第29話「間男の危機(間男視点)」

「やあ、夏山君。まずはそこに座って」



 塾が本格的に稼働しているのは基本的に夕方から夜にかけてだ。

 これは客のことを考えれば猿でもわかるだろう。

 学生が放課後に立ち寄るのが、塾というものなのだから。

 だから、今。

 昼の12時、呼び出された時間には俺と塾長しかいなかった。

 そのことが、事態が切迫していることを物語っていた。



「塾長、待ってくださいよ。俺はーー」

「夏山君」



 塾長は、黒縁の眼鏡をずり上げると、表情一つ変えずに、冷淡に言い放った。



「そこに座りなさい」

「……はい」

 



 席につかない限り話をする気はないらしい。

 俺は勧められるがまま椅子に座り、机を挟んで塾長と対面する形になった。

 緊張しつつも、俺はなんとか言葉を搾り出す。



「どういう、ことですか、バイトをクビって……」

「じゃあ、君には全く心当たりがないのかな?」

「ありませんよ、心当たりなんて」

「……そうか」



 塾長は、ため息をついて。

 メガネの奥にありありと失望を浮かべて。

 机に、一枚の写真を置いた。



「なんですか、これ」



 俺が、生徒の一人と手をつないでいる写真だった。

 言うまでもなく、未成年だ。

 しかも、場所がまずい。

 行きつけのラブホテルだった。

 それこそ冬美との密会でもよく使っていた場所。

 かなり穴場のホテルなのに、なんでバレた?



「うちの塾では、生徒との交際は認めていない。まあ、認めている塾なんて存在しないとは思うがね。さて、それを踏まえたうえで夏山君、何か反論はあるかな?」

「……そ。それは、その、これはあれですよあれ」

「あれ?」

「たまたま、生徒とばったり会っちゃって、それで向こうがふざけてじゃれてきたんですよ?」

「ほほう」

「だいたいなんですか、こんな写真。盗撮じゃないですか!俺はもちろんこの子のためにもならないですよ。俺じゃなくて盗撮魔をどうにかしたらどうですか?」



 俺は抗弁する。



「ふざけるなよ、お前」



 がたんと、音がして。

 俺は椅子から落ちて、床にへたり込んでいることに遅れて気づいた。



「な、なんだ、これ?」



 かちかちと、歯の根が合わない。

 ようやく気付いた。

 これは、俺が恐怖しているのだ。

 ビビッて椅子から転げ落ちて、体が震えた。

 この俺が、塾長ごときにビビったってのか?

 ありえない。許せない。



「お前、自分が何をしたかわかっているのか?」

「だ、だから生徒の相談に――」

「お前がやったことは、この塾の信用を毀損する行為だ。塾というのはただ勉強を教えるところではない。学校になじめない子や、勉強が苦手な子供たちを導くための場所でもある。そして、そんな救済機関が、絶対にやってはいけないことがある。それが何かわかるか?夏山」

「し、知らねえよ」

「そうか、ならば教えてやろう」



 塾長は、ガシッと俺の襟首をつかんで持ち上げた。

 細身の体のどこにそんな力があるのか。



「生徒に、危害を加えることだ。それだけは、絶対にしてはいけない」

「俺は別に――」

「肉体関係を結んだだけで、傷つけたわけじゃないとでも?何人もの女の子に手を出して、弄んで、捨てて……それが傷でないとどうして言えるんだ。それが、許されると思うな」

「わ、わかりました、すみません、もうしません」



 大の大人に怒鳴りつけられたことなどなかった俺は、震えることしかできなかった。



「このことは、君の親に報告させてもらうよ。あと、警察にもね」



 そう言われて、俺は今度こそ完全に固まった。



「え、な、なんで、警察が出てくるんですか?」

「あまりにも悪質すぎるからね。中学生からも被害が出ている。それに君は、賠償金を取ってもなお反省しないだろう?」

「そんなの横暴だ!やりすぎだろ!何の権利があってそんなことを!」



 冷や汗が滝のように噴き出してくるのを抑えられない。

 はっきり言っておこう、大学に報告されるのが一番まずい。

 塾と俺の話なら、あるいは俺と女どもの話ならば、どうとでもできた。

 いずれも示談に持ち込めばいい。

 親が支払ってくれるから、いくら請求されてもどうにかなるし、もみ消せる。

 しかし、警察はダメだ。

 俺は今年卒業を控えている。

 就職先だって、もう決まっている。

 この状況で未成年略取が明るみになってしまえば内定取り消し、卒業取り消しどころか除籍処分の可能性すらある。



「ま、待ってくれよ、塾長、それだけは……」

「待たない。そもそも、これだけ被害を出しておいて、何のダメージも受けずに終われると思わないでくれ。生徒だけじゃなくて、講師についてもそうだ」



 ぎくりとした。

 まさか、こいつ、生徒のことだけじゃなくて秋島の――冬美のことまで?

 つまりは、後輩の彼女を奪ったことまで知っているということだ。

 俺の情報をどこまで知っている?

 


「話は終わりだ。私はこれから授業の準備がある」

「な、なあ待ってくれよ」

「出ていきなさい。部外者にも外道にも、私は用はない」



 部外者。

 つまり、俺のクビは決定事項であり、話し合いの余地はないということだ。

 俺は怒りに全身を焼かれるような感覚を味わっていた。



「くそっくそっくそがあ!」



 俺は椅子を蹴飛ばして塾を出て行った。

 大丈夫だ、こんなところで終わるはずがない。

 親父に頼んでもみ消せばいい。

 大丈夫だ、俺はまだやれるはずだ!

 俺はこんなところで終わったりしない!



 ◇



 五十嵐が、のそのそと、別の机の下から這い出してきた。

 彼女もまた当事者、密告者としてその場にいたのだ。



「塾長、いいんですか?あそこまで言っちゃって……」

「何、子供を守るのが私の責任だからね。まあ、全く守れなかったわけだが」

「……塾長のせいではないと思いますが」

「だとしても、だよ。私が本来解決するべきことだったはずだ」

「これであいつは捕まるんですかね」

「そうなることを願うばかりだよ。さて、生徒達のアフターケアについて話そうか」

「はい!」

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