初恋人との別れ

オムからお抱えの音楽家にならないかと誘われた話を聞かされた翌日の午前、マリーンは酒場の建物にいた。


「マリ、今日は来られないかと思った」

「大丈夫よ。ベックは私を孫のように可愛がってきたから、あなたに奪われた気がして怒っちゃっただけ。話したら分かってくれたわ」


ホントのところは分かってくれてはいないが、マリーンがオムを送り出すために2人で話をしたいと頼むと、しぶしぶ承知してくれたのだった。今は、リムが店の入り口近くにイスを置いて外を眺めている。一応、こちらに気を使ってくれているみたいだ。


「リムさん、オレ達のことに気を使ってくれているね」

「彼の右手の薬指、リングがはまっているじゃない?きっとリムにも大切な人がいたから私達に気を使ってくれていると思うの」

「リムさんの恋人は今はいないの?」

「うん。今は誰かに会っているとか、手紙を送っているとかそういった雰囲気もないし。本人もそういった話はしてくれないから、きっと悲しい別れがあったんじゃないかな」


“別れ”という単語が出て、マリーンもオムを夢のためにしっかりと送り出さねばと思う。


「オム、昨日の話だけど……」

「マリ、オレからも伝えたいことがある」


オムはマリーンの手を握ると、真剣な表情で話し出した。


「オレはまだ……大成してないけど、オレと一緒にチャックの街について来てくれないか?」

「え?」

「苦労させると思う。だけど、オレ絶対に成功してみせるから!」


小声でオムは話しているが話している内容が深刻過ぎて、リムに聞かれていないかとマリーンはヒヤヒヤした。リムをチラリと見ると、相変わらずイスに座り外を見ている。


「……オム、私もあなたと一緒にいたいと思う」

「マリ! 」


オムは顔をほころばせる。


「でもね、オム、私を連れてどうやって生活をしていこうと思っているの?私は基礎的な薬は作れるけど、まだ薬師としてやっていけるほどではないわ。そんな私を抱えてあなたはピアノに集中することなんてできないでしょう?」

「オレがどうにかするよ……!」

「オム、気持ちは嬉しい。だけど、リム達を振り切って先の見えない生活をしていくのは無謀だわ」


マリーンは薬草売りをするうちに金銭感覚を身につけていたから、駆け落ちなんて現実的ではないと思っていた。オムだって本心では分かっているはずだ。


「マリ、でもオレはマリと離れたくないし夢も叶えたい……」

「焦ることないわ。私達はまだ若いのよ。夢を叶えるために集中する時間も大切。私はあなたには絶対に夢を叶えて欲しいと思っているの」


マリーンの言葉にオムは黙って下を向く。手を握り締めている。葛藤が生じているようだ。


「……オレ、夢を叶えるためにチャックの街へは行くよ。でも、落ち着いたらすぐにマリを招待する。ベックさんやリムさんにも、オレがちゃんとマリを幸せにできるって認めてもらうから」


マリーンは王城に出入りする宮廷音楽家になるにはとても厳しいことを知っていた。オムのピアノ演奏は素晴らしいが、認められるには実力のほかにも実績や人脈なども必要になる。オムが望むような暮らしがいつできるようになるかは果てしなく未知だった。


(でも、オムは本心で私を望んでくれている。嬉しい……)


マリーンの目から涙が流れ落ちると、オムは涙を指ですくって顔を近づけてくる。外を向いているとはいえリムが側にいるのに!と、マリーンは焦る。


「コラッ!オム!昨日、ベック様に叩かれそうになったのを忘れたのか」


こちらの様子に気付いたリムが素早く寄って来ると、オムの頭を後ろから掴みマリーンから引き離した。


「痛たた……すみません、マリーンとの誓いのためのキスだったので」

「誓いだと?」

「オレ、リムさん達が納得できるような音楽家になって必ずマリを迎えに来ます。その誓いのキスです!」

「キスはダメだ!……だが、叶うといいな」


マリーンは、リムがそんな気の利かせた言葉をまさか言うとは思わず、リムの顔を見つめた。マリーンの視線を感じたリムは気マズくなったのか、コホンと咳払いをする。


「リム、ありがとう」

「感謝されるようなことはしておりません」


......和やかな別れ話の3日後、オムはチャックの街から音楽家をハントしに来ていた男とチャックの街へと旅立って行った。


マリーンは胸にポッカリと穴が開いたような、初めての恋人との別れをしみじみ感じて、ふとした拍子に涙を流してしまう。そんなマリーンの姿を見てベックやリム、新しく侍女として仕えるようになったルンナはどうすることもできなかった。


そんなある日、ベックの娘であるシンビーから手紙が届いた。


「ベーック! 娘さんから手紙が届いているわよー」

「マリーン様!だからそのようなことはルンナに任せておけば良いのですじゃ」

「いいんじゃないの。ルンナには買い物やら家事やら色々としてもらっているんだし。ベックはお掃除なんかしないでしょう?」

「うぐぐ。ワシの本分は薬師兼医師としてマリーン様をお支えすること。忙しいのですじゃ!」

「ホラ、だったらルンナが倒れたら大変でしょ。私もできることはやりたいのよ。で、手紙が最近、頻繁に届くみたいだけど、何が書いてあるの?」

「近頃、ワシの娘のシンビーがウルスの街で薬屋を開いたのですじゃ。近くに住む貴族達からも評判が良く、繁盛しているようで……」

「繁盛しているようで、何なの?」

「できれば手伝ってほしいと……ワシには先ほど申し上げた通り、マリーン様をお支えする責務がありますゆえ、断っておりますがなかなかしつこいのですじゃ」

「何それ!ステキなお誘いじゃないの!」

「む? マリーン様がなぜ興味を示しておられますのじゃ?」

「せっかくだから行きましょう!ウルスって北の街よね?」


マリーンはオムのように新しいチャレンジを自分もしてみたい気持ちになっていた。


(私も新しい目標に向かって旅立つのよ!)


マリーンはシンビーの魅力的なお誘いにスッカリその気になったのだった。

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