『ロミオとジュリエット』2

ステージ上の舞台は続き、王妃の父となったクローディアスが次第に権力を握るようになり、母ガートルードもクローディアスの考えを支持している。


対してリア王は王であるにもかかわらずその意見をないがしろにされるようになり、その苛立ちをゴネリルにぶつけるせいで夫婦仲は不仲になっていく。

そんな最中、クローディアスはキャピュレット家の領地を強引に没収するなど執拗な嫌がらせをする。ついにはキャピュレット家が謀反を企てているとして討伐隊を派遣することとなる。


その指揮を執るのはリア王。対するはキャピュレット家のティボルト。


舞台の上ではリア王扮する大我とティボルト扮する戸部っち先輩。練習に練習を重ねた殺陣とはいえ、ふたりともその剣捌きは見事なものだ。普段は一見冴えない印象の戸部っち先輩だが、こうしてみるとなかなかどうしてかっこよく見えるものだ。それに大我、いくら運動神経が万能だとはいえ演劇部の先輩を相手に決して見劣りのすることの無い動き、それは単に彼が優秀なだけではなく、人の見ていないところで人一倍の努力路惜しまない人間だということを僕は知っている。いつも、口先だけで適当に言いつくろってのらりくらりやっている僕なんかには到底できない芸当だ。


激戦の末、ついにリア王はティボルトを打ち倒し、倒れゆく中でティボルトはリア王に妹のコーデリアがプロポーズの際にリア王に冷たい態度をとったのは本心ではなかったことを告げる。


『あれはなあ、オレがアイツに言ったんだよ。もしオマエが本当に愛しているならばどんな冷たい言葉を投げかけても受け入れてくれるはずだってな……

 だがどうだい? オマエはそんなコーデリアの気持ちを汲み取るでもなく罵り、裏切って他の女と結婚したんだ。――なあ、どんな気持ちだ? それでオマエは幸せになれたのか? そんなオマエに、妹を幸せにする権利なんてない。

 フフッ、先に地獄で待っているぞ。キャピュレットもモンタギューも関係ない。みんな、みんな呪われるがいい……』


 そうしてティボルトは息を引き取る。


 リア王は自分の犯した罪に気づき、絶望のうめきをあげて二幕が終了する。


 ステージの上では引き続き第三幕が上演されている。キャピュレットの屋敷で軟禁状態のコーデリアのもとに夜中に忍び込んだリア王が窓の下からコーデリアに愛をささやくシーンだ。ロミオとジュリエットの中のもっとも有名なシーンのオマージュ。


 舞台の袖ではティボルト役を演じた戸部っち先輩が着替えを始めている。ティボルトが死んだことにより、戸部っち先輩は次に登場するリア王の父の幽霊として再登場することになる。少人数での演劇だからひとりで何役もこなさなければならないということは致し方ない。その度にキャラクターを演じ分けるというのもなかなか大変だろうとは思う。


 王の幽霊の衣装に着替え終わった戸部っち先輩は脱ぎ終えたティボルトの衣装をすぐにハンガーにかけて吊るす。その姿を見ながら思う。こんな几帳面な戸部っち先輩が脱ぎ捨てた衣装に収斂現象で引火させただなんてどう考えたっておかしいのだ。


 ステージ上では高いところにある窓から見下ろす演技のためにつくった大掛かりな屋敷の壁セットが並べられ、コーデリア役の栞さんとリア王役の大我とが愛をささやき合っている。まったく。あの二人も普段からああして素直に気持ちを伝え合えれば僕がこんな茶番なんてせずに済んだのだろうけれど……



『ああ! コーデリア! 私はあなたを裏切り、さらにはあなたの兄まで手に掛けた。今更許してくれなどと言えようもない。こうして会う資格さえないというのに……

 どうしたらいいんだ。それでもあなたを想うこの気持ちはとどまることなく……いや、むしろ増していくのだ。許されないと知りつつもあなたをどんどん好きになってしまう!』


『ああ……リア様。わたしなどにそんなことを言ってはなりません。わたしは罪深い女なのです。

 兄の敵であるはずのあなたがどうしても憎めないのです。いいえ、それどころかその愛は一層増すばかり。今や国家に牙をむき、家も取り潰された卑しい身分のこのわたしがリア王様のことを愛しいと思うなんてなんと許されないことでしょう。わたしは罪深い……』


『ああ! あなたはどうしてコーデリアなのだ!』


『ああ……どうしてあなたリアなのでしょう』



 三幕が終わりいよいよ四幕が始まろうとしている。


 ほんの脇役で、出番の少ない僕の演じるケント伯の出番が再び訪れようとしている。


 舞台の袖でじっと演劇を見ていただけの時間が長すぎたのか、次第に迫ってくる次の出番を考えると心臓が再びばくばくと脈打ち始めた。冷や汗で額に吸い付く前髪をかきあげる。


「ねえ、ひょっとして緊張してる?」


 横から瀬奈が僕の顔を覗いてくる……というか距離が近い。


「少しね」強がって言ってみたがやっぱり正直に打ち明ける「……ほんとうはかなり」


「ねえ、知ってる? 緊張しているときは手のひらに〝人〟っていう文字を三回書いて飲みこめばいいんだよ」


 ――そんなことくらいは聞いたことがある。でも、そんなのは気休めに過ぎない。

 でも、今はそんな気休めさえ欲しいくらいだった。僕は素直に左の手のひらに右手の人差し指で三回〝人〟という文字をなぞり、それを口元に寄せてすっと息をのんだ。


 ほんの少し息を止め、そしてゆっくりと息を吐き出す。とても自然にできた深呼吸のおかげか随分と気持ちが楽になった。あながち、単なる迷信というわけでもないのかもしれない。


「よし、じゃあもういっかい」


 瀬奈にせかされ、僕はもう一度手のひらに〝人〟という文字を三回なぞる。それを口元へと近づけようとした時、その手を瀬奈が両手で包み込むように掴み、自分の口元へと寄せる。


瀬奈は「すっ」っと短く息を吸い込む。僕の手のひらに、かすかだけど彼女の吐息のぬくもりと、唇のやわらかい感触が残る。


「えっ……」


 呟く僕に目を流し「なに?」と一言――。


「もしかして、アタシは緊張なんてしてないと思ってた? そんなことないんだよ。これでも、実はすっごい緊張してるんだからっ」


 ――いや、そういうことではないのだが……


「よし、じゃあ行こうか」


 立ち上がって一歩前へと進む瀬奈。それに合わせて僕も立ち上がる。

 さっきまでとは比べ物にならないほどに心臓がバクバクと悲鳴を上げている。もう、吊り橋だとかそんなレベルじゃない。


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