第4話 米映画「Hearts and Minds」1976年
「ベトナム戦争(1960~75年)勃発から50年(この映画のDVD版がリリースされたのが2010年)、映画で見る(ベトナム)戦争の真実」という副題の示す通り、戦争の裏表(殺す側と殺される側の論理)を取材することで、ベトナム戦争のみならず、戦争というものの真実を描き出した秀作です。
<テロップ>
「ベトナム戦争の真実を克明に描いた、その衝撃的な全貌から見えてくる、なにも変わらない世界のいま」
「1971年1月31日帰還兵たちは真実を語った。」
同時放映された映画「Winter Soldier ベトナム帰還兵(アメリカ人)の告白」から
「逃げたり、不審な行動をしベトコンと見なされた者は必ず殺された。」
「生きている現地人はautomaticallyにベトコンと見なしていた。」
「川岸を逃げる人々を(ヘリコプターから)撃った。戦争映画のようだ、と新聞に載った。女子供も皆殺しにしたんだ。合計291人だ。」
「動いている者はすべて殺した。拷問もした。」
「ベトナム戦争は殺した敵の数で評価が出る。」
「戦争では僕も獣(ケダモノ)だった。」
「殺した証拠(として上官に見せるため)に、何人もの耳を削いで持ち帰った。」
「夜、高空のB52爆撃機からナパーム弾をばらまくと、地表が真っ赤になって綺麗だった。人々が殺され、うめき苦しむ声はもちろん、爆音さえも聞こえない。」
「なぜやったのか、説明できない。」
「これ以上言えない・・・。」
「でも、ベトナムでの恐怖の日々を伝える義務がある。」
「アメリカ国民は欺されていたんだ。」
「この戦争は止めるべきだ。」
アナポリス海軍士官学校やウエストポイント陸軍士官学校(日本の防衛大学に相当)のエリートたちは、自分の手を汚さない。命令もしない。「ペンタゴンからの作戦実行を指示」するだけ。
村を焼き払い、女子供まで皆殺しにし、その罪の意識から後悔したり麻薬に走ったのは、全員が徴兵された一般国民なのです。
<ウイッキペディアによると> 最終的な数字
推定戦死者 285,000(戦闘員)
行方不明者 1,490,000
民間人死者 1,581,000 推定戦死者 1,177,000
(ロシアのプーチン大統領が「1945年、アメリカが広島・長崎に落とした原爆・水爆で50万人の住民が殺された。」と述べたそうですが、それが正確な数字でしょう。1945年3月10日の東京大空襲でも同じくらい亡くなっているのに、アメリカの圧力で報道規制され、「10万人」に犠牲者の数が減らされたのです。
上記ウイッキペディアの数字は、(アメリカによって捏造されたものではなく)ベトナム側の発表によるものでしょうから、ほぼ間違いないと思われます。
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アメリカ軍の撒いた枯れ葉剤で7人の子供を失った、棺桶屋の親父は言いました。
枯れ葉剤:除草剤の一種。アメリカ軍がベトナム戦争で化学兵器として使用したダイオキシンを含むものは、特に毒性が強く、散布地域に癌・先天性異常・流産・死産などが多発。広辞苑 第七版 (C)2018 株式会社岩波書店
<棺桶屋の親父の話>
週に800~900(棺桶を)作る。俺も7人子供を亡くした。大勢死んだが、田舎ではもっと大勢死んでいる。田舎では棺は使わない。買う金がないんだ。
「あなたのお子さんの死因は?」
毒だ。飛行機が撒く薬(枯れ葉剤等)が原因で大勢死んでいる。腸をやられるらしい。あの薬と爆弾で大勢が殺された。毎日、同じ時間に爆弾で穴ができる。一日に何百トンも落とす。でも、(南ベトナム)政府が恐いからこの話はできない。
→ 現在の日本政府・警察と同じ監視社会。
親父は取材班に対し、最後にこう言います。
「アメリカへ帰ったらニクソン大統領に言うがいい」
「アメリカが何十年戦おうとベトナムは征服できない。」
「食べる米がある限り、俺たちは戦い続ける。」
「米がなくなったら、また耕して戦う」と。
「国民が主権を握っていない国や、政府が民衆の敵になってしまった国では、(私たち)囚人こそ愛国者よ。どれほど激しく虐待されようとも、誇りを持てるわ。私たちは自由だもの。政府のお役人と違って、誰の奴隷でもないのよ。」
ゴ・バ・ダン(アメリカの傀儡である南ベトナム政府に抗議し、ベトナム戦争終結まで何年も牢獄に入れられていた女性政治犯)
→ 「頭・知識・お勉強」「図書館や大学の研究室」からではなく、「心と精神・Hearts and Minds」「劣悪な監獄」から出た言葉。 → 彼女は復讐なんてしませんが、長く苦しい無実の監獄生活を耐え抜いたという意味では、ベトナムの(女)巌窟王(大デュマ)か
「ベトナムは1200年間中国と戦い、100年間フランスと戦い、1954年に外国の支配から脱した。だが、その直後にアメリカが介入してきた。そして、50万人のベトナム人(一般民衆)が虐殺された。」ベトナム人神父
「アメリカ人はベトナム人を野蛮人と呼ぶが、ベトナムには5000年の歴史がある。侵略するアメリカ人こそ野蛮人ではないか。」ベトナム人僧侶
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<米国のエスタブリッシュメントの言葉>
「我々が理解できず常に驚かされるのは、ベトナム共産軍で戦う者の心理だ。穴倉で暮らし、報酬もなく、ボロを着て米軍の爆撃に耐える。」元国防相顧問アメリカ人 → アメリカ人や韓国人には、真の愛国心というものがわからないのです。
ベトナム派遣軍司令官 ウィリアム・ウエスト・モーランド大将(1964年~1968年)の言葉。
「東洋では西洋ほど命の値段が高くない。人口が多いから、命が安くなる。」
「東洋の哲学からも、それが感じられる。」
「(東洋人にとって)生命は重要ではないのだ。」
→ これがベトナム戦争における、アメリカ軍最高司令官の言葉なのです。
私はこの映画(2024年の現在、ビデオで見れるのと異なるバージョン)を、1975年(昭和50年)8月、ある日の深夜(普通の時間帯では放映できなかった)テレビで観ました。
この映画でアメリカを嫌いにはなりませんでしたが、モーランド大将のこの言葉だけは、耳に焼き付いていました。
→ 「貧乏人は麦を食え」と同じ「上級国民」の発想といえるかもしれません。
→ モハメド・アリは、こういう差別意識の強い白人が嫌いで、ベトナム戦争で徴兵拒否をしたのです。「How Muhammad Ali defended his decision not to fight in Vietnam - in his own words」
2024年10月28日
V.1.1
2024年10月29日
V.2.1
平栗雅人
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