第1章

第1話:面接に向けて

「――良し、完璧だ」


 鏡に映った自分の姿を上から下までしっかりと眺め、身嗜みが整っている事を確認して僕は深く頷いた。

 目の前にあるのは大きな姿見。そこに写り込むのは学院の寮の自室、そして早朝の淡い日差しに照らされた僕自身――ネロ・アグノスの姿。短い紺色の髪と、水色に近い淡い青色の瞳。仏頂面とも取れる少し硬い表情と切れ長の瞳も相まって、酷く冷たい印象を受ける青年の姿だ。

 しかしその身を包むのは高級な黒の燕尾服であり、紺色の髪もしっかりと梳いて髪型をセットしている。ある種の自惚れかもしれないが、今からダンスパーティの会場に足を踏み入れても違和感の無い面差しと恰好だった。


「二年半。ここまでとても長く苦しい道のりだった。しかし、その努力は今日こそ実を結ぶ。今日ついに、僕はあのお方の弟子となる!」


 早朝から寮の自室でこんな格好をしているのはもちろん相応の理由がある。今日、僕は名高い魔法使いと面接をする予定があるのだ。その面接に合格できれば晴れて弟子となれる。だからこそこんな普段は絶対に着ないような衣装に身を包み、しっかりと身嗜みを整えているのだ。


「――クックック。随分な自信だな? 失敗を微塵も恐れないのは結構な事だが、その慢心が命取りになるのではないか? 我が盟友よ」


 一人覚悟と緊張を高める僕に対し、背後から無駄に気取ったキザな台詞が、しかし内容に反して可愛らしく若干舌ったらずな声がかけられた。

 振り返ればそこには自らの顔を右手で覆い、何やらポーズを決めた一人の少女が立っている。無駄に大仰な台詞とそのポーズ、そして右目を戒める眼帯や左腕に巻かれた包帯などから分かる通り、怪しさ抜群の存在だ。

 しかし子供染みた小柄な身体と眩しい銀色の髪、そして頭の天辺で存在を主張するウサギ耳の愛らしさが、見事にそれらを打ち消していた。

 彼女の名はシエル・ドミナシオン。僕と同じ学院の三年生であり、兎獣人の少女であり、また紛れもなく僕の親友だ。


「安心しろ、シエル。もしも弟子になれなかったのなら、僕は腹を裂くか首を吊って死ぬ覚悟だ。慢心など欠片も無いさ」

「ば、馬鹿やめろっ! お前が言うと本気なのか冗談なのか判断がつかないぞ!」


 不退転の決意と覚悟を語って聞かせると、シエルは先ほどまでのカッコつけた表情を驚愕と恐怖に崩し、兎獣人特有の瞬発力で以てすぐ目の前まで駆け寄ってきた。眼帯に覆われていない方の熟れた苺を思わせる赤い瞳は、今にも涙を零しそうなくらいに揺れている。

 色々とアレな所のある奴だがとても素直で優しい奴なので、僕としては大いに好ましく想っている。 


「本気に決まっているだろう。人生を賭けた不退転の覚悟で臨む。すでに丈夫なロープと切れ味の良い包丁も準備してあるぞ」

「何か包丁とロープが置いてあるなって思ったらそういう事!? あれってそのための物なの!?」

「もちろんだ。出来れば一人で出来る首吊りにしようかと考えているが、アレは死んだ後色々汚いからな。できれば腹を斬ろうと思う。その時は介錯を頼めるか?」

「そんなのやだぁ! 命を大事にしてぇ! 生きていれば良い事があるからぁ!」


 この程度のやりとりでも、シエルは本当に涙を零して縋りついてくる。実に友達甲斐のある奴で、僕としても大変助かっている。まあそのせいか僕とシエルの仲を邪推する噂を良く聞くが。


「ぐすっ……全く、貴様の思慕の念は最早病気の域だな? 彼奴の弟子となる可能性を上げるためだけに、座学も実技も全てトップで収め、二年連続で首席を取るとは」

「仕方ないだろう。何せ弟子入りの希望は成績が上の方が優先されやすい。それに魔法属性があまりにも異なるという致命的な部分を埋めるために、他で補うのは当然の事だ」

「言うは易く、行うは難し――なのだが、実現してしまう貴様には惚れ惚れするな? ククッ」


 さっきは泣きじゃくっていたというのに、すぐさま妖しい笑みを浮かべる立ち直りの早さ。やはりシエルをからかうのは面白いな。まあ僕の発言は冗談ではないが。

 弟子入りという話が出てくる事から分かる通り、僕とシエルが通っている学院はただの教育機関ではない。魔法や魔術の才能を持つ者たちを集め、その力の正しい使い方を学ばせ、磨かせるための教育機関なのだ。卒業後の進路は幾つかあるが、僕は名のある魔法使いへの弟子入りを希望した。この手の希望はやはり成績順に優先されるので、絶対に希望を通すためにも首席を維持しているわけである。

 無論簡単な事ではなかったが、僕がそこに賭ける情熱と覚悟は並大抵のモノではない。首席を取り続けトップをひた走るくらい出来なくては話にならなかった。


「僕の魔法がもっとあのお方に近いものであれば、話はもう少し簡単だったんだがな」

「さすがにそれは贅沢が過ぎる悩みだぞ。そもそも魔法の才自体が途轍もなく希少なのだ。その稀有な才能を持ち、なおかつ魔術の才能にも恵まれている貴様がそのような言葉を吐くなど、学友たちから見れば喧嘩を売っているようにしか見えん」

「それくらい分かっている。だがお前もそう思った事は少なからずあるだろう?」

「フッ、確かに。我ら、魔法属性の異なる者を永遠の師と仰ぐ魂の友。魔法の才への苦悩は常人には計り知れぬ事だろう」


 苦悩などと言っている反面、シエルはどこか嬉しそうだ。僕とコイツが親友になったきっかけこそが、魔法属性の異なる者を師と仰いでいる事実なので、同士がいるという事が喜ばしいのだろう。

 正直な所、僕にとっても同じ意志を掲げるシエルの存在は心強かった。シエルのおかげで孤独な努力を続けずに済んだのだから。


「まあ? 我はもうすでに弟子入りが確定した訳だが?」

「………………」

「あっ、あっ! やめてやめて耳取れちゃう! そこは弱いのっ!」


 これでもかと自慢顔を晒してきたので、無言でウサミミを鷲掴みしてやる。

 そう、シエルはすでに自身の目的を達成している。僕よりも二週間ほど早く面接を行い、見事理想の魔法使いの弟子となったのだ。親友が夢を叶えた事は大変喜ばしいが、こう露骨に自慢されると腹に据えかねるものがあった。


「次に自慢したらそのウサミミを引っこ抜くぞ」

「酷いっ!? 私のチャームポイントをそんな株みたいに!? あっ、でも片方しかウサミミが無いっていうのも、それはそれでカッコいいかも……?」

「だったら両方引っこ抜く」

「血も涙も無い!? そんな事したら責任取って貰うからね!?」

「分かった。その時は僕が責任を持って加工から流通まで面倒を見る」

「ちゃんと商品にしろって意味じゃないけど!? ていうか私のウサミミで一体何を作るつもり!?」


 ぎゃあぎゃあと素の口調で騒ぐシエル。こうしてからかっていると面接に対する緊張が和らいでくるので、シエルには悪いが大いに充実した時間だった。


「全くもう……して、勝算はあるのか? 我の場合は僅かに属性に似通った部分が無くも無く、なおかつ我が師の性格や人柄に問題が無かった事が大きいが――」

「それはあのお方の性格と人柄に問題があるって言ってるのか? あぁ?」

「む、胸倉掴むのは止めろ! 私だって女の子なんだぞっ!?」

「おっと、それはすまない」

「全くもうっ……!」


 反射的に出た手を離すと、シエルは赤い顔で乱れた服を整える。誰かに見られたら勘違いされそうな場面だ。こういう事ばかりしているから変な噂が立つのだろうか。


「……問題があるとまでは言わないが、それでも難題なのは己も理解しているだろう? その辺り、何か策はあるのか?」

「一応は、な。僕としても多少躊躇いのある方法だが……」


 実は魔法属性の違い以外にも、大きな問題が存在している。こちらは先天性でどうしようもない魔法の才能とは違い、まだ取り返しが付く類のものだ。そのため対策は一応用意しているのだが、確実とまでは言えないのであまり自信は無かった。

 加えて少々――いや、かなりの羞恥を堪えなければいけない。しかし躊躇っていられるほど余裕のある状況ではなかった。


「贅沢は言っていられない。相手はこちらの嘘など簡単に見抜けるお方だ。下手な小細工で挑むより、全力の真っ向勝負の方がまだ分があると見て良いだろう。だから僕は全身全霊を尽くす。これまで積み重ねてきた全てを、僕の想いを、余すところなくぶつける……!」

「……面接、なんだよね? 命を賭けた殺し合いとかじゃなくて?」

「当たり前だろう? さあ、最後の仕上げとして面接の練習に付き合って貰うぞ、シエル」


 首を傾げウサミミを傾けるシエルに対し、僕はそう促す。

 元より面接の練習のために、こんな早朝から呼び出しているのだ。この場に来ている以上、今更嫌だと言わせるつもりは無かった。


「ククッ、良いだろう! 盟友の力となる事こそ我が喜び! さあ、理想の師を得るための面接練習と行こうか! まずは入室の場面からだ!!」


 そしてもちろん、友達想いのシエルが今更拒否するわけも無い。ノリノリでポーズを決め、僕の力になる事を約束してくれるのだった。



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⋇シエルはヒロインではないです。

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