孤児院への援助金が差し止められることになりました。

庄野真由子

第1話 信心が足りない私は冒険者を目指す。【登場人物紹介有り】

早朝、一の鐘が鳴り響くのと同時に礼拝堂で跪き、胸の前で両手を組み合わせて女神さまに祈りを捧げる。俯くと背中までの長さの黒髪が、さらりと揺れた。


空と大地と海や川を作り、人を生み出した創世の女神と言われ、私たちが祈りを捧げる女神さまの名前はアリューシャだ。

神官に癒しの加護を与え、回復魔法を使えるようにしてくれるから、たぶん、女神さまは、存在しているのだと思う。


でも、私は、女神さまが司祭さまが言うような慈悲深い存在だとは思えない。

だって、女神さまが慈悲深い存在なら、貧民とか孤児が生まれるわけないじゃない。


私が暮らすのはアリューシャ教会サウザーラ支部に併設されている孤児院だ。

孤児院の名前はサウザーラ孤児院という。この地方を治めるサウザーラ侯爵がお金を出して、アリューシャ教会サウザーラ支部に所属する神官が運営している。


私はサウザーラ孤児院で暮らしているけれど、孤児というわけじゃない。

お母さんが神官で、孤児院の雑務をこなす役目だから、その縁で孤児院で暮らしている。


神官は基本的には結婚してはいけないんだけど、でも、妊婦で神官になったり、子連れで神官になる場合もあって、そういう時には子どもは孤児院に預けられる。

親が神官になったからって捨てられたわけじゃなくて、親子としては認められてるけれど、でも、半分孤児のようなものだと思う。


神官は女神さまの使徒で、神官が一番大事に思うのは女神さま。

私のお母さんは妊婦になって教会に身を寄せて神官になったから、私は赤ちゃんの時からずっと孤児院育ち。

不幸ってわけじゃないけど、でも幸せなわけじゃない。孤児院で暮らす、身寄りのない子よりはずいぶんましな境遇だから、自分が幸せじゃないと思っていることは誰にも言っていない。


祈りを捧げる格好をしながら考えごとをしていると、肩を優しく叩かれた。


「アリス」


お母さんが私の名前を呼ぶ。私はお母さんとよく似ていると皆に言われる。

私は大人になったら、お母さんのようになるのだろう。でも、私とお母さんの目の色だけは違う。

お母さんの目の色は黒で、私の目の色は紫。目の色も、お母さんと同じが良かった。

紫の目は、もしかしたら、見たことも無い父親の目と同じ色かもしれないから。

私の父親は死んでいるのかもしれないし、私とお母さんは父親に捨てられたのかもしれない。


いつの間にか跪いているのは私だけで、他の神官たちは立ち上がり動き出していた。

跪いていた私はゆっくりと立ち上がる。膝が痛い。膝に手を当てて、治癒魔法を発動させるとゆっくりと痛みが引いて行った。

私は女神さまへの信心が足りないので治癒魔法はちょっとした痛みを和らげたり、小さな切り傷を治したりすることしかできない。


「今日はいつもより長く祈っていたのね」


「女神さまへの感謝を、少し多く捧げていたの。良い夢を見て目覚めたから、嬉しくて」


私はお母さんに微笑み、嘘を吐いた。こういうところが、たぶん、治癒魔法が上達しない所以なんだと思う。いい子を装った方がお母さんは嬉しそうに笑うし、周囲からも可愛がってもらえるから楽。……私、全然いい子じゃないね。微妙な治癒魔法しか使えないのって、そのせいもあるのかもしれない。

そんなことを考えた後、話を続ける。


「お母さん。私、今日は冒険者ギルドに行ってみる。先週、12歳になったから、見習い冒険者になれるはずなの」


お母さんは私の言葉を聞いて表情を曇らせたけれど口に出して反対はせず、孤児院に戻るように促して歩き出す。今は言い争いたくないと思ったのかもしれない。


お母さんは、私が冒険者に憧れていることを知っているのに応援してくれない。孤児院を巣立った子たちの中に、冒険者になった子もいるのに。


冒険者は冒険者ギルドに所属して、冒険者ギルドからの依頼を受けてお金を貰う職業についた人のことを言う。


冒険者ギルドは世界各国出身の中から一人を選び、その中から一人を選んで冒険者ギルド長として運営しているらしい。元々は大国三国の騎士団の団長たちが、引退した騎士の第二の働き場として冒険者という職業と冒険者ギルドという団体を作ったらしい。

孤児院を卒業して冒険者になったギルバートが、冒険者ギルドの資料室にあった資料の一部を写本してくれた本に書いてあった。


冒険者を便利な雑用係という人もいるけど、でも、私は冒険者に憧れている。

冒険者は、お金を払わず、貴族の後ろ盾もなく、冒険者証を見せるだけで街から街へ移動できる。高ランク冒険者になれば、他国に移住することもできる、まさに自由を象徴する職業だ。


私は冒険者になって独り立ちして、この街を出たい。

そして私が孤児院育ちだと、誰も知らない場所で暮らしていきたい。

冒険者になったとしても、蔑まれたり哀れまれたりするとは思う。でも、私が望んだ冒険者として、蔑まれたり哀れまれたりするのは構わない。それを、自分で選んだから。

だけど、孤児院暮らしも、父親がいないことも、私が自分で選んだことじゃない。それなのに、蔑まれたり哀れまれたりすると息苦しくなる。だけど、そんな気持ちはだれにも言えない。誰にも言えないから、もっと苦しくなる。


私は12歳になった今も孤児院にいる子たちと比べても小柄で、運動もさほど得意ではないから、お母さんも周りの大人たちも、冒険者には向かないと心配しているのだろう。

孤児院の畑を耕したり、孤児院を出て、冒険者になって孤児院を訪ねてくれる子たちから薬草採取や小型の魔物の解体の仕方を教わったりして、自分なりに準備はしているんだけど。


お母さんに続いて、礼拝堂から孤児院の食堂に移動した。食堂内にはスープとパンの良い匂いが立ち込めている。

礼拝堂の半分くらいの広さの食堂には、長テーブルが二列並び、年少の子どもたちが丸椅子に座っていた。


孤児院の子たちは、料理が並べ終わるまでおとなしく待っている。以前は料理が並ぶのを待てずに手を出す子たちもいたけれど、そういう子たちは皆、養子に行ってしまったから今は平和だ。


「アリス、サーシャ母さん、お祈りは終わったのか?」


声を掛けてきたのは両手にスープが入ったカップを持っている赤毛のロッドだ。孤児院の子たちは私のお母さんのことを『サーシャ母さん』と呼ぶ。


彼は私と同じ12歳の少年で、今、孤児院にいる男の子たちの中では一番小柄だ。それでも私の方が、ロッドより少しだけ背が低い。

今日、朝ご飯を食べたら一緒に冒険者ギルドに行くことになっている。


「うん。配膳、手伝うね」


「おう。サーシャ母さんはジャンの様子を見てやってくれる? あいつ、怖い夢を見たってくずってて、朝飯食わないってまだ部屋にいるんだ」


「わかったわ」


お母さんはロッドに肯き、子ども部屋に向かった。

孤児院の子ども部屋は男子部屋と女子部屋に別れていて、赤ん坊や幼児は女子部屋で寝起きしている。女子部屋には孤児たちを世話している女性神官が寝泊まりしていて、孤児たちの世話人は今のところ女性しかいない。


食堂にはジャンと赤ちゃん以外の子どもが勢ぞろいしていた。

配膳も、もうすぐ終わりそう。お母さんと一緒に子どもたちの面倒を見てくれているアニタさんはたぶん厨房にいて、ルーシーさんは赤ちゃんの面倒を見ているのだろう。


食堂にはいびつなガラス窓があり、晴れた日には木戸を開けて太陽の光を室内に取り入れる。そうすることで蝋燭を節約している。ガラス窓は嵌め込まれていて、大きさは食堂のテーブルを半分にして、それをまた半分にしたくらい。

粗末な木の長テーブルに長椅子には、スープカップと黒パンを乗せた木皿が並んだ。

食堂内にいる全員が席に着く。空席は3つだ。


「サーシャとジャン、ルーシーはまだ来ていないみたいね」


食堂に現れたアニタさんはテーブルを見渡して言った。幼い子たちが唇を尖らせて、腹が減ったと騒ぐ。孤児院では基本的に全員揃ったところで食事開始だ。ひとり欠けても待っていなくちゃいけない決まりなのだ。


「チビたちは我慢できないんだね。まあ、いいさ。先に食べてしまおう」


笑ってそう言うアニタさんに、小さい子たちは歓声をあげ、大きな子たちも笑顔になる。アニタさんは大らかで、規則を破っても気にしない。お母さんかルーシーさんは決まりをなるべく守ろうするから、アニタさんとはたまに言い合いになることがある。

私は、ご飯を温かいうちに食べさせてくれるアニタさんの考え方が好きだ。


アニタさんは元冒険者で、私にも、たまに冒険者の心得や、体験談を話してくれる。

だけど、私が冒険者になることには反対している。私が冒険者になることに賛成してくれる大人は、孤児院にはいない。


「女神さまの恵みに感謝して、いただきます」


食堂にいる全員で祈りの言葉を唱和して、朝ご飯を食べ始めた。


***


登場人物紹介(一話の時点)


・アリス:背中までの長さの黒髪、紫の目の少女。物語開始時(一話の時点)は12歳。運動が得意ではなく、ロッドよりも少し背が低い。


・サーシャ:アリスの母親で教会のシスター。黒髪に黒い目。孤児院の子どもたちからは『サーシャ母さん』と呼ばれている。実子のアリスは『お母さん』と呼ぶ。


・ギルバート:孤児院を卒業して冒険者になった少年。孤児院在院中にアリスに字を教わった恩があるので、冒険者に憧れるアリスのためと、字の練習のために冒険者ギルドの資料室にある本の一部を、冒険者ギルドの資料室担当の職員に許可を得て写して、孤児院に寄付している。使用する紙は孤児院出身のギルド員たちからの寄付。


・ロッド:赤毛の少年。12歳で、孤児院に住んでいる孤児。孤児院にいる男の子たちの中では一番小柄。


・ジャン:孤児院で暮らす幼児。よく怖い夢を見て泣いている。


・アニタ:孤児院担当の神官。料理が上手。元冒険者で、同じく冒険者だった恋人が死んだことがきっかけで神官になったがアリスはそれを知らない。


・ルーシー:孤児院担当の神官。子どもをあやすのが上手で優しい性格。

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孤児院への援助金が差し止められることになりました。 庄野真由子 @mayukoshono

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