タルの町の夜景

宿のバルコニーからは町全体が見渡せた。


大きな建物の場所にはかがり火が焚かれており、エキゾチックな風景が広がっている。


「タルの町の夜景もステキね」

「そうですね。素朴で温かみがあります」

「自分の知らない世界を知ると、自分がいかにものを知らないのかを思い知らされるわ」

「分かります。オレは特に井の中の蛙でした。姫様が言われるように人生をもっと楽しむべきなのかもしれないと今は思っています」


ナインは普段、あまり詳しく自分の考えや気持ちについて語らない。マリーンはナインを見つめた。


「孤児院にいたオレは、ラペル伯爵家に引き取られてから人生が変わりました。ラペル伯爵はオレを本当の子のように育ててくれましたから、出世をして恩返しをせねばならないといつも気を張っていたのです。……でも、回り道をして知識を深めることも大切だと思いました」

「あなたが心にゆとりを持つことができたのは嬉しいわ」

「ゆとり……?やはりオレはそんなに余裕の無い男だったでしょうか?」

「そうね。最初なんてあまりに失礼で怒っちゃったし」

「その節は......大変、申し訳ありませんでした。姫様の想い人の手紙を勝手に……」

「あー、もう。何度も謝ってくれたからそのことはもういいの」

「……姫様の中では手紙の主はすでに過去の者となっていますか?」

「そうね。旅に出てなんだかんだで何ヶ月か経つでしょう?毎日の旅生活が新鮮で忘れかけていたわね」


本当はオムのことを忘れることはできていない。なるべく、マリーンはオムのことを考えないようにしていた。


「そんな話よりも......!これからの話をしましょうよ!」


マリーンはオムとの思い出を振り切るようにバルコニーの方へと1歩踏み出す。


が、段差があり大きくつまずいた。


「きゃっ!」

「姫様!」


ナインがすぐにマリーンを抱き留めてくれたおかげで転びはしなかったが、抱きしめられる形になり、マリーンの心臓がドキンと跳ねる。


「ひ、姫様、失礼を!」


すぐに身を離そうとしたナインの腕をマリーンはギュッと掴んだ。


「ひ、姫様?」


ナインの声が裏返る。


「......少しだけこのままでいて」


マリーンは抱きしめられ、頭の片隅から追い出そうとしたオムと過ごした時間をイヤでも思い出してしまっていた。考えないようにしていた分、泣きたい気持ちになってしまう。


ナインは動揺していたがマリーンの身体の震えに気が付くと、空中にさまよっていた手を遠慮がちにマリーンの背中に置いた。


「泣きたいならばオレの胸でどうぞ」

「......そんなこと言われたのは初めて。紳士ね。ありがとう」


マリーンはしばらく泣いて気持ちが落ち着くと、ナインの胸板がとても厚く男らしい身体つきであることを改めて実感した。


「ナイン、身体をとっても鍛えているのね」

「騎士ですから」

「ナインは私を守ってくれるのよね?」

「もちろんです」

「......この旅が終わっても?」

「どうなるかは分かりませんが、姫様が望まれる限りそうしたいと思っています」

「私はもう悲しいお別れをするのはイヤなの」

「..........オレは一軍人に過ぎませんが、姫様が幸せになれるように最善を尽くしますので」


マリーンの背中をポンポンとやさしく叩いてくれる。


「小さい頃もこうやって慰めてくれたことがあるわね」

「そうでしたね。小さい頃のあなたは良く叱られては泣いておられました」


発作が出る前は宮殿中を走り回っていたマリーンである。よく父王に叱られていた。


「懐かしい。お父様は元気かしら?」

「この旅が終わったら王宮に戻りましょう。姫様の成長ぶりをご覧になられたら王もきっと驚かれるはずです」

「会わないうちに大きくなってしまったものね」

「ただ大きくなられただけではなく、姫様は美しく成長されて薬学の知識もつけられました」

「最近のナインは私を褒めてくれるのね」

「オレは正直者ですから」

「正直者……確かにあなたは正直ね。 では、私も今日は1つだけ正直に話すわ。......モリーナの町でナインがおぼれた私を助けてくれてから好きだったと、ランドルさんに話したしたでしょう?あれって全部がウソじゃないのよ」

「そ、それはどういう意味でしょうか?」

「子どもの頃、ナインに助けられて好きになったのは本当。ナインは私の初恋の人なのよ」

「……全く気付いておりませんでした。姫様はまだ子どもでしたし」

「そうね、あの頃のナインはお姉様しか目に入っていなかったものね」

「それは違うと……!確かにジュエル様は皆を魅了する方でしたから。ですが、それを“好き”だと表現するのは違う気がしています」

「ふーん、いつも目はお姉様を追っていたようだけど?」

「オレも子どもでしたので! 忘れて下さい」


段々といつものやりとりになってきてリラックスしたマリーンは、ナインの腕の中からナインを見上げる。


「ナインはとーっても大きくなっちゃったわね」


マリーンに上目遣いで言われたナインは焦った。マリーンのクリクリとした瞳がとても可愛らしくて気を抜いたら永遠に抱きしめてしまいそうになる。


「さて、元気になられたようなので……」


ナインはマリーンを自分から離すと部屋まで送り届けた。自分も隣の部屋に戻る。


「マリーン様は満足されたか?」

「はい。旅をかなり満喫されてらっしゃいます」

「そうか」


見ると、もうすでにベックは休んでいた。


ナインは旅を通してマリーンと離れていた9年間の長さを改めて感じていたのだった。

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