第4話
「ははっ。こいつ、俺の正体知ったらどう思うんだろうな。……『あんたに耳と口だけでもあったら良いなって思ってたんだよ』」
伝えると、神は首を傾げたまま左手の人差し指で自分の顔を差した。丁度、人間の口があるべき位置だ。
「そうそう、口と、それから耳ね。俺にあるみたいに」
桃麻はくすりと笑いながら、神の手を掴んで自分の口に触れさせる。神の指先は、存外温かかった。
その温もりを感じつつ、桃麻は自分の耳に彼の手を持ってくる。
その時神が、もう片方の手も桃麻の顔にのばしたのだ。
「うわっ。おい、やめろって」
顔のあちこちを触れられるのがこそばゆくて、桃麻はくすくすと笑う。しかし神はそれに構わず、確かめるように桃麻の顔を両手でぺたぺたと触った。
一通り顔面をまさぐった後、おもむろに神の手が桃麻の顔から離れていく。
「ん、やっと満足したか?」
こそばゆさが消えてほっとしつつ、桃麻は神に向かって問いかける。
口だけで聞いたその問いに、勿論神からの答えはない。代わりに神は自分の懐に手を入れる。
ごそごそと手を動かして、取り出された小さな棒状のものは。
あろうことか、一本の短剣だった。
「え!? いきなりそういう展開か!? 俺、なにもしてないだろ!?」
突然の神の行動に、桃麻は驚き彼から一気に距離を取る。そして腰の剣を構え、神からの攻撃に備えた。
しかし彼はその場から動かなかった。
座ったまま短剣を鞘から抜き、刃先を桃麻ではなく自分の顔に向ける。そして……そのままぐさりと自分の顔を突き刺したのだ。
「は!? え!? ちょっとあんた、何してる!?」
桃麻は驚き、慌てて神の元へ駆け寄った。剣が突き立てられた場所には血こそ出ていなかったものの、黒い靄のようなものが微かに立ち上っている。
神はすぐに短剣を抜いて、今度は顔の横に持ってきた。制止しようとする桃麻の手を振り払い、そのまま頭の両側にぐさりぐさりと突き立てる。そこで神はようやく止まり、短剣を再び懐の中に戻した。
「だ、大丈夫か?」
桃麻は恐る恐る神に尋ねる。特に痛みを感じている様子はなかったが、顔から靄が溢れる場所は正面と両横に増えていた。まるで中に詰まっていたものが外に流れ出ているかのようにも見える。
もしやこのまま中身が全部出てきてしまい、死んでしまうのではなかろうか。
そんな心配を頭に巡らせていると、神は急に自分の顔を両手で覆い隠した。何やらもぞもぞ両手を動かしながら、短剣を突き立てた場所に触れていく。
「何してるんだ、こいつ……」
桃麻がぼそりと呟いた時、神が顔から両手を離して顔をあげた。
その顔の正面は、明らかに桃麻の方に向いている。
そして。
「良かった、うまくいったみたいだね」
口がなかったはずの神が、言葉を発した。
「は!?」
桃麻は驚き、目の前の神から一歩飛び退く。
「あ、あんた、さっきまでしゃべれなかったのに!」
「だから口を作ったんだよ? あと、耳もね。ほらほら、結構うまくできたでしょ?」
言いつつ神は顔を隠している布をぺろりとめくり、髪の毛を書き上げた。
そこには確かに、口と耳があった。
丁度神が剣を突き刺した位置、先程までは肌しかなかった場所に、薄い唇と小ぶりで形の良い耳が、あたかもそこにずっと存在していたかのようについていた。
「ほ、ほんとだ。でもなんで……」
「君が欲しいって言ったでしょ? だから適当にやってみたらできちゃった」
「適当にって……。でもその、耳と口から出てるやつ、大丈夫なのか?」
桃麻は眉根を寄せつつ神の顔を見つめて尋ねる。
剣で顔を刺した直後に出ていた黒い靄は、相変わらず耳の穴と口の端から流れでていた。
しかし桃麻の心配とは裏腹に、当事者の神は呑気に両腕を広げて言った。
「ん? 全然大丈夫だよ」
本当に大丈夫なのだろうか。
胸の不安はいまだ消えない。桃麻が難しい顔をしたまま立っていると、神が唇に笑みを浮かべながらこちらに手を伸ばしてきた。
「ね、それより、お話しようよ。せっかく会話できるようになったのに」
その遊びをせがむ子供のような彼の態度に、心配も一旦頭の隅に押しのけられる。仕方がないな、と思いつつ、桃麻は神の側に歩み寄った。その手首が彼の指に触れたとき、神が桃麻の手首をぎゅっと掴んだ。
「え? ……うわっ!」
一気に身体を引き寄せられて、ぽすん、と桃麻の身体は神の胸の中にすっぽり収まった。
「おい、こら! 離せ!!」
見た目は同世代の、しかも男にそんな事をされるなど、当然想像していなかった桃麻の頭は、一気に混乱の嵐となった。
しかし神は嬉しそうに桃麻を抱きしめたまま、一向に離す気配もない。
「ふふっ、嬉しいなぁ。誰かが僕に関わろうとしてくれるなんて初めてなんだ」
「わかった、わかったからちょっと離せ……」
痛い程跳ねる胸の鼓動。炎のように熱くなる頬。これは驚愕と混乱の所為で、決してそういう感情ではない。
そんな事を心に念じながら、神に手を離すよう懇願する桃麻。しかし彼は「やーだ」と幼さの滲む声でくすくす笑った。
「ねえ、君の名前は?」
「桃麻……。桃に麻と書いて、桃麻だ」
「桃麻、桃麻かぁ。ふふっ。綺麗な名前だね」
桃麻の名を呼びながら、神は更に強い力でその身体を抱きしめる。まるで欲しい玩具を手に入れたかのように。
「桃麻。僕が一番始めに話す人。僕と一番最初に親しくしてくれた人。僕の桃麻だ」
「僕の……は、おかしくないか……?」
渾沌の言葉に桃麻はぼやく。
そうして桃の花舞う神域の中、邪神と呼ばれる神と、それを殺しに来た退治屋は、たった二人で多くの言葉を交わし合った。
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