまっては、元も子もありません」
膝を抱えて座ったアリアは、遂に泣き出してしまった。
元々、僕は人を慰めたり元気付けるのが得意とは言えない。
だからこそ、何をどう言えば良いかわからずに黙っていると、アリアのマイナス思考は更に加速した。
「わたし、このパーティに必要なんてしょうか……。 特殊階位じゃないですし、リルム様のような知識や才能もありません……。 ミゲルのときもヴァルのときも、あまり役に立てませんでした……。 そこに今回の失態です……。 いっそもう、パーティを抜けた方が良いんじゃ……」
さめざめと涙を流しつつ、どんよりとしたオーラを背負うアリア。
そんな彼女を僕は無言で見つめていたが、スタスタと歩み寄って目の前で片膝を突く。
近付いてもアリアは下を向いていたが――
「ふみゅ……!?」
何の前触れもなく、両手で頬を挟み込んだ。
ムニムニと顔を歪めながら、ビックリしているアリアをジト目で見やり、つらつらと語る。
「アリアはパーティに必要不可欠だ。 特殊階位かどうかなど、関係ない。 ミゲルのときもヴァルのときも、キミがいなければパーティが壊滅していた可能性すらある。 先ほども言ったが、今回のことは運が悪かっただけだ。 パーティを抜けるだなんて、聞きたくない」
「お兄ちゃん……」
「アリアのご飯は、僕にとって数少ない楽しみだ。 アリアのお陰で姫様たちが揉めたりしても、大事に発展しなかった。 アリアがいるだけで、僕の心が救われたのは1度や2度じゃない。 そう言う部分でも、キミは大きく貢献している」
「ひっく……ぐすっ……」
「アリアは大事な仲間だ。 これからも、一緒に戦って欲しい」
「うぅ……はい、お兄ちゃん……!」
抱き着いて来たアリアを、優しく包み込む。
今も涙を流しているが、だいぶ立ち直って見えた。
落ち着かせるべくゆっくりと背中を撫でて、頭をポンポンとする。
そのまま暫くの時が経つと、アリアは身を離――さず、僕の胸に顔を埋めたまま口を開いた。
「有難うございます、お兄ちゃん。 もう大丈夫です」
「そうか、良かった」
「わたし……もう迷いません。 最後までこの旅に付いて行って、お兄ちゃんたちの力になってみせます」
「これ以上、頑張ろうとしなくて良い。 その上で、強くなれる方法を一緒に探そう」
「は、はい、そうですね。 ただ、今日だけ……今だけは、甘えても良いですか……?」
「あぁ、構わない。 だが、先に着替えよう」
「わ、わかりました」
今更になって自分がびしょ濡れなことを思い出したようで、アリアは慌てて着替え――これもメイド服――を取り出した。
そのまま着替えを始めようとしたので、反射的に後ろを向こうとしたが――
「あの、お兄ちゃんになら……み、見られても平気です……」
「そうなのか?」
「は、はい。 だから、その……こっちを見ていて下さい」
明らかに恥ずかしがりながら、はっきりと言い切ったアリア。
それに対して僕は何も言わず、ただ真っ直ぐに彼女を見据えた。
僕の視線を浴びたアリアは1度深呼吸してから、震える手で着ているメイド服に手を掛け――
「無理をするな」
「……! お兄ちゃん……」
その手をそっと止める。
目を丸くして見上げて来たアリアと視線を合わせ、噛んで含めるかのように告げた。
「アリアが何を考えているのか僕にはわからないが、その行動はきっと間違っている」
「……」
「さぁ、早く着替えろ。 体を拭くのも忘れるな」
「はい……」
なんとか聞き入れてくれたことに安堵した僕は後ろを向き、自分の着替えも済ませる。
エレンのコートだけは出来る限りの手入れをしたが、他の服は適当に仕舞った。
そうしてようやく一息つこうとした、そのとき、あることに気付く。
「あ……」
「お兄ちゃん……?」
少し呆然とした僕の声を聞いて、訝しそうにするアリア。
しかし、それに答えることは出来ず、ずっと振動していたらしい遠話石を握り締めた。
すっかり忘れていたな……。
アリアよりもよほどのミスをした気分の僕は、意を決して応答し――
『出るのが遅いのよッ! どんだけ心配したと思ってんのッ!?』
予想通り、怒鳴られた。
事前に耳から遠話石を離していた為、鼓膜の安全は死守。
リルムの大声を聞いたアリアはビクリと震えていたが、取り敢えず放置して返事する。
「いろいろとあって……いや、言い訳は出来ないな。 すまなかった」
『まったく……。 それで? メイドちゃんは無事なんでしょーね?』
リルムは軽く言っているようだったが、そこに含まれた不安は隠し切れていない。
チラリとアリアを窺うと、固い顔付きながらも真っ直ぐに見返して来た。
そのことに満足した僕は1つ頷き、はっきりと言い放つ。
「勿論だ。 そちらこそ、魔蝕教は撃退出来たのか?」
『聞かなくてもわかってんでしょ? こっちは問題ないわよ。 まぁ、山から攻撃して来た奴だけ逃がしちゃったけど……』
「気にするな。 むしろ、あの状況で深追いしなかったのは正解だ」
『そうかもね。 ……あ、ちょっと待って。 お姫様がメイドちゃんと話したいって』
「わかった、こちらも代わろう」
そう言ってアリアに遠話石を手渡すと、若干躊躇しながらも受け取る。
そして大きく息を吐き出してから、たどたどしく話し始めた。
「えぇと……アリアです」
『アリア!? 本当に無事なのね!?』
「は、はい、全くの無傷です。 お兄……シオン様が助けてくれました」
『良かった……本当に……。 貴女に何かあったら、わたし……』
「ソフィア様……」
感情を爆発させた姫様。
姿は見えないものの、泣いているのが伝わって来る。
アリアも嗚咽をこぼしているが、2人が喜んでいるのは間違いない。
アリアは――たぶん姫様も――笑顔で話し続け、互いの存在を改めて感じているかのようだ。
その様を僕は微笑を浮かべて見守り、遠話石を返されてからリルムとの打ち合わせで締める。
『じゃあ、魔蝕教と遭遇したところで合流すれば良いのね?』
「あぁ、そこが1番わかり易いだろう。 こっちは寝床を確保出来ているから、魔家は使ってくれ」
『りょーかいよ。 あ! 2人きりだからって、メイドちゃんに変なことしないでよ!?』
「失礼する」
最後の最後でふざけたリルムを無視して、通信を切る。
本当に、何か言わなければ気がすまないのだろうか。
小さく嘆息した僕が遠話石を魔箱に放り込んでいると、横から熱い視線を感じた。
別の意味で溜息が出かけたが、なんとか堪えて声を発する。
「アリア」
「ひゃい!?」
「そろそろ寝よう。 明日は早くに出発するぞ」
「え……あ、はい……」
あっさりとした僕の言葉に、アリアはしょぼくれてしまった。
それが何故かは、ゲイツさんに忠告された今なら、なんとなくわかる気がする。
だとしても、僕の行動は変わらないが。
地面に厚めの布を敷いて、アリアに背を向ける形で横になる。
彼女はしばし立ち竦んでいたあと、やがて寝る体勢に入った――が――
「アリア……?」
僕の背に縋り付くようなアリアに、戸惑った声を掛けた。
しかし彼女は動くことなく、極めて小さな声を落とす。
「あ、甘えて良いって言ってくれたので……。 そ、それに、こうしていれば温かいですから……」
「……わかった」
間違いなく本心ではないが、敢えて追及するのは避けた。
その後は静かな時間が続き、そのまま眠りに入ろうかと思ったが、背後のアリアが微妙に身動ぎしている。
気にならないと言えば噓になり、仕方なく尋ねることにした。
「アリア、何か言いたいことがあるんじゃないか?」
「そ、その……はい……」
「甘えて良いと言ったのは、まだ有効だぞ?」
「じ、じゃあ……聞いても良いですか?」
「何でもとは言えないが、可能な限り答える」
流石に無条件とは行かない。
もっともアリアなら、それほど踏み込んだことは聞いて来ないだろう。
そう考えていた僕の耳に――
「お兄ちゃん……わたしにキスしましたよね……?」
予想外の言葉が聞こえた。
思わぬ問い掛けに僕は言葉を失いかけつつ、平静を保って言い返す。
「キスではなく、人工呼吸だ。 不本意だったかもしれないが……」
「不本意じゃないです!」
ガバッと身を起こして叫ぶアリア。
あまりの勢いに驚いた僕は同じく体を起こし、正面から彼女と視線を交えた。
怒っている訳じゃないが昂っており、目尻には涙を浮かべている。
そんな彼女の頭を撫でた僕は、なるべく優しい声を心掛けて言葉を紡いだ。
「落ち着け。 大声を出したら、モンスターが寄って来てしまう」
「……すみません」
「僕の方こそ、気に障るようなことを言ったならすまない」
「い、いえ。 お兄ちゃんは悪くありません。 ただ……」
「ただ?」
「……わたしの気持ちも、わかって欲しいなって……」
視線を下げて、アリアは頬を赤らめた。
なるほど、ルナが言っていた態度と言うのは、こう言うことかもしれない。
漠然と理解した僕はアリアの頭を撫で、言葉を選びつつ告げる。
「キスか人工呼吸かは置いておくとして、口付けしたのは確かだ」
「やっぱりそうなんですね……」
「あぁ。 不本意じゃないらしいが、それに関して思うことはあるんだろう?」
「……はい」
「言ってみろ」
僕に促されたアリアは、あちらこちらに目を泳がせた。
相当言い難いようだが、ここは黙って待ち続ける。
すると、遂に覚悟を決めた彼女が、真っ赤な顔で言い放った。
「やり直し……して欲しいです」
「やり直し?」
「はい。 ファーストキスがぼんやりとした記憶なんて……嫌ですから……」
モジモジとした上目遣いで見られて、思わず胸が高鳴る。
アリアが可愛いのは充分わかっていたつもりだが、輪を掛けてそう感じた。
しかし表には出さず、敢えて無言で彼女の両肩に手を置く。
ビクッと肩を震わせながら、アリアは逃げることなくこちらを凝視していた。
そうして僕は、ゆっくりと顔を近付け――
「ん……」
唇を重ねる。
これがどう言う意味を持つのか、恐らく僕は正しく認識出来ていない。
正しいか正しくないかで言えば、正しくない気もする。
それでも、今は彼女の望みを叶えよう……そう思った。
ルナのときほどは長く続けずに、頃合いを見て姿勢を戻す。
間近で見たアリアは熱に浮かされたようだったが、決して悪い意味じゃない。
やるべきことを終えたと考えた僕は、呼び掛けようとして――唇を塞がれた。
今度はアリアからのキスで、細かく啄むように何度も繰り返している。
キスをしては少し離れ、離れたかと思えばキスをされ……どれだけの時間が経っただろうか。
最早、数え切れないほどキスを繰り返した僕たちだが、ようやくして本当に距離を取る。
比較的平然としている僕に対して、息も絶え絶えなアリア。
だが、どことなく幸せそうにしており、こちらとしてもなんとなく安心した。
ところが、そんな彼女から飛び出したのは意外な言葉。
「もう少し、良いですか……?」
「……あぁ」
まさか、まだ足りないのか……?
どう見ても正常ではないとは言え、ここで止めるのはむしろ危険。
最後まで付き合うと決めた僕は、その後更にキスの回数を増やし――翌朝起きる時間を、少しだけ遅らせることになった。
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