第5話 抵抗

 回想という名の現実逃避から回帰したグレンを待っていたのは聖女様もとい、「元」聖女様の笑顔だった。


「さてと。……ようやく大人しくなってくれましたか」


 グレンの前に回り込んだ聖女は美しい微笑みを浮かべながらグレンを見下ろす。

 大人しくなったのではなくて、強制的に大人しくさせられているのだとグレンはツッコんでやりたいが、現在も地面にへばり付いている状況なのでそれは叶わない。


「あなたのお陰で何とかうまくいきました。ありがとうございます」


 聖女はしゃがみ込んでグレンの顔を覗き込みむとそんな事を言った。

 何の穢れも無い純真な微笑の裏にこんな凶暴性が隠れているだなんて、思いもしなかった。

 快楽殺人鬼と言ったところだろうか。確かに、今となっては聖女殺しの対象になっていてもおかしくは無いと納得できる。



 つくづく人を見る目がないと、グレンは自分自身に呆れる。


 そして、そんな快楽殺人鬼の手によって拘束されたグレンの結末はほぼ決まったようなものだ。

 先ほどからなんとか魔法に抗おうとしているものの、その力は弱まる気配を見せない。押さえつけられてはいるが、潰されてはいないという非常に良い力加減だ。ここまで卓越した魔法の使い手はそうそういないはずだ。


「そのお礼にこのまま俺を逃すのはどうかな?」


「それは出来ません。私にも都合がありますから」


 グレンの最後の悪あがきを聖女は微笑みを浮かべながら軽くあしらうと、その手をグレンの顔の近くまで伸ばす。

 聖女が伸ばした手に集まる魔力は繊細かつ膨大であり、今まさにその魔力によって命が断たれる寸前のグレンでも惚れ惚れするほどだ。


「出来るだけ痛くないようにしてくれよ」


「えぇ、ご安心ください。人を傷つけるのは趣味ではありませんから」


 (……どの口が言う)


 そう思いながらも、まさに聖女たらん微笑むを浮かべている彼女の言葉に嘘はないことはグレンも分っていた。

 これほど高密度で質の高い魔力であれば、痛みすら感じずに逝けるはずだ。

 グレンは目を閉じて、魔力の高まりを感じながら静かに終わりの時を待った。


 しかし、その瞬間は訪れなかった。

 その代わりに重い金属音が突如として響き、何かが地面を削りながら滑っていく音がした。


「……どういうことだ」


 グレンの目に映ったのはこちらに背を向けて魔法障壁を発動している聖女と、黒に赤いラインが入った修道服を着た人物が手に持った剣を地面に突き立てている光景が。

 その人物はフードを目深にかぶっており、暗がりということもあって表情は全く見えない。


断罪官だんざいかんですか。通りで生ぬるいと思いました」


「へぇ。やるじゃねぇか。聞いてた話とは違うが、堕ちた聖女ってのは間違いねぇみたいだなぁ?」


 声色的に恐らく男性だろう。その断罪官が人の神経を逆なでする様な口調と声色で聖女にそう返した。


「私からすれば、堕ちているのはそちら側ですけどね。快楽殺人鬼さん」


「おーおーおー。言ってくれるじゃねぇか。信仰の厚い騎士様達をこれだけ殺しておいてよくそんな面が出来る」


「私はあなただけじゃなく、彼らのことも含めて言ったつもりですけど……ねっ!」


 いつの間にか詠唱していたのか。

 聖女の目の前には魔法陣が浮かび上がっており、そこから一メートル程の巨大な岩石が断罪官へと投擲される。いや、投擲なんてスピードではない。射出といった方が正確だろう。


「へぇ」


 普通の人間であれば絶体絶命という状況であるのに、断罪感は口元に笑を浮かべる。そして、いつの間にか手に握っていた赤黒い大剣でその岩石を断ち切った。


「残念でした。その程度の魔法はきかねぇんだわ。まぁ、それなりにやるみたいだから都合が良い。初めての聖女殺しってんだからある程度楽しませてもらわねぇと」


 断罪官は余裕たっぷりに聖女を煽って見せた。


「っち。面倒なのを引きましたね……」


 聖女は聖女らしからぬ舌打ちをして、眉をひそめるとその手に剣を召喚する。

 見た目は何の変哲もないロングソードのように見えるが、魔法具を使わずに召喚したところを見ると魔法武器ではあるようだ。

 魔法武器であれば断罪官の持つ剣とも打ち合えるだろうが、見た目的には少し心許ない。


 (魔法武器ね……)


 グレンも過去に何度となく目にしたことがあるが、その多くが強大な魔力を内包した希少な武器だ。

 魔力障壁が当たり前となった今では、それに対抗するために武器に魔力を付与した武器を使用するのは当たり前になりつつあるが、魔法武器はそれとはまったくの別物だ。

 普通の武器とは違い、魔法武器は武器そのものが魔力を持っているのだ。そのため耐久性、切れ味のみならず対魔法性能も別格であり、中には特別な機能を持つものもある。


「……巻き込まれたら終わりだな」


 グレンは呟く。

 体を押さえつけていた聖女の魔法はいつの間にか解けていたが、グレンは未だに地面に寝そべったままでいる。

 間違いなく聖女の方は魔法が解けたことに気が付いているが、断罪官の方はそうではないだろう。この状況から脱するのに二人ともに気が付かれるのは避けたい。

 

 そう考えているグレンの目の前では、聖女と断罪官が激しい剣戟を繰り広げている。

 身の丈程ある大剣を軽々と扱う断罪官の腕前もすさまじいが、ただのロングソードでそれに堂々と対抗できている聖女の腕前も並の冒険者を軽く超えている。

 恐らく身体能力の強化魔法でも使っているのであろう。二人のスピードは先程までいた上級騎士とも比べものにならず、その最中に飛び交う魔法も威力が高いものばかりだ。

 赤黒い大剣を持った黒装束の男と騎士剣を持っている聖女の戦いは、まるで光と闇。おとぎ話のような様相であった。


 (見惚れている場合じゃ無いな)


 今のグレンの状態では、二人が本格的に戦っている隙を狙わなければ逃げ切れない可能性が高い。最善は二人がある程度消耗したタイミング。少なくとも、どちらかが倒れる前に姿を眩ますしかない。


「『黒ノくろのとばり』」


 グレンはこっそりと認識阻害の魔法を使う。

 あくまで低級の魔法であり、日中であれば無いよりマシ程度のものだがこの暗闇では役に立つ。

 そんな風に粛々とグレンが逃げる準備をしていたところで、突然、轟音が鳴り響いた。


「なんだ!?」


 一瞬、目を離したタイミングの事で、グレンは何が起こったのか全く把握できていない。ただわかるのは、戦っていたうちの一人、断罪官の姿が消えていることと、森の奥の方で土煙が上がっていること位だ。


「いつまで寝ているのですか。もう立てるでしょう?」


 突如、自分のすぐ近くから聞こえたそんな声にグレンの全身に鳥肌が立った。

 いつの間にか聖女がグレンの直ぐ近くに立っていたのだ。

 彼女にバレていることは百も承知だ。このまま、伏せていても仕方ないと、グレンは警戒しながらもゆっくりと体を起こす。

 ほんの数メートルの距離。彼女は真剣な目でグレンを見つめていた。


「……さっきから、俺に何のようだ?」


 必至に冷静を装いながらグレンは聖女に問いかける。

 心臓は強く高鳴り、冷や汗が全身に浮かび上がる感覚がしている。


「……簡単な話です。私の味方についてください」


「……なに?」


 思ってもいない言葉にグレンは少し呆気にとられる。

 そんなグレンの様子に聖女はもう一度、ゆっくりと言葉を繰り返した。


「あなたに共闘の依頼です。あれは私一人では荷が重い。今回も少し時間を稼ぎましたが、断罪官はすぐに戻って来るはずです」


 今度こそはグレンもしっかりと聖女の言葉を受け止めた。

 しかし、それでも疑問は残る。


「お前は俺を殺そうとしただろ。何をいまさら」


 その言葉に聖女はバツが悪そうな顔をする。


「……あれは、少し理由があって興奮状態だったので。殺そうとしたわけではありません」


「……」


「それに、私はあなたを殺そうと思えばいつでも、殺せました。今あなたが生きているのがその証拠です」


 先ほどの雰囲気はどこへやら。聖女の必死の説得にグレンはため息を吐いた。いつの間にか心臓の高鳴りも冷や汗も消えている。

 ただ、彼女の言うことは事実だ。彼女はいつでもグレンを殺せたはずだ。


「手伝ったとして俺に何のメリットがあるんだ?断罪官あいつの標的はお前だ?」


「私が負けた場合、「聖女殺し」を知ってしまった貴方は死ぬまで創神教に追われ続けるでしょう。それを良しとしますか?」


「……」


 聖女の言うことに間違いは無いだろう。

 創神教は複数の国の国教にも定められており、そうでなくとも信者の数は多い。それに加えて、表立って仕事を受けるには魔力の波長で個人を識別しなければならない。

 聖女が負けた先にグレンを待っているのは、いつ来るか分からない追っ手に怯えながら人里離れて暮らす未来だろう。



「……分かった。手を貸す、だが一つ約束をしてくれ。戦いが終わった後、俺を逃すと。聖女なら出来るだろ?」


「良いでしょう。どうせですから魔法で縛りましょう」


 そう言って彼女は聖女らしからぬ挑戦的な笑みを浮かべると、グレンと目を合わす。


「『制約』今この瞬間から貴方は私の騎士となり、この戦が終わりを告げると共に、聖女アリスは貴方を解放しよう」


 詠唱が終わると同時にグレンと聖女に虹色の燐光が降りかかった。


「誓約は完了です。これで私達は一蓮托生ですね」


 聖女は艶やかな笑みを浮かべた。

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