天命記

yomiasawa

序章

第1話

災厄は、飄々ひょうひょうとした顔でやってくる。


「こんにちはぁ、地上界蘇越国そえつこく第十三代皇帝輝王きおう様。ご即位おめでとうございまぁす」


 皇帝の即位式典が行われている湖斉こせいの都・風陵城ふうりょうじょう。新皇帝が鳳凰殿での儀式を済ませ、臣下や仙界からの来賓達が一同に平伏する白い石畳の広場へ姿を現した時、突如、新皇帝の前に一人の青年が現れた。

 髪も黒、服も黒。全身黒のその青年は、千を超える視線を浴びながら、ざわめく人々を見回して楽しそうにくすくす笑う。


「ようやく復活できたから久々に来てみたけど、三百年前とあんまり変わんないなぁ。相変わらず仙界と地上界は仲良しみたいだねぇ」

「そ、そなたは何者だ! どこから現れた!?」


 輝王の隣に控えていた側近の楊永ようえいが叫ぶ。

 青年はぐるりと首を回して深淵のような瞳を楊永に向け、にたりと赤い口を開いた。


「僕? 僕はねえ、紫微しび渾沌こんとんだよ」


 その名を聞き、来賓の列の中にいた雲水うんすいが目を見開く。


「渾沌……? まさか、あの三百年前に死んだという神の事か?」

「ご名答~。さすが、老師の代わりにここに来ているだけの事はあるねぇ」

「何故死んだ神が……」

「君たちと違って、紫微に住んでる神はみーんな、死んでも信仰されてる限り蘇れるの。知らなかったぁ?」


 雲水はこてんと首を倒した彼を睨みつけ、楊永は輝王を守るようにもう一歩前に出た。しかし渾沌はそれを気に留める事なく、輝王の方へと向き直り、近づきながら語り始めた。


「さてさて僕がここにきたのはねぇ。地上界の新皇帝誕生のお祝いに、仙界の仙士せんし達が必死に必死に隠してる、とーっても自分勝手な真実を教えてあげようと思ったからだよぉ」


 その言葉に、周囲はどよめく。地上界の人間達はつぎつぎ疑問を口にして、仙界の仙士達は顔に僅かな焦燥を浮かべた。


「戯れ言を! 我らが何を隠していると言うのだ!」

「それ以上陛下の前で妄言を吐くなら、神であっても容赦はせぬぞ!」


 雲水と楊永が口々に叫び、渾沌を捕らえよと命じようとした。

 しかし。


「やめるのだ」


 それまで沈黙を貫いていた輝王がすべてを制し、まっすぐな瞳で渾沌を見つめた。


「渾沌神よ、語ってくれ。真偽は朕が判断する」

「ふふっ。地上界の当代の皇帝は、なかなか聡明な判断をするみたいだねぇ」


 渾沌は雲水の顔を一瞥し、楽しそうに両手を開く。長い袖がひらひらと風に揺らめいた。


「地上界はねえ、仙界に操られてるんだよぉ」

「……どういうことだ」


 輝王の表情が険しくなる。同時に、雲水の顔から血の気が引いた。


「そのまんまの意味だよお。地上界が始まってから地上界が終わるまで、どこで何が起こって誰がいつ生まれていつ死ぬかまで、ぜーんぶ仙界が管理してる。君が今日この日に皇帝となったのも、仙士達がそうなるように仕向けていたんだよぉ。この地上界の歴史は、これまで仙士達の筋書き通りに運んで来たってことだねぇ」


 渾沌の言葉に輝王は目を大きく見開き、雲水の顔を見る。


「雲水殿、それは誠か?」

「まさか。我らにどうやってそんなことができると?」


 雲水は否定したが、その声は僅かに震えており、表情も固い。

 そんな様子の彼を、渾沌は面白そうに眺めて言った。


「言えるわけないよねぇ。今まで地上界はずーっと仙界の操り人形でした、なんてさあ」

「……」

「だから僕が教えてあげるんだよお。地上界がなんにも知らずになすがままにされてるなんて不公平でしょ? それで、どうやって仙界が地上界を操っているかっていうと、てん……」


 ばちん、と。

 突如、渾沌の言葉を遮って、雷電の音がその場に響いた。迸る一本の雷光は、背後から黒い神に襲いかかる。


「っと……危ないねえ」


 渾沌は雷に向かって腕を突き出す。開かれた手の平の前には、闇色の巨大な円が出現した。渾沌の全身を守るように現れた円は、襲い来る雷光を吸収する。


「へえ。やる気かい?」


 渾沌は雷を仕向けた者――雲水へと顔を向けた。


「黙れ! お前は我らを侮辱しすぎた!」


 雲水が叫ぶと同時に、渾沌へ向かって数本の雷光が放たれる。周囲の人々は悲鳴を上げ、楊永は輝王を守りつつ後退した。


「何度やっても同じだってば」


 渾沌は再び黒い円を出現させて防御する。正面から放たれた雷光はすべて渾沌の身体に届くことはない。だが雲水は、状況に反して笑みを浮かべた。


「掛かったな」


 雷光が、渾沌の後ろで爆ぜた。


「えっ……ああっ!」


 叫ぶ渾沌の身体には、青白い雷光の紐が巻き付いていた。その紐の端は雲水の手に握られている。彼は渾沌を睨みつけ、縛り上げるように強く引いた。


「私達を侮辱した罪は重いぞ」


 雲水は小さな透明の石がついた首飾りを取り出し、渾沌へ向かって突き出した。

 渾沌が顔に苦悶を浮かべた。その身体から黒い闇色のかすみが立ち上ったかと思うと、一気に雲水の手の首飾りへと吸い込まれて行く。


「っへえ……神である僕の力を奪う術なんて、仙界は良く発明したねえ」


 渾沌は口の端から血を流しつつ薄く笑う。やがて霞が消えたとき、彼の顔は随分と青ざめ、代わりに雲水の持つ首飾りの石は闇色に黒く染まっていた。

 その状況を見ていた輝王は、楊永の後ろで困惑を浮かべた。


「雲水殿、これは……」


 だが雲水はそれに返答する事なく、袖の中から霊符を数枚取り出した。


「へえ、僕をどこかに封印する気?」

「……せっかく復活したところ悪いがな。混乱を収めるにはそうするしかないようだ」

「けどそんな事したら、僕の言った仙界の話は真実って認めちゃうことになると思うけど?」

「……」


 意思の輝きがなくなった事を確認し、雲水は無言で霊符を投じて封印の呪を口にする。呼応するように、渾沌の身体が赤い光に包まれた。


「あーあ、一瞬で退場なんて悲しいなぁ。一番大切な事も言えなかったし」


 渾沌は薄らいでいく自分の手の平を見つめながらため息をつく。そして輝王に向かって怪しげに笑った。


「あとは君の判断だよぉ。僕の話を信じるか信じないか。今まで通りに生きるか、決められた道に抗うかはねえ」


 そう言い残して、渾沌の姿はその場から消えた。

 呆然とする輝王に雲水が歩み寄り、恭しく頭を下げる。


「失礼致しました、陛下。彼の者の戯れ言はどうかお気になさらぬよう……」

「……やめてくれ」


 釈明しようとする雲水に、輝王は眉間に皺を寄せた。


「すまぬが仙界へ帰ってもらえるか。朕は少し考えたいことがある」

「しかし……」

「帰ってくれ」


 鋭い口調で告げられて、雲水は仕方なく引き下がる。仙士達に号令をかけ、彼らと共に仙界へと戻って行った。

 彼らの姿が消えたことを確認した輝王は、鳳凰殿の方に踵を返し、放心した様子の楊永に声をかけた。


「楊永。我が国の現在の兵の能力は?」

「あ、ええ、屈強な兵がそろっております。蘇越国の歴史上最高の兵力と言っても過言では……」

「そうではない。彼らの中に仙士達に対抗できる能力を持つものはいるかと聞いている」

「それは……恐らくほぼいないと思われます。が、まさか陛下……!」


 楊永は主の考えを察し、驚愕の声を上げる。そんな彼に輝王は「ああ」と頷いて、鳳凰殿へと歩みながら意思を告げた。


「朕は、仙界に対抗する」




 程なくして、地上界と仙界、二つの世界の間で大きな戦争が勃発した。

 二界戦争と呼ばれたその戦いは、その後二十年以上続くこととなる。

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