【なぜヌードか】布施 英利『ヌードがわかれば美術がわかる』

ヌードがわかれば美術がわかる (集英社インターナショナル新書)

布施 英利 (著)

発売日 ‏ : ‎ 2018/8/7



 ヌードとはなにか? なぜ美術館にはヌード作品が多いのか? なぜ街なかにヌードの絵画が飾られていてもなんの問題にもならないのか? ――それは芸術の戦いのひとつの勝利であるとしながら、その謎に答えるべく、著者は古代から中世、近世から現代の絵画史をひもといていく。


 ヌード表現は、先史時代の壁画や土偶にも見受けられる。それは彼らが信仰する地母神の象徴としての意味合いがあった。

 古代ギリシアの時代になると、初期においては女性のヌードはほとんどなく、男性のヌードばかり。それは、当時のオリンピア(現在のオリンピック)という肉体の祭典が、男性主体かつ全裸で行われていたことがある。なるほど、表舞台に現れた勇壮な男性は常に裸でいたというわけだ。

 石像において、男性はヌードで、女性は着衣という時代が長く続く。だが、その不均衡状態はいずれ終わりを迎える。ある時、女性を描いたヌード表現が出現する。それが『クニドスのヴィーナス』(前350年~前340年頃)なのだという。クニドス(現・トルコ南西部)が性に寛容な土地柄だったことが理由としてあるらしいが、それ以来女性のヌード像が多く作られるようになる。


 その過渡期において、女性像に男性的特徴が見られることを、著者は指摘する。例えば、『ミロのヴィーナス』は、広い骨盤周りをもつ女性像にしては筋肉美にあふれており男性的である。つまり、ギリシアのヌード彫刻は「両性具有」的なのだ。こうした両性具有的な思考が『眠るヘルマフロディトス』のような退廃的な美につながり、中世の暗黒時代には再びタブー化されたのではないかと著者は見る。


 再びヌード美術が花開くのは、ルネサンス時代においてである。著者は、ボッティチェリ『春』『ヴィーナス誕生』、ミケランジェロ『夜明け』『昼』『夕』などの作品群、『囚われ人(多血質)』を題材に、歴史的な影響関係を読み解く。

 近代美術の項では、ロダン彫刻の筋肉美、レオナール・フジタと黒田清輝の作品に焦点を当てる。ロダンの筋肉美には改めて惚れ惚れするだろうし、フジタと黒田の師弟関係には感慨を覚えることだろう。


 ここまで読み終えれば、冒頭の謎に対する答えが見えてくるはずである。そして、美術のたどってきた歴史に理解を深めているはずである。

 最後の章では、「ヌードのための人体解剖学」と題し、骨格・筋肉の説明がつづく。人体構造の理解なしに、人物画を理解することはできないと痛感する。


 ヌードの秘密をひもとくと、そこには原初から続く「芸術」という人間の営みが見えてくる。『ヌードがわかれば美術がわかる 』というタイトルに偽りはない。

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