第11話 決意

「……ここまで来れば大丈夫でしょう」


 グレンがその足を止めたのに続いて、アリスもゆっくりとその足を止める。グレンの言葉通り、既に魔獣の気配はない。


 アリスは少し上がった息を整えるようにゆっくりと深呼吸をした。この程度、普段なら僅かでも息が上がることは無いのだが、今回に限っては精神的な影響が強く出たのだろう。

 なにせ、グレンの声に従うままに命からがら逃げていたが、その間にも後悔ばかりが頭を占めていたのだからマトモな精神状態ではなかったのだろうと、振り返る。


 アリスは息が整った所で、全く薄れない後悔を首を振って振り払うと、顔を上げる。

 この辺りは森の中ではあるが、視線も抜けていて、夜空に浮かぶ星も月も見える。

 その月の光の元、アリスの少し先では、肩で息をしているグレンがいた。


「……」


 声を掛けるべきではあるのは分かっていたが、負い目を感じているアリスにはその勇気が中々出なかった。

 そんな時、視線の先のグレンがふいにふらついた。


「グレンさん!?」


 アリスは慌てて、グレンに駆け寄ろうとしたが、グレンが大丈夫だと手で合図をしたため、アリスはその場に立ち止まる。


「……少し魔力を使い過ぎただけです」


 グレンはそうは言うが、その声は苦しそうで表情は少し歪んでいた。

 普段のアリスであれば、その静止を無視してでもグレンの介抱に向かっただろうが、今のアリスにはその勇気がでなかった。

 自分の独断専行の結果、グレンが苦しむ結果になった訳で、アリスはそれを簡単に割り切ることは出来なかった。


「お見苦しいところをお見せしました」


「い、いえ……」


 ほんの数分位だろうか。アリスが思い悩んでいるところで、いつの間にかグレンの体調は回復していた。

 いつもなら相手を気遣う返事が出来るのに、その言葉が出てこなかったあたり、重症だな、とアリスは自分自身に呆れる。

 そんなアリスと対照的に、グレンは辺りを警戒しながらアリスに声を掛けた。


「これから、どうしますか?」


「すみません。状況が掴めていなくて」


「……あぁ、そうでした。ではご説明します」


 そのアリスの言葉にグレンは納得したように頷くと、説明を始めた。


「まず、第一に先程のあれは魔獣ではありません」


「え……?」


 アリスはその言葉に呆気に取られた表情をする。


「あれは刃竜と言って、大陸全土で禁猟種に指定されている動物です」


「刃竜……。でも話では……」


 アリスでも刃竜の話は位は知っている。

 そのため、結果的に禁猟種に攻撃していたという事実にアリスは動揺する。


「騙された、と言うのが事実でしょうね。今回の一件、刃竜が行商人を襲ったのではなく、刃竜を狙った行商人が返り討ちにされた、と言うのが事実だと思います」


「それはどういう……!?」


「シンプルな話です。そもそも、危害を加えられ無ければ刃竜は人を攻撃しません。もし、仮に刃竜の方から攻撃したのだとすれば、行商人が逃げ切れる筈はありません」


「……」


 グレンのいう通りだ。

 その説明にアリスは一つの疑問も湧かなかった。

 動揺した様子のまま言葉を発せないアリスを前にグレンは説明を続ける。


「それに、今回の一件には集落の人間も絡んでいる可能性は高いと思います。刃竜を相手にするには多くの準備が必要ですから、集落の支援なしとは考えづらい」


「そう、ですか……。私は本当に愚かですね」


 アリスは気落ちした様子でそう溢した。

 

「グレンさん。もし、このまま私達が何もしなければどうなりますか」


「そうですね、考えられるのは二通りです。一つは、あの幼体が奇跡的に回復した場合。その場合、運が良ければ大きな被害にはならないでしょう。ただし、幼体が死んでしまった場合、その復讐の対象は行商人だけでは済まない可能性も十分あります。その場合、間違いなく集落は壊滅します」


 アリスはそのグレンの言葉に息を呑む。

 そして、悩むような素振りを見せながら、グレンに小さな声で問いかけた。


「……止める方法は?」


「……そうですね。刃竜が復讐をする原因——幼体を治療できれば、穏便に済む可能性はあります。ですが……」


 グレンがその先を濁した理由をアリスはすぐに察することができた。


「私が攻撃したせいで、私達も敵対状態にあると言うことですね……」


 アリスはそう言うと拳を固く握り、唇を噛み締めた。

 唯一の解決への道筋を自分の行動により閉ざしたのだ。例え騙された結果だとしても、それに責任を感じないアリスでは無い。


「私のせいで……」


 グレンはその姿を見て、ぎゅっと目を閉じて息を吐く。

 今回の一件、集落が滅んだとしてもそれは自業自得であるし、何より騙されている時点で、命を懸けてこの集落を助けようなんて考えはグレンには浮かばない。

 だが、殺伐とした世界に染まっていないアリスは違う筈だ。

 グレンは項垂れるアリスに一歩近づくと、その横顔に声を掛ける。


「アリス様はあの集落を救おうとしているのですか?」


「その、つもりです」


 歯切れが悪いのはその望みが薄いからだろうか。

 グレンは言葉を続ける。


「俺たちは少なくともあの集落の長には騙されていた訳です。それでもですか?」


「はい。仮にあの長が悪事を働いていたとしても、他の皆にその責任はありません」


 頑ななアリスにはグレンは諦めたように息を吐いた。

 そめそも、旅の途中でグレンが意固地になっていなければ、状況はここまで拗れていなかった筈だ。ここまでのグレンの行いによって、アリスが善意の独断専行をしてしまうと言う結果につながったのだ。

 その責任はグレンにある。

 ――それに、今回の一件は「ただのアリス」の門出ともなる試練だ。

 仲間の一人として、これを失敗に終わらせるわけにはいかない。

 グレンは頭の片隅には、一つだけ策が浮かんでいた。正直、策と呼ぶにはあまりに無茶で力技すぎるものだ。


「……一つだけ。たった一つだけ策があります」


「え?」


「刃竜の幼体を救い、集落も救う方法が一つだけあります」


 その言葉にアリスが顔を上げる。

 まるで狐につままれたような、呆気に取られた表情を浮かべている。


「刃竜は賢い生き物だ。幼体さえ無事ならわざわざ集落ごと襲うことはしないと思います」


「ええ、それは知っています。さっきも聞きました。でも、私が攻撃したから、治療ができないことも分かっています」


 アリスは表情に後悔を浮かべる。

 だが、グレンはそんなアリスを見て不敵に笑って見せた。


「俺たちは治療が出来ないわけではないです。穏便に出来ないだけです」


「……どう言うことですか?」


 アリスはそのグレンの言葉に困惑する。


治療してしまえばいいだけです」


「無理矢理……? 何を言っているのですか」


「簡単な話です。俺が刃竜を引きつけている間に、アリス様が幼体を治療する。それだけです」


「そんな無茶な話……。私は――私のわがままで、グレンさんをそんな危険な目に合わせるつもりはありませんから」


「では、諦めますか? アリス様一人で解決することは不可能だと思いますが」


「それはッ……」


 アリスは言葉を濁す。

 グレンの策ですらかなりの強硬策であるのに、アリスは一人では何も出来ないことは明白だ。

 踏ん切りのつかないアリスにグレンはさらに問いかける。


「アリス様は何のために俺を護衛にしたんですか?」


「……それは共に戦う仲間が欲しかったからで、私のために命を捨てる人間が欲しかったわけではありません!」


「俺たちにとって、仲間の為に命を懸けるのは当たり前のことですよ?」


「それは……」


 アリスは気圧される。

 グレンの言うことは正論だ。それでも、そのグレンの策に頷けないのは、人の命を背負う覚悟がアリスにないだけだ。

 そして、それはグレンにもよく分かっていた。


「アリス様、俺も少しくらいは護衛っぽいことがしたいんですよ。それに、もしアリス様がやらないと言っても、俺は勝手にやりますよ?」


「何でそこまで……」


 アリスは少し泣きそうな、そして困惑したような表情でグレンに問いかける。


「そうですね……。今のところは、仲間だから、と言うことにして下さい」


 そう言うと、グレンは柔らかい笑を浮かべた。


「分かりました……」


 アリスはそう言って大きく深呼吸したかと思うと、両手で自分の頬を強く叩いた。

 周囲に音が響くほど強さで叩いたアリスに、グレンは驚いたように目を見開く。


「私も共に戦います! グレンさん、作戦を聞かせて下さい」


「……喜んで!」


 グレンは力強く頷いた。

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