赤が

「ン今度こそ私が勝つのだッ! ン下郎ォ!」

「キレると文頭に二水がつく仕様なのか」


 文頭が「令」だったら危うく「ン令」になるところだった……、無論、「冷」と「ン令」とでは、ビジュアルに結構、差があるから、そこまでの心配は必要ないけれど。


「ン私を侮辱した罪は、ンこのギャンブルで支払ってもらうッ! ン屈辱を味あわせてやるぞ、ン下郎ォ!」


 変な喋り方になってしまったザクレンは察するに──というか察するまでもなく見ての通り──、怒りで我を忘れている。

 故にここからのザクレンの集中はハッキリ言って、完璧とは言えない物になろう……、勝負の行く末は存外に、こちらの流れにあるようだ。

 

「ジャンケン──」「ジャンケン──」


 幾度かのあいこを重ねて、勝敗が決まる。

 

「クソ……」と英雄。

「私の勝ちだ」


 いよいよ千円札の層は潰えて、五千円札、一万円札、各一枚のゾーンに来る。

 いや、別に千円から順に消費しようが、一万円か遡って消費しようが、結局のところ、使える値段が変わる訳じゃないのだが……、しかし、なんとなく心理的に、無駄に消える値段が多いのは、英雄的にも抵抗があるのだろう。

 彼が選んだのは少なくとも前者だった。

 そしてこれからは無駄をも受け入れる。

 

 山札みたいに積まれた千円札から一枚つまんで、ザクレンは『箱』に腕を入れる。「貴様の番だぞ」 

「応」と英雄は受けて、五千円札を手に取った。そして「支払いを持ち越せるのは二回まで……、つまり今回を含めて三回分の支払いであり、五千円支払った今回は二千円の損失があるんだな?」と再度質問した。

「くどいぞ。その通りだ」

「はぁ〜」英雄は嘆息した。「金を何だと思っていやがる」

「そんなに惜しいなら勝負から降りればいい」

「それとこれとは別問題だ」英雄は確固たる口調でそう言った。「おら」『箱』とザクレンのダブルチェックを経て、五千円が箱に入れられた。


 以降は例に則って表でその結果を開示していく。

 

 十一戦目:ザクレンの勝ち。英雄は十戦目で支払い済み。

 十二戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。

 十三戦目:ザクレンの勝ち。英雄は十戦目で支払い済み。

 十四戦目:ザクレンの勝ち。英雄が一万円を消費。

 十五戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。

 十六戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。

 十七戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。

 十八戦目:ザクレンの勝ち。英雄は十四戦目で支払い済み。

 十九戦目:英雄の勝ち。ザクレンが千円を消費。

 二十戦目:ザクレンの勝ち。英雄は十四戦目で支払い済み。


 スムーズに五千円と一万円が消え失せた。


 暗雲垂れ込める展開を察し、メガネのフレームをくい、と人差し指で支えつつも、僕は聞いた。「次回はどうするんだ? 普通にあの硬貨の塔か?」

「いや……」英雄は逡巡した。「アレは総額が千円に満たない。仮に入れるにしても、いかにも値段が低そうな、本、財布などとセットになるだろう」


 硬貨の塔、つまり、コインタワーの総額は八百二十二円である。

 いかに中古の小説や、空っぽの財布の価値が低かろうと、セットにすれば、千円くらいならゆうに超える。

 

「あの小箱とかもそうか?」

「アレは戦力に入らないよ」何故かここで英雄は笑った。

 僕は胡乱うろんに思ったが質問は避けた。「まあ、とにかく頑張れ」

「応」それは心強い返答だった。


 英雄は、机上にある持ち物群を見遣った。

 ここからは選択を誤れない……、何故なら、国が価値(正確には数字ってだけなんだろうけれど)を定める紙幣と違い、ここからの持ち物のゾーンは、『箱』が価値の多寡たかを定めるからである。

 勿論『箱』の特性からして不正はないんだろうけれど、しかしこちらからはそれを伺えない……、とにかくここからが、真実ギャンブルと言えそうだった。


「最初はグー! ジャンケン……」「最初はグー! ジャンケン……」心なし、英雄の掛け声には気合いが感じられた。「ポン!」

 

 ザクレンはパー。

 英雄はグー。

 英雄の敗北である。


「フフフ……」ザクレンはいやらしく笑った。「気のせいか、お前ジャンケン弱いんじゃないのか?」

 英雄はぴく、と眉根を寄せた。「……トータルで見たら、そう変わらんさ」


 そうかね、と肩をすくめて、ザクレンは山札から千円を手に取った。

 

「おら」平等だという『箱』の検閲を抜け、ザクレンは千円を入れた。

「……」英雄はモバイルバッテリー……、と、ワイヤレスイヤホンを手に取った。単体じゃ不安だったようである。「二つ同時だが、構わんだろう?」

 ふん、とザクレンは鼻を鳴らした。「ご随意に」


 英雄は『箱』の検閲を抜け、その二つを口の中に投じた。

 もちろん腕ごと。

 

「……………………っ!」緊張が走る。ここで『箱』が千円の価値を認めなければ、英雄は片腕を失う事になる。「…………ど、どうだ?」


 しばらく待ったが、『箱』に動きは見られなかった。


「……どうやら、セーフらしいな」英雄はほっ、と一息ついた。

「つまらないことにな」


 ザクレンは心底残念そうであった。

 僕はそれを見咎めるも、口にまでは出さなかった。


「今のが千円以上と認められたのは良いが、具体的に何円だったのかは聞いて良いのか?」と英雄。

「知らん。『箱』に聞け。答えると思うのならな」

「……つまり何円分が次回に持ち越されたかも、こちらからは窺い知れないと言うわけか」


 その辺含めて、これはかなりのギャンブルである。

 総身がひりつく感覚が、部外者ながら肌を覆った。

 

「ジャンケン!」「ジャンケン!」


 二、三あいこを重ねて、英雄の勝利だった。


「ハン! 命拾いしたな、サカキバラヒデオ」

「落命もまだなのに、命拾いもクソもねーだろう」


 落とし物は落ちていなければ拾えない。


 そう言って、英雄は千円を手に取った。「次はお前だ」

「無駄な抵抗だな」ザクレンは笑った。「どうあれ私は勝つ。どうあってもだ!」

「わかったわかった」英雄はザクレンの言を流した。「はやく千円を取り出せよ。どうせまだ大量にあるんだろう?」

「フフ……、分かっているじゃないか。この『箱』が不正を咎めるのは、半球が展開された後のことに限定されるからな。取り込まれてしまった時点で、お前の敗北は決まっていたのさ」

「……………………」英雄は答えない。

 少しの間を開けて、彼は言った。「ジャンケン!」「ジャンケン!」


 今度のジャンケンは英雄の負けだった。


 定例通り千円を投じて、ザクレンは言う。「どうするサカキバラヒデオ? いよいよピンチなんじゃないのか?」


 確かにピンチだった。

 残っている持ち物を見て、財布、読みかけの小説とくれば……、まともな戦力はスマホくらいだ。

 本当に服を脱ぐくらいしか、抵抗の術は残されていない。

 そして脱いだとて、大した役に立つとも限らない……、かなりのピンチだ。


「……今回に関しては大丈夫らしいぞ」

「何」


 見れば、『箱』はその口を閉じていた。

 前回のモバイルバッテリーとワイヤレスイヤホンで、なんとかこの場は凌げたらしい。


「チッ!」ザクレンは不機嫌そうに舌打ちした。

「さあ、次だ」


 ジャンケン──、と掛け声をして、両者手を出した。

 今度もザクレンの勝利である。


「…………問題は、一体何円が持ち越されているかだ」モバイルバッテリーは数千円で買えるだろうし、ワイヤレスイヤホンもそれは同様だ。『箱』がそれらをどう処理したか……、生きながらえるには、そこを見定めることこそが肝要だ。「……よし」


 ザクレンが千円を投じるのを待って、英雄は読みかけの小説を手に取った。

 

「俺は持ち越された金額を二千五百円以上三千円未満だと踏んだ! 残りを補うのにスマホは必要ない!」英雄はそう叫んで、読みかけの小説を天高く翳した──たしかに、モバイルバッテリーとワイヤレスイヤホンだ。それなりに価値が認められてもおかしくはない。「おらっ!」英雄は腕を箱に投じた。


 その刹那──

 

「ぐ──、ぁ」


 ……『箱』の尖牙に穿たれて、赤々とした麗しい鮮血と共に、英雄の右肩から千切れた──断面から、痛々しい赤色せきしょくが伺える。


「──ああああああああああああああああぁぁあああああぁぁああああぁぁあああああああああああああああああああっ!!」


 ザクレンと僕は目を剥いて驚くと、各々取るべきリアクションを取った。

 英雄は短くなった腕を押さえている。

 地面には滔々とうとうと血液が流れ出し、辺り一帯、朱に染まっている。

 どくどくと、間断なく。

 黄昏の時分にはまだ早過ぎるのに、万象を赤く染めんとする勢いで──

 

 ──この場を真っ赤に染め上げていた。


「うああ……っ! ああっ、あああぁあああああああああああああああああぁぁああああぁああっ!」

 

 否。

 ともするとそれは、僕の勘違いかも知れなかった。

 つい先刻さっき、赤がこの場を真っ赤に染め上げた、などと表現したものの、それは誤りで。

 真っ赤に染まっていたのは、僕の視界の方だった──つまり、メガネだった。

 僕のかけていたメガネが、英雄の血で、真っ赤に染まっていたのだった。

 だから世界が真っ赤に見えたのだ。

 僕はメガネを外した。


「…………っ!!」


 それは酷い惨状だった。


 うずくまる英雄を中心に鮮血が四散しており、地面はもちろん、四囲を囲む半球の壁もまた、赤く情熱的なメイクがなされていた。

 呻き声が聞こえる。

 明らかに英雄とは別のものであり、僕でないとするならば、残るはアイツ一人しかいない。

 見ればザクレンは、顔を押さえて苦しんでいる様子。

 それではたと気づき、僕は『箱』の状態も知覚し、確信する。

 

「そうか、が狙いか──っ!」


 たかが血液が顔にかかったくらいで魔物が呻き声を上げるのは不自然である。

 改めてよく見れば、ザクレンは顔、ではなく両目を押さえていた。

 そして『箱』の方を見れば、血染めとなった箇所は口のある一面であり、それはとりもなおさずに、目のある一面でもあるということだ。

 要するに、ザクレンと『箱』は英雄から血の目潰しを喰らっていた。

 先刻さっきまでの自分の視界を思うと、全てが真っ赤に見えているはずで、僕のようにたまたまメガネでもかけていなければ、到底目が見えるとは思えない。

 


「今なら行ける! ──やれ、英雄!!」 


 英雄は動かなかった。

 身じろぎもせず、『箱』を見下ろして、じっ、とその場に佇んでいる。


「な……っ、オイ!」僕は動揺する。「どうしたんだよ!? これはチャンスだぞ!? お前が作り出した、最大の!!」

「閉じている」


 僕は「え?」と言って、英雄の視線を追う。

 そして理解した。


「あ──」


 そう、僕は理解した。

 英雄の言葉を。

 英雄の絶望を。


「嘘だろ……」


 『箱』の口は閉ざされていた。

 不正を拒むように……、きゅっ、と。

 固く一文字に結ばれて。

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