第18話 小悪党
刃竜との戦いの翌日。日が登ってすぐに、グレンとアリスは報告のために長の家に来ていた。
「治療だけじゃなく、魔獣まで始末して頂けるとは」
「いえ、それほどではありません」
「何をおっしゃいますか、魔獣は一匹だったとは言え、やつはかなり危険な魔獣でした」
「たしかに強敵でしたが、私には彼もいましたから。一人で戦ったわけではありません」
「二対一でもそうそう簡単に倒せる相手では無いはずです。素晴らしい実力をお持ちですけど」
「ありがとうございます」
アリスのお陰で完全に回復した件の行商人は、先ほどからアリスの手を包み込むように握りながら、薄っぺらい感謝の言葉を繰り返していた。
グレンなら辟易としているところだが、意外にもアリスは笑顔を浮かべながらも毅然とした態度で対応していた。
「こんなにもお美しい女性に救ってもらえるとは、私たちも恵まれていますね」
手揉みしながら行商人の隣でそう言った長もアリスの方ばかり見て、グレンには目もくれない。
(呆れた奴らだ)
グレンは呆れた表情でその光景を眺めていた。
あまりにも態度があからさまであるし、彼らが何を狙っているのかが明け透けだ。
交渉の経験を積んだ者、特に商人達はその内心を容易く悟らせない。集落の長もこの行商人も、まだまだ未熟者というわけだ。
(まぁ、下心もあるだろうけどな)
顔が緩んでいるのと、視線がいやらしいこと、そしてアリスの手を握っていることに関しては、単純に下心だろう。アリスはそこそこ経験を積んだ商人が心を乱されてもおかしくない程の美貌の持ち主だ。彼らが抗えるはずもない。
そんな中、不意に長が少しだけ言葉のトーンを変えた。
「ところで、ひとつお聞きしたいのですが」
「どうしましたか?」
集落の長は、行商人が名残惜しそうにアリスから手を離すのを確認した後、おずおずと続きを口にする。
「その……魔獣の子供を見ませんでしたか? あの魔獣は子供であっても危険です。こいつが痛手を負わせはしたようですが……」
埒があかないと思ったのか、あまりにも捻りのない直接的な質問をぶつけてきた二人にグレンは思わず笑いそうになったが、咳払いすることで何とか堪える。
「……いえ。夜も深く、激しい戦いでしたから見逃したのかもしれません」
しかし、アリスはその質問に全く動じず、ただその笑みを深めた。
(これ、怒ってないか?)
その横顔を見て、グレンは少しドキッとした。彼女の表情は今までグレンが見たことのない凍てついたものだった。
恐らく、二人はアリスのことを見た目がいいだけの小娘程度に考えているのだろうが、それは誤りだ。
その証拠に、アリスは冷たい笑みを浮かべたまま鋭い質問を二人に繰り出した。
「ところで、成獣に襲われたと思っていましたが、魔獣の子供に襲われたのですか?」
「あ、あぁ。えー……」
そのアリスの言葉に、二人は、特に集落の長があからさまに目を泳がせる。
長から言葉が出ないのを見兼ねてか、まだ交渉ごとの経験があるだろう行商人が慌てて口を開いた。
「そ、そうなんです! 流石の私も成獣に襲われてはひとたまりもなかったでしょう」
「そ、その通り! 襲われたのが子供で、助かった」
(語るに落ちるとはこのことだな)
「……そうですか。不幸中の幸いでしたね。ご無事で何よりでした」
少し首を傾けたアリスが微笑んだまま二人ににそう告げた。
直視すると飲み込まれそうな笑みに、二人は目が離せなくなる。
ただ、その笑みに魅了されて目が離せないのに、何故だか二人の首筋には冷たい汗が流れた。
「魔獣の側に何かがうずくまっていた様な気はします。私の勘違いかもしれませんが」
暫く時間が止まった後に、グレンが隣から口を挟む。
そのおかげで、ぼんやりとしていた二人の意識が解放された。
「そ、そうですか。もし見かけたら、私どもにお教えください」
「勿論です。すぐに伝える様にします。何せ非常に危険ということですからね」
「ありがとうございます。ここの者も安心して過ごせるでしょう」
ようやく落ち着きを取り戻した行商人が、嘘くさい笑みを浮かべながらそう答えた。
「荷車もその積荷も、行商人の私にとっては命同然ですから」
「それで、報酬の方ですが……」
「いえ、報酬はなしでいいでしょう。既に十分に頂きましたから」
グレンの言葉を遮る様にアリスがそう言ったが、もちろんこれは事前の取り決め通りだ。
「それは、大変ありがたい。我々の集落も余裕がある訳ではありませんから」
そう言う割には随分と仕立ての良い服を二人とも着ている。それに、一枚ではあるが絵画が飾ってあったり、小物が飾ってあったりと、余裕のない集落の長の家とはとても思えない。
「それでは、我々はもうここを出ますが、荷車の回収の際に護衛はよろしいですか?」
「お気遣いありがとうございます。ですが、あの魔獣がいなくなれば私どもだけでも十分です」
「そうですが。それでは、これで私たちは失礼いたします」
「ありがとうございます」
「お気をつけて」
そんな言葉を背中で受け止めながら二人は集落の長の家を後にする。
そして、そのまま黙って集落の外まで出てもなお、アリスが纏う空気は変わらない。
「随分と予想を下回ってきましたね」
「そうですね。彼らはただの小悪党だったという事でしょう。裏にはもっと大きいのが必要です。ですが、予定通り少しくらい罰は受けてもらいましょう」
「そうですね。あの子達の為にもやるしかないですね」
「それじゃあ、お仕置きの時間と参りましょうか」
「はい」
二人はそうやって森の中へと足を踏み入れた。
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