野バラの花束
荷馬車で揺られながら街道をひたすら北に進んでいく。
北に向かうにつれて建物も重厚な建物に変わってきた。
夕刻前にアーチ型の街の入口の門をくぐると、レンガ色の壁にホワイトの窓枠がカワイイ民家などが見えてきた。
「ハイデルの街までようやく来たのぉ。娘のいるウルスももうすぐじゃ。ここはワシの教え子が住んでいるから明日にでも顔を出してみるかの」
「ベックの弟子がここに住んでいるの?」
「そうですじゃ。ヤツはわしの一番弟子で、ここではちょっとした名の知られる薬師なんですぞい」
ベックは自慢げに語る。
「私も会ってみたいわ!」
「わしらが会いに行けば歓迎してくれましょうぞ」
宿屋にさっそく落ち着くと、マリーン達は荷物をほどいていった。
(今日一日、長かった……)
チャックの街を出る時にオムが街の入口で自分達を見送っていることに気付いた。オムの顔は歪んでいて泣くのを耐えているようだった。
彼の後ろには例の踊り子の姿もあって、自分達が街から去るのを見てホッとしている様子に見えた。彼女は本当にオムのことが好きなのだろう。
オムは本気に好きになった人だった。大きな街に出た彼はなぜ、あれほど変わってしまったのだろうかと思う。
彼なりに苦労したとは思うが、誰だってツライことはある。自分一人がツライなんて思って欲しくなかった。自分がツライから誰かを見下したり、利用したりするなんてあってはならないとマリーンは思っている。
思い出すと、また泣けてきそうになった。何がこんなに自分を悲しい気持ちにさせるのだろうと考えていると、信じたいと思ったものが得られないことが悲しいのだと、マリーンは気付いた。
(私は安心できるものが欲しんだわ、きっと)
誠実で自分をずっと見てくれる人、そんな人がいたらと願っているのだ。
......夕食は街に出て食事をすることになった。マリーンとルンナが前を歩き、男性陣がすぐ後からついて行く。
夕暮れ時の街はチャックの街よりも人が少なく落ち着いた雰囲気で、隠れ家的なレストランも多そうだった。クリームベージュの壁に緑の格子窓が印象的な店の前に来ると、ベックが立ち止まる。
「“コネーゼル”、ここじゃ。わしの弟子のルクトがおすすめしている店じゃ」
店前の石畳にもテーブルやイスが置かれている。すでに店の中にも人が集まり始めていた。
「この街ではまずは飲み物を注文するのが一般的なんじゃ。何を飲むんじゃ?わしはたまには酒を飲もうかの」
酒造りが盛んらしいハイデルの街はお酒の種類がズラリとメニューに並んでいた。リムとナインも1杯だけお酒を頼み、マリーンとルンナは炭酸入りの水を注文する。
メニューを見ているとビーフステーキが名物らしい。メニューを閉じると店員がやってきてオーダーをとった。イカやタコなどの海産物を使った料理や魚料理、肉料理、サラダなどを注文する。
「ハイデルの街は美味しそうな料理メニューが多いのね」
「この酒も美味しいですな」
リム達も美味しいお酒を飲めて気分が良さそうだ。皆でお酒を飲みながらこれまでの旅のことを話していたが、皆が宿にまで押し掛けて来たオムのことに触れようとしない。気を使わせているのだと思い、マリーンは敢えて自分から話題に出してみた。
「あの、今朝のことなんだけど……」
「......あやつが女性にだらしないとは思いませんでした!飛び出して殴りつけてやろうかと思いました!」
リムが言う。
「私が側にいたら頭突きか首突きか……」
つられてルンナも物騒なことを言い出す。
「ワシは毒草でも盛ってやろうかと思ったわい」
ベックまで便乗してきた。
「........やりとりの内容をなぜ、ベック達も知っているの?」
「すみません、ヤツが宿に押しかけて来たと聞いて、柱の陰から会話を全て聞いておりました。会話からおおよその事情は分かりました」
「そうだったのね........ごめんね、皆に心配をかけて」
皆が自分を心配してくれているのだと分かると、マリーンは温かい気持ちになった。
「して、なぜナインは側にいたのに殴りつけなかったのじゃ!」
「殴り飛ばしたい気持ちではありました」
「ちょっとベックにナイン! 私はそんなこと望んでいないわ。ピアニストとしての彼は応援しているのだから」
「マリーン様は優し過ぎます!」
皆が顔をしかめる。
「皆、ありがとうね」
ニッコリ顔でマリーンが言うと、皆ホッとしたような表情になる。そんな皆の顔を見たらマリーンは泣きたくなった。マリーンが顔を歪めると、皆が途端に慌てだした。
「涙は涙でも、嬉し泣きよ。皆が優しいから.....」
「ならば!過ぎたことは忘れて美味しい料理と酒を今夜は楽しみましょう!」
「私も少しお酒飲んでみようかしら」
「たまには良いでしょう!」
マリーンはお酒を飲めないことは無かったが、あまり飲む機会が無かったのでレストランに入ってもお酒は基本、頼まない。だが、こんな日は飲んでもよいだろうとお酒を頼むことにした。
久しぶりに飲んだ甘いお酒はとても美味しくて、マリーンはつい飲み過ぎてしまう。食事が終える頃には色々と起きた1日であったので、マリーンは眠くてたまらなくなった。
「マリーン様、宿まであと少しですから!」
店から出ると、ルンナがマリーンを支えながら歩く。リムかナインが背負っても良かったのだが、ベックも飲み過ぎて酔いつぶれたため、リムが背負っていた。ナインは万が一の襲撃などに備えて警戒しながら歩くことになった。
「無事、宿に着いたわね」
部屋に入るとマリーンは水を飲んで落ち着く。酔いがさめてきて就寝の準備を始めようとしたところでルンナから花束を渡された。
「マリーン様、ナイン様がこれをって」
先ほど、扉をノックする音が聞こえてルンナが対応していたが、相手はナインだったらしい。マリーンはルンナから素朴な野バラの花束を受け取ると聞いた。
「バラ?なぜナインがこれを?」
「姫様はバラの香りが好きだからって。 たまにはナイン様もスマートなことをされるのですね」
(ナイン、覚えていた……?)
かつて王宮に居た頃に、庭に咲くバラの香りをナインと楽しんでいた。マリーンがバラの香りを気に入ったので、ナインと一緒にバラの花びらを袋に入れて香り袋を作ったこともある。
「バラのトゲもきちんと処理してある……」
バラの茎にあったトゲで手を傷つけないように、全てキレイにカットされていた。ちょっとした心遣いだが、マリーンはとても嬉しく思う。
ナインは、チャックの街を出発すると街道沿いに咲く野バラを見つけてひそかに摘んでいた。ナインは、マリーンに不幸な気持ちではなく幸せな気分になって欲しかった。
チャックの街で起きた出来事は、ナインにとってある大きな決断をさせるきっかけとなったのだった。
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