種はいつか大きくなって

幸まる

第1話 突然の偏食

領主館の厨房では、領主一家の昼食が出されて終わり、料理人達が順番に休憩に入り始めていた。

料理を盛り付けて給仕に引き継ぐまで戦争状態だが、食堂から食器と残食が返ってくるまでは、厨房の雰囲気も和らぐ。

隣の広間では賄いが提供されて、多くの使用人達が、短い午後の休憩を楽しんでいた。




厨房の奥の小さな造り付けの棚の前に立ち、ベーカリー担当料理人オルガは一つの瓶に手を伸ばした。

棚に整然と並んだ瓶は、どれも半分程の高さまで液体が入っていて、口は麻の布で塞がれている。

手にした瓶の状態を目で確認し、耳に近付けて音を聞くと、オルガは嬉しそうに表情を緩めた。


「オルガ〜、何、その幸せそうな顔!?」


ヒョロリと高い背を屈めて、オルガの顔をひょいと覗き込んだ副料理長が言った。

オルガは緩んでいた表情を急いで引き締めると、瓶を棚にそっと戻す。


「いいでしょ、可愛いたちなんだから」

「そんなにが可愛いなら、早く料理長ダンナと子供作っちゃえば……あいてててっ!」


後ろから伸びてきた大きな手で、耳を掴まれて引っ張り上げられ、副料理長は堪らず爪先立ちになって悲鳴を上げる。

掴んだのは料理長だ。

目つきの悪い目を更に吊り上げ、容赦なく力を込める。


「どこの世話焼きだ、お前は!」

「イテテ! 分かった、こめん、ごめんって!」


パッと手を離されて、副料理長はその場にしゃがみ込んだ。


「……まったく、独り者のやっかみなんだから、ちょっとからかうくらい大目にみろよ」


離された耳をさすりながら言えば、「あぁ?」と更に凄まれて、副料理長はぶるぶると大袈裟に震えて見せた。


料理長とオルガは、今年初春に結婚した。

こんな軽口を叩けるのは、副料理長がずっと二人の恋の進展を見守ってきたからだ。


まあ、余計なお世話であることは間違いないのだが。


「料理長、残食戻りました」


三人がそんな遣り取りをしている内に、見習いの一人が、廊下側から顔を覗かせて声を掛けた。

副料理長がサッと立ち上がると、三人は厨房入口に急いだ。




「また、召し上がらずか……」


料理長をはじめとした料理人達が覗き込んでいるのは、領主一家が食事を終えて、食堂から戻って来た残食だ。

その残り具合を見て、何が良く、何が悪かったか分かることも多く、メニューの改善にも役立つ。

その為、主だった料理人達は毎食欠かさず残食をチェックするのだ。


しかし、今問題なのは、末娘エミーリエの主菜が手付かずだということだ。

目の前にある皿は、ソテーした鶏肉が盛り付けした時のまま残されている。

パンと付け合わせのサラダ、フルーツは綺麗に完食しているが、ベーコンの入ったスープは、野菜が少し減っている程度だ。


見るからに、肉や魚を避けている。


「これで何日目だ?」

「ご家族でお出掛けされてからだから、ちょうど一週間ね」


料理長の問いに、オルガが答えた。


エミーリエの偏食が始まったのは、領内にやって来た周遊サーカスを観るため、一家が揃って出掛けてからだ。

その日の昼は富裕層向けのレストランで食事をしたのだが、帰宅後の夕食から偏食が始まった。


レストランで提供されたメニューは事前に厨房で確認してあり、特に問題はなかった。

同行した侍女に確認したが、エミーリエはとても美味しそうに食べていたという。


「一体何が原因だ?」

「さあ……。それよりも、この偏食はお嬢様の成長にも悪影響よ。放っておけないわ」


オルガが言えば、腕を組んでいた料理長が低く言う。


「そうだな。ひとまず、肉や魚以外で必要な栄養素を補おう」


料理長の提案に、料理人達は頷き合ったのだった。





数日後の午後、前領主である老紳士は、孫であるエミーリエと共に、温室の一角に腰を落ち着けていた。


老紳士のお気に入りの場所は、庭園の四阿あずまやだ。

気候の良い時期は午後に庭園を散歩し、四阿で休憩をするのが日課だが、さすがに外気温が下がった今は難しい。

温室の一角には庭園の四阿に似たテーブルとイスが置いてあるので、寒い時期はそこで休憩を取ることにしていた。



「美味しいかね、エミーリエ」

「はい、おじいちゃま」


老紳士が尋ねると、向かい合って座っているエミーリエは、口の端にベリーソースを付けてニッコリと笑った。

ショーケースに並ぶ高級な人形のように可愛らしい彼女だが、いつもならふっくらとした桃色の頬が、今はどことなく血色が悪い。


それもそのはず。

偏食は十日以上続いているのだ。


誰が尋ねても理由を言わず、宥めてもすかしても偏食を続ける娘に、母である領主奥方がやや強引に食べさせようとして泣かせてしまったのが、今日の昼だ。

見かねた老紳士がエミーリエを散歩に誘い、休憩のお茶の席で、甘いデニッシュを茶菓子に出させた。

食事をちゃんと食べないのなら、菓子は抜きだと言われていたエミーリエは、出された甘いデニッシュに、満面の笑みで齧りついている。


元々食いしん坊で、特に甘いものが大好きな彼女だ。

この十数日は、楽しいものであったはずがない。



「エミーリエや、どうして食事を楽しめなくなったのか、おじいちゃまにこっそり教えてくれないかね?」


エミーリエがデニッシュを二つ平らげるのを待って、老紳士はそっと尋ねた。

ビクリと身体を揺らし、不安気にエミーリエが顔を上げると、老紳士はニヤリと笑って小さく後ろを指差した。


「ほら、今なら口喧しいルイサ侍女も離れておる。おじいちゃまと二人だけだよ」


見れば、老紳士の言動に常に辛辣なツッコミを入れる専属侍女ルイサは、いつの間にかエミーリエの侍女を連れて、離れた場所に待機していた。



エミーリエは、キョロキョロとそばに誰もいないことを確認してから、両手をもじもじとさせて口を開く。


「あのね、おじいちゃま。お肉やお魚は、生きていたのでしょ? それを美味しそうに食べるのは、とっても“むごい”ことなのでしょ?」

「んん? 誰かにそう教えられたのかね?」

「……はい。エミーリエは悪い子だって……」


突然、わっとエミーリエが泣いたので、エミーリエの侍女が慌てて近寄ろうとしたが、ルイサが止めた。

それを横目で確認して、老紳士はエミーリエを抱き上げて膝の上に乗せ、ゆっくりと背中を叩いた。


四歳になったばかりのエミーリエは、子供なりに何かを考え、我慢していたのだろう。

暫く抱かれたまま泣きじゃくっていた。




ようやく落ち着いて泣き止み、顔を上げたエミーリエは、変わらず微笑んで見返す祖父にほっとした様子を見せた。


「ごめんなさい、おじいちゃま」

「何を謝るかね? 久しぶりに孫娘を抱き上げられて、役得だわい」

「役得?」

「得をしたということだな。最近は、やれ腰を悪くするだの、膝が痛むからだのと、好きなように動かせてくれんのだよ、あのルイサ煩いのが」


老紳士がわざとらしく顔をしかめたので、エミーリエは楽しそうに笑った。



老紳士はエミーリエを降ろすと、立ち上がって腰を伸ばす。

そして杖を持つと、空いた方の左手をエミーリエに差し出した。


「さあ、エミーリエ。おじいちゃまともう少し散歩しようかな?」

「お散歩ですか? はい」


エミーリエはニッコリと笑って、固くて温かな手を握った。




(第二話につづく)

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