おやすみテレポート

比呂田周

第1話

 俺が人通りが少ない繁華街の中にある交番に辿り着いた時、壁にかかった大きな丸い時計の針は、午後十一時を少し過ぎていた。

 フラフラになりながら、いきなり駆け込んだ俺を見て、机で何か書いていた若い巡査がぎょっとして立ち上がった。

「どうしましたっ!」

「あの、ここって、どこでしょうか?」

「ここは交番ですよ」

「いや、どこらへんの交番ですか?」

「貴方何言ってるんですか?寝ぼけてます?」

 

 無理もない。その時の俺は、くたびれたランニングシャツと青いタテジマのトランクス姿。しかも裸足であり、つまりはさっき自分の部屋の布団で寝た時の姿そのままなのだから。

「一体、どうしたのそのカッコは?ダメだよぉ、そんなんで歩いちゃ!」

「はい、これには色々と事情がありまして」

「もしかして、何者かに拉致されたとか?」巡査は俺の姿を見て、頭の中で色々なケースを考え始めたようだ。でも多分、どれだけ頭を巡らせたところで、俺がなぜこの姿でこの交番に飛び込んだのか、正解に辿り着くことは出来ないだろう。


 俺よりいくつか年下であろう、その若い巡査はとりあえず俺の要求に応え、奥から水道水の入ったコップを持ってきてくれた。そして俺を椅子に座らせ、彼も向かいの椅子に座って調書を取り始めた。

「まず、貴方の基本的なことから聞かせてください。お名前は?」

「コンドウハジメです。コンドウは近いに藤、ハジメは始まる、という字です」

「近藤始さんね。住所はどこ?」

「東京都西区緑が丘3丁目12の2 吉田荘202」

「え、東京都?」

 巡査は住所を書き始めた手を止め、俺の顔を見た。

「何?今日はどっか泊まってるの?」

「いや、今言った僕の自宅で、さっきまで寝てました」

「それが、なんで埼玉のこの町に居るんですか?」

「埼玉?そうか、埼玉かぁ」

「何を言ってんだよあんた。早く答えて」

「答えてっていわれてもね、こっちが知りたいぐらいですよ。まあ、なんでという理由ならわかりますが」

「なんで?」

「最初はね、ありえないなって思ってたんですけどね。さすがにこうも続くと、信じるしかないっていうか」

「一体何なんですか?」

 巡査は苛立ちの表情を浮かべながら、調書の表面をボールペンでトントンと突きはじめた。

「実はね、僕、眠るとテレポート、つまり瞬間移動してしまう体質になってしまったみたいなんですよ」

「ハァ?あんた何言ってんの」

 巡査はさらに呆れた顔で俺の顔を見た。さっきまではまだ、丁寧な言葉で接してくれていたはずが、今はすっかり変人を見る目に変わっている。

「まあ、そういうリアクションになりますよね。自分でも半信半疑でしたよ、

ついさっきまでは。でもね、これ五回目なんですよ。しかもね、その距離がどんどん伸びてるんです」

「距離が伸びてる?」

「そうなんです。移動する距離が伸びてるんですよ!」

 

 巡査は椅子に座り直して、俺の話を聞く姿勢になった。

 俺は詳細を語り始めた。信じてもらえなくてもいい、とにかく今の状態を聞いて欲しかったのだ。

「最初はおとといの夜でした。会社から帰って布団に潜り込み、普通に寝たんですが、しばらくしてあんまり寒いんで、目が覚めたんですよ。そしたら、僕の部屋の、ドアの外のコンクリートの廊下で寝てることに気付いたんです」

 巡査がちょっと小馬鹿にしたような顔で俺を見て言った。

「寝ぼけてたんじゃないですかぁ?」

「僕もそう思いましたよ。そんな癖は無いハズなんですけどね。で、慌てて家に戻ろうとしたら、鍵がかかってるんですよね」

「誰がかけたの?」

「そりゃ僕自身ですよ。寝る前に、というか帰宅したら普通鍵、かけますよね?」                  

「何で鍵かけて外で……」

 そこまでいいかけて巡査は何かを察したのか、黙って俺を見つめた。


「で、その後どうしたの?」

「合鍵を外の牛乳箱の中に張り付けていたのを思い出したんで、それを使って入りました。その時は眠かったんで、不思議なこともあるもんだなって思いながら、また布団に戻って寝たんです。ところが!」

「どうしたの?」巡査が身を乗り出して聞いた。

「しばらく寝ていたんですが、また寒さを感じて起きたんです。やっぱりさっきと同じで布団の中には居ないのがすぐわかりました。まわりはすっかり明るくなってて、確実に僕は屋外、それどころか冷たい地べたに寝ていたんです。顔の周りは枯れ葉とかゴミがいっぱい散乱していて」

「どこだったの?」

「起き上がってしばらくキョロキョロしてたら、五十メートルぐらい向こうに見慣れた僕のアパートが見えました。それで気付いたんです。ここはアパートのそばにある公園だと」

「じゃあ、あんたは布団の中から公園までテ、テレポートしちゃったってこと?」

「そうらしいんです。まだ時間は朝の六時過ぎで、人通りも無かったんで裸足でアパートに戻りましたよ。また牛乳の箱の中の合鍵で家に入ったんですが、もう寝ることは出来ませんでした。だって次、どこに飛ぶかわからないし」

 

 俺と巡査はしばらくお互いを見つめ合った。時計の針の音がやけに大きく聞こえる。巡査はアクビをしかけたが、口の中でなんとか噛み殺したようだ。

「うーん、何とも調書に書きようがないんでね、こっから先は私個人の興味として聞かせて貰うけど、それからどうしたの?」

 巡査はすっかり俺の話に興味津々だ。このテの話に抵抗が無い、というよりも相当好きそうな人という感じで、こちらとしても話しやすい。

「さっきの続きですが、出勤時間になったので、眠いまま僕は会社に行きました。仕事中も何度か睡魔が襲ってきましたが、必死に堪えました。仕事中に急にテレポートしちゃったら、どんなことになるか想像もつかないし。例えば、うちの職場は地上百メートル以上の高所ですが、窓の外に飛んじゃったら即死でしょう」

「怖っ!それはヤベーわな」

 巡査はもう、友達の話を聞いてるようなモードに入っているらしい。口調がさらにラフになっている。俺は気にせず続けた。

「で、家に帰るまでに色々考えて、その日は万一に備えてちゃんとTシャツとジーパンを着用し、携帯電話と財布、そして家の鍵をポケットに入れて寝たんです」

「なるほど。それなら安心だわ」

「はい。で、寝たわけですが、しばらくして車の騒音らしき音がすごくうるさくて目が覚めたんです。やっぱり起きたら家の中ではなかった」

「今度はどこ?」

「車の通りの激しい、大通りのすぐ脇の植え込みの中でした。あと一メートル先に飛んでいたら確実に轢死体になっていたでしょう」

「うほーっ、そりゃ危なかったねえ」

「ホント冷や冷やしました。家に帰って調べてみると、その大通りはアパートから五百メートル離れた、最寄駅の近くにありました。で、ハッと思いついたんです」

「何を?」

「どうやら寝る度に十倍ずつ、北の方角へ遠ざかっていると」

「ん?どういうこと?」

「いいですか?最初に飛んだ家のドアの外は、布団から五メートル離れた地点だったんです。次に飛んだ公園は、布団から五十メートル離れてました。さらに大通りは五百メートル先。そしてここ。前のポイントから五十キロにあたるんです」

「えっ、間が抜けてない?大通りの次は五キロ地点では?」

 なかなか頭がキレる男だ。ちゃんと人の話を聞いてくれているらしい。俺はこの若い巡査は頼れそうだ、と確信した。

「そうなんです。僕がこんな姿をしているのも、四回目のテレポートが原因なんです。実はね、大通りから家に帰って鏡を見ると、全身が排気ガスや土煙で真っ黒だということに気が付いたんです。何時間も道路脇で寝てたからでしょうね。それで、すぐにシャワーを浴びました。まだ出勤前でしたし。風呂から上がってランニングシャツを着て、パンツを履いたんですが、その姿で畳に座って、いつもの癖でつい、ビールを飲んじゃったんですよねぇ、朝から」

「あらら~」

 巡査はそれだけですぐに察したようだ。「寝ちゃったんだ?」

「そうなんです。どうやら僕はビールを飲みながら布団にも入らず、ゴロンと畳の上に横になったようですね。バカでした。気付いたら、とんでもないところに僕はいたんです」

「ど、どこに?」巡査はさらに身を乗り出してきた。顔がくっつきそうだ。彼は無意識にさっきの調書に落書きをしていて、調書はほとんど落書きで真っ黒になっていた。ところどころ「テレポート」だの「エスパー」「きょげんへき」といった文字が見える。俺の話に乗っかりながらも、まだ半信半疑なのか。


「そこはですね、風が吹きすさんでいました。とにかくものすごく寒かった。

そしてあたりは薄暗くてどこかよくわからない。冷静に目を凝らしてみると、僕が居たのは、どこかの山の展望台の屋根の上だったんです」

「屋根?」

「そうです。夕闇迫るどこかの村全体が見渡せる、山の上の展望台の屋根に寝ていたんですよ、この恰好で!」

「こわっ!危ないな、それ」

「はい。首を伸ばしておそるおそる下を覗き込んでみると、結構高い屋根だったので降りられそうもなく、下から吹き上がってくる風がまた冷たくて、気を失いそうになりました」

「で、どうしたのよ」

「そこで、僕は一か八かの案を思いつきました。この状況から脱するにはそう、寝ることです。寝ればまた、どこかへ飛べるはず。少なくとも、今の場所よりマシなところへ行けるんじゃないか……そう思ったんです」

「まさに、一か八かだね」

「寒いし、高くて怖いし、まともな判断力も失ってましたからね。でも、ホラ、こうしてここに来られたのは、その時の決断が功を奏したからですよ!」

 

 俺がそう言うと巡査は一瞬、何かを考えて唾を飲み込んだ。そして次の瞬間、ようやくすべてがつながったのか、大きな声を出した。

「そうなんだ!それであんた、ここへ?」

「はい。厳密に言うとですね、今度はこの先にあるバス停のベンチの上で寝てたんです。夕方から夜ぐらいまで!相変わらず寒かったけど、展望台の上よりはマシでしたよ。で、起き上がって、走って交番を探して、ここへ飛び込んだってわけです」

「いやぁ、よく無事だったね!」と、巡査は俺の手を無理矢理掴んで握手をした。

「ははは、ホント安心しましたよ。展望台の屋根の上で寝ようとした時は、あまりに寒くて凍え死ぬかと思いました。次に起きたら霊界にテレポートしてるのかな~、なんて思ったりして」

「ご冗談を!まあ、今日はね、せっかくここまで来たんだ。疲れてるだろうし、奥の部屋の宿直室で朝までゆっくり寝てくださいよ」

 巡査は俺の体を気遣って優しい言葉をかけてくれた。俺も思わず「あ、ありがとうございます!」なんて感激して答えてしまったが、すぐに気が付いた。

「いやいや、とんでもない!寝ちゃいかんのですよ、寝ちゃ。また、どっか見知らぬところへ飛んでっちゃうし!」

「あ!そうだったねぇ、いや~俺としたことが」巡査は頭をポリポリかいて照れ笑いをした。


 それから俺と巡査はしばらく机をはさんで、黙って向かい合っていた。机の上には、巡査が本棚から持ってきてくれた日本地図の本がある。調べたところ、俺が四回目に飛んだ展望台は、自宅から五キロ先にある北東京市の女崎山にある展望台だったらしい。そして、計算通りこの町はそこから五十キロ離れた埼玉県の竹吉市だった。

俺は巡査に借りた毛布を体に巻いて、これからどうしたものか考えていた。ストーブのついた交番の中はぽかぽかして時折眠くなったが、何度も首を振って耐えた。それでも俺が眠りに落ちそうになると、巡査が向かいから腕を伸ばして俺の肩を揺すり、起こしてくれた。

「近藤さん、今、一瞬眠りに落ちたでしょ。貴方の体がスーッと透けるのがはっきりわかりましたよ」

「ええっ!そうなんですか?そういう風に飛ぶんだ。危ない危ない」

「でも、眠らないわけにはいかないでしょう。いつかは眠るわけだし、そうなると貴方、次はどこへ飛ぶんですかね?」

「さあ、次はいよいよ五百キロ飛びますからね。東か西へ飛ぶならまだ本州ですが、日本は縦に狭いですから、北か南へ飛んだら太平洋か日本海、どちらかに落ちるかも知れない」

「じゃあもしもの時のために、ウエットスーツとか浮き輪でも着ておきますか?私の家に帰ればありますけど。趣味、ダイビングなんで」

「お、お借りしようかな?」俺は本気でそう考えた。泳ぎは得意ではないのだ。でも海のど真ん中に落ちたら、そんなもの役に立つのだろうか。


 そんなことを考えているうち、俺はあることに気が付いた。今まで距離のことばかり頭にあったが、なぜ俺は北へ向かって飛んでいるのだろうか?と。

「そうか!もしかすると、飛ぶ方向はコントロール出来るかも」

「えっ、どういうこと?」巡査は何度も瞬きをして俺を見つめた。

「僕の部屋において、ベッドの頭の部分は北向きです。何故か子供の頃から北枕じゃないと眠れないんです。畳で寝てしまった時も確か、ベッドに並行して寝ていました。展望台で寝た時も、頭の方から冷たい北風が吹いていたように思います。ってことは、僕は常に頭がある方向にテレポートしているわけです」

「ほう、なるほど!じゃあ、今度は頭を東に向けて寝たら東、西だったら西へ飛ぶ可能性が高いということ?」

「そうなりますかね!いや、きっとそうだ」俺はそう思い込むことにして少し気が楽になった。もちろん道路の真ん中や湖などが移動先だという可能性も十分あるが、東か西はまだ本州だし、立派な陸地だ。海に飛ぶよりはまだマシなんじゃないか……そう思ったのだ。

「じゃあ、近藤さん、疲れたでしょうからホント、宿直室で寝てくださいよ。これでお別れになるのは残念ですが、また手紙でもください」

「はあ、生きていたら、どっかの国から出させていただきますよ」

 俺はすでに先の先を見越して、世界一周する覚悟ですらいる。

「あ、そうだ。あんた体汚れてるし、お風呂に入ったらどうです?この交番にはお風呂もありますからね。お風呂、ちょうど沸いてますよ!」

 巡査はどこまでも親切だ。俺は風呂に入らせてもらうことにした。

 さらに巡査は俺が風呂に入っている間に、近所にあるという自宅に戻って衣服と下着、そして念のためウエットスーツの入ったカバンも持ってきてくれるという。彼の温かい心遣いに俺は涙が出そうになった。

「すっかり変な話に付き合わせた上、こんなに親切にしていただいて、ホントすみません。このご恩はいつか必ず返しますんで」

「いいからいいから、お風呂入って綺麗にして、旅に出なさいよ。しばらく自宅へ帰れそうにないみたいだし」巡査は心から同情しているといった顔を崩さず、俺を風呂場へ連れて行ってくれた。


 数時間後、俺は頬に何かがあたるのを感じて目を醒ました。どうやらまた、眠りに落ちてテレポートをしてしまったらしい。目を開けるとまわりには驚いた顔で俺を覗き込む四つの顔があった。俺は全裸で、毛布が体に掛けられている。その体はふわふわしていて飛んでいるような気分だ。

「あのう……おたく、一体どこから来たんですか?」

 どこかで見たことがあるような顔の男性だ。この人が俺の頬を叩いて起こそうとしていたらしい。その後ろにいる人たちは外国人のようだ。一体ここはどこだろう?頭が痛くて何も考えられない。体がずっとふわふわしているのは、長距離を瞬間移動した影響なのか?

「あの、ここはどこでしょうか?」

 俺が口を開くと、どこかで見たことがある男性が言った。「ここは、地上五百キロメートルの、宇宙ステーションの中ですよ!一体貴方、なぜここに?」

「えっ!」俺は絶句した。

 四人は思わぬ出来事に、口々に何か話し合っている。そうか、どこかで見たことがあると思ったら、この人は日本人宇宙飛行士の戸田千春さんだ!

 思い出した。交番の風呂に浸かっているうちに、俺は湯船に座ったまま睡眠に入ってしまったらしい。風呂の中に座っている状態だったからか、東でも西でもなく、空高く五百キロ飛んだのだ。そしてちょうど日本上空を通りかかったこの宇宙ステーションに素っ裸で飛び込んだということか。

 それがわかった時、俺はもういいや、と思った。すっかり諦めの境地である。次に寝たら、今度は五千キロ先だ。完全に宇宙空間となる。どうせもう家には帰れそうもない。

 俺は頭に疑問符を無数に浮かべた宇宙ステーションのクルーたちを無視して目をつむり、そのまま眠ることにした。五千キロ先に、日本語を理解出来るエイリアンの乗った宇宙船が通りかかることを祈りながら…。


                                  ( 完 )

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おやすみテレポート 比呂田周 @syu078

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