第3話 夕暮れに、ドラゴンに乗る

 イリヤ君を、怒らせちゃったのかな……。

 そう思う私の横で、ライムさんはエルくんに言う。


「エルくん、この部屋、響ちゃんのスマホが圏外だから、電波が入る様にして。そうだ今後のために、ダンジョン全体にスマホの電波が入る様にしてよ」

「ウチの魔法は、電話会社の工事か?」


 文句言いながらも、エル君は作務衣のふところから、カードと羽ペンを取り出して、何やらサラサラと書きつけた。

 私は不思議に思ってたずねる。


「あの、それ、何やってるんですか」

「マジックカードに、魔法の羽ペンで術式を書き込んどる。ウチらエルフは、こうやって魔法を使うんや」


 うわ、魔法って言ってる……。


「え、凄い。それ、私でも出来ますか?」

「エルフやから魔法が使えるんや。響さんが使っても、ただの紙とペンや」


 すぐにスマホの画面にアンテナが立った。凄い、本当にエルくんは魔法を使えるんだ。

 そこからの、ライムさんの行動は早かった。

 私にすぐ電話をかけさせ、叔母さんが出ると、ライムさんが代わる。


「うちの子が、道ばたで具合を悪くしたのを、響さんが病院に運んでくれまして。おかげで大変、助かりました。ご連絡が遅れて申し訳ありません。すぐ、うちの車でお送りいたしますので」


 横で聞いている私が感心するくらい、ライムさんは、電話の向こうの叔母さんを、うまく言いくるめた。


「じゃ、おうちに帰ろうか」


 そう言うとライムさんは、乾いた制服と、大きめのレインコートを私に渡すと、着替えのために、部屋に一人にしてくれた。

 この制服、どうやって乾かしたのかしら。普通なら乾燥機にかけるんだろうけど、ここへ来てからは、変な物ばかり見ているので、余計な想像をしてしまう。

 制服に着替え終わってから、レインコートはどうしよう、一応、傘は持ってるんだけどな、と思っていると、ライムさんが部屋に入ってきた。


「あ、傘は飛ばされるから使えないわ。あとカバン貸して。しまっちゃうから」


 カバンを、どこにしまうんだろう。不思議に思いながらカバンを渡すと、ライムさんは少し困った様な顔で言った。


「今さら、何を見ても驚かないよね?」


 でも私は、やっぱり驚いてしまった。

 彼女は私のカバンを、ズブズブと、自分のお腹の中に入れてしまったのだ。


「ラ、ライムさん、それ」

「ああ、汚くないから大丈夫よ。ベトベトにもならないし」

「そうじゃなくて、なんで、お腹の中にカバンが!」


 ペロッと舌を出して笑うと、ライムさんは言った。


「私、スライムなのよ。隠していた訳じゃないけど、黙っていて、ごめんね」


 スライムって……。あの、ファンタジーでよく見る、ゼリーみたいな生き物?

 次の瞬間、まるで氷が溶けるのを早送りで見る様に、ライムさんの体がくずれて、床一面に広がった。びっくりしている私の耳に、ライムさんの声が聞こえる。


「大きさが同じくらいの物ならば、何にでも化けられるわ。あ、私が女の子なのはホントよ。男の子にも化けられるけど」


 そう言うとライムさんは、ムクムクと人の形になり、イリヤくんの姿をとった。

 と思ったら、またドロッと溶けて、エルくんの姿になってみせる。


「えっと、いろいろと説明して欲しいです……」

「それは今夜、響ちゃんが寝た後でね。とりあえず帰るわよ」


 女の人に戻ったライムさんがピィッ、と口笛を吹くと、大きな窓がひとりでに開いた。外にいたドラゴンが、長い首をヌウッ、と部屋の中に突っ込んでくる。


「ひいいっ!」


 思わず逃げようとする私のえり首を、ライムさんがつかむ。

 私はそのまま、ライムさんに引きずられる様にして、ドラゴンの長い首に乗せられた。


 なに、これからどうなるの。

 ウロコがザラザラするドラゴンの首にまたがりながら、私は戸惑っていた。

 ライムさんは、私の後ろから抱きしめる様に、両手を回して言う。


「私がつかんでいるから大丈夫だけど。落っこちないようにしてね」

「落っこちるって、なんの事ですか?」


 答えるより先に、ライムさんがもう一回、口笛を吹くと、私たちを乗せたドラゴンは、部屋の中に入れていた長い首を引っ込めた。

 その首にまたがっている私たちも、窓の外へ出る。

 ちょっと待って、これ、まさか。

 次の瞬間、大きな翼をはばたかせて、ドラゴンは空へと舞い上がった。


「ひっ!」


 私は振り落とされない様に、ドラゴンの首にしがみついた。


 何か、大きな布みたいなものが、私の体をつつみこんで、ドラゴンの首に巻き付いている。後で気が付いたけれど、それはライムさんが自分の体を平べったくして、私が落ちない様に、ドラゴンの首に固定してくれたのだった。


 雨が降る真っ暗な夜空を、ドラゴンは凄いスピードで上昇していく。

 パラパラと雨が身体に当たった。まるで遊園地の絶叫マシーンだ。

 ライムさんが押さえてくれているとはいえ、私はただ、目をつぶってドラゴンの首にしがみついているしかなかった。


 どのくらい、しがみついていただろう。

 ドラゴンが急上昇をやめたと同時に、顔に雨が当たる感覚が消えた。

 両目を開けた私は、その前に広がる光景に声を上げた。


「うわぁ……」


 視界一面に雲の海が広がり、その上に、こうこうと満月が輝いている。

 雨がやんだのではない。私たちが乗ったドラゴンは、雨雲を突き抜けて、その上に出たのだ。

 雨って、雲の上だと降っていないんだ。私は、当たり前の事に感心した。雲の上になんか来た事ないんだから、仕方がない。

 ドラゴンはゆっくりと、雲海の上を飛んで行く。

 私の耳もとで、ライムさんが言った。


「響ちゃんの家、このあたりよね?」


 そうだ、ライムさんは、さっき叔母さんと電話して時に、家の住所を聞いていたっけ。

 もう着いたんだ。学校まで、電車を乗り継いで一時間半はかかるのに、ドラゴンで飛んできたら、すぐだ。もっとも、どこから飛んできたのか、わからないけど。


 みんな、あの場所をダンジョンと呼んでいた。

 ダンジョンって、ファンタジー作品に出てくる地下迷宮の事だよね。でもこの日本に、そんなものが、あるのかな?

 そんな事を考えていると、ライムさんが言った。


「じゃあ、下りるよ」


 私は戸惑った。私の家、すなわち叔父さんと叔母さんの家は、住宅街にある一軒家だ。タクシーならぬドラゴンが家の前に降りたら、大騒ぎになっちゃう。


「私がしっかりつかまえているから」


 そうライムさんが言うのを聞いて、嫌な予感がした。

 そして、その予感は的中した。

 

 ライムさんは、のばした両腕を、スルスルと私の体に何重にも巻きつけた。

 そして、そのまま、雲の上を飛んでいるドラゴンから、飛び降りたのだ。


「いやああああああ!」


 雲を突き抜け、私はライムさんと一緒に、風を切って落下して行く。

 耳もとで風がビュウビュウ鳴り、髪の毛が激しくはためく。

 前にテレビでスカイダイビングの映像を見て「私には出来ないな」と思ったが、今、やってしまっている。


 私とライムさんは、ぶ厚い雨雲を突き抜けた。住宅街の明かりが、星空の様に広がっているのが見える。

 キレイ……だなんて思っている余裕はない。私たちは、そこに向かって凄いスピードで落ちているのだから。


 どんどん落ちて行って、もうだめだ、と思った時。

 急にグン! と上に引っ張りあげられるショックが、私の体を襲った。


 ライムさんが、体を薄く広くのばして、風を受けて落下スピードを落としたのだ。

 パラグライダーの様な姿になったライムさんに、しっかりと掴まれながら、私はゆっくりと住宅街に降りて行った。


 道路に降り立った私は、膝から崩れ落ちそうになった。人の姿に戻ったライムさんが、慌てて抱き止めてくれる。


「何も言わずに飛び降りてごめんね。言ったら、響ちゃん反対すると思ったから」


 そりゃするよ! と私は思った。

 ドラゴンに乗って雲の上を飛んで、スカイダイビングするなんで、今朝、登校する時は予想もしなかった。


 その後、ライムさんはお腹からカバンを取り出して私に渡すと、一回り年上のおばさんに姿を変えて、叔父さんの家のブザーを押した。


「響! 心配したんだよ!」


 叔母さんより早く、二つ年上の従姉の恵ちゃんが、サンダルをつっかけて玄関から飛び出し、私に抱きついた。

 恵ちゃんは、私がこの家に来てから、本当のお姉ちゃんみたいに接してくれる。叔父さんと叔母さんも優しいけれど、私は何でも話せる恵ちゃんも大好き。

 ライムさんは叔母さんに「病気になった息子を私が道端で見つけて、病院に連れて行ってくれた」と言うウソを話していた。

 いや、その「息子」というのをイリヤくんにすれば、まんざら嘘でもないんだけど。

 叔母さんと互いにペコペコおじぎをしあった後、ライムさんは帰って行った。

 こっそり「響ちゃん、またね」と私に囁いて。


 その後、私は恵ちゃんに「やっぱ響は立派だよ! 倒れている人を助けるなんて」と褒められながら晩ご飯を食べた。

 叔父さんも叔母さんも「良い事をしたね」と言ってくれて、帰りが遅くなった事を怒ったりはしなかった。


 その日は、イリヤくんたちと出会ったり、ドラゴンに乗ったり、スカイダイビングをして興奮していたからか、私は、いつもより口数が多かった様だ。ご飯をおかわりしながら、恵ちゃんが私に言った。


「響、最近、元気がない感じだったけど、また明るくなって安心したよ」


 その言葉に、私の心はズキン、と痛んだ。

 そうだった。私、昔は活発で元気な子だった。

 でも二年前に、事故でお父さんとお母さんが死んで。あの頃の私は、その悲しみを忘れようと、受験勉強にのめり込んだんだ。

 お父さんとお母さんが、私を入れたがっていた聖陽学院に、必ず合格するんだ、と。

 だから、あまり友達と、はしゃぐ様な事は、しなくなってしまった。


 しかも合格して入った学校で落ちこぼれて、ずっと、ゆううつだったけど。

 今日、イリヤくんたちと出会って、刺激を受けた気がする。

 その日は、成績が悪くて先生に呼び出された事は、叔父さんや叔母さんには言いだせなかった。

 ご飯の後、お風呂に入って、私は眠ってしまった。


 だが、とんでもない一日は終わっていなかった。

 そう、私はライムさんの「寝た後で説明するから」という言葉を忘れていたのだ。



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