『ハムレット』4

 体育館倉庫は演劇部の部室と共有のスペースだ。中に入って設備の点検をしていると演劇部員と共に竹久がいた。どうやら竹久たちは演劇部と一緒に劇をするらしい。詳しく聞きたいところだが今は目の前にある作業が優先。瀬奈が話を聞いているので後で瀬奈から聞けばいいだろう。一階は現在取り込んでいるようなので二階から始めることにする。


 しかし、これは思いがけない僥倖かもしれない。竹久たちが演劇をするというのならば何としてもそれを見たいところ。しかし実行委員としての仕事があるならそうそう持ち場を離れるわけにもいかず、見られなくなってしまうところだけれど、担当場所が体育館ステージであるウチは堂々と仕事をしながら劇を見ることだってできるだろう。


 二階の設備点検はすぐに終わる。どうやら夏休みに間に体育館の改修工事が行われていたらしく照明や空調などの設備が新品同様になっている。しかし一階に降りようとしたところで黒崎君の姿を発見してしまう。竹久が演劇に出るというのだから黒崎君も一緒に出演するということは十分にあり得ることだ。


 夏のひと時彼とは恋人同士になり、そのあとすぐに別れてしまったことで引いてしまった線をまだ今一歩引きずっている。息をひそめ、耳をそばだてて話を聞き、彼らが帰った後で瀬奈と一緒に一階の点検をして帰った。


翌日もまた、委員会が終わったのはもう日が傾きかけた時間。校内の生徒はもうほとんど学校を離れ、おそくまで部活動に精を出している生徒がわずかにいるくらいだ。


 教室に残してあった荷物をとりに行ってあとは帰宅するだけだ。廊下はもちろん居室には誰もいない。人のいない廊下で隣にいる瀬奈は鼻歌を口ずさんでいた。


『フライングマイガール』

 先日カラオケ店で出会った軽音楽部――いや、軽音楽同好会のオリジナルソングだ。瀬奈はなりゆきで彼らのバンドのヴォーカル役を引き受けることになったのだ。今年の文化祭での演奏を目指しているらしい。散々練習に付き合わされているうちにすっかり耳になじんでしまい、気が付くと時々ウチも口ずさんでしまうことがある。いざ聞きなれてしまうと愛着もわき、案外いい曲なんじゃないかと思えてくるようになった。


 教室に入るとまだ竹久がいた。


「竹久、まだいたの?」


「笹葉さんお疲れ。こんな時間まで委員会?」


「うん……でも、ほとんど意味のない話し合いだけでなんにも決まっていないわ。このままで文化祭、間に合うのかしら」


「ごめんね。なんか押し付けちゃったみたいで」


「ううん、そんなこと……ウチが自分でやるって言い出しただけのことだから」


 押し付けられたわけでは無い。黒崎君や竹久から逃げるために自ら買って出たのだ。


「あれ、ユウ。まだいたんだ」


 瀬奈が遅れて顔を出す。

 竹久も今から帰るところらしく駅まで一緒に帰ろうと提案してきたが瀬奈は「ゴメン、アタシ今からちょっと用事があるんで」と立ち去ってしまい、流れ的にウチが竹久と二人で帰ることに。そんなことで別に気持ちがうわずったりなんかしない。だって竹久はいなくなってしまった瀬奈に「フラれちゃったかな」とつぶやく。はじめから瀬奈のことしか見ていないのだ。


 どうやら竹久は瀬奈がバンドをすることを知らないらしい。あえて秘密にしておいて当日驚かせようとでもしているのだろうか。ならばウチの口から言うべきことではない。それに竹久にしても思いを寄せている瀬奈が毎日別の男たちと一緒に過ごしているなんて言う話を聞かされて良い気がしないだろう。


 二人きりでの帰り道、竹久は演劇の舞台脚本を見せてくれた。

『リア王』をモチーフにしたその物語。


 自分の気持ちに素直になれないリア王がその場の成り行きで意中の相手とは別の人と結婚してしまうというはじまりだ。


 ――このリア王はウチのことだ。

 その衝撃的な感想に気が動転してしまい、思わず樹にぶつかりそうになってしまった。さすがに歩きながら読むのはいけないことだと一度脚本を閉じた。

 家に帰ってその日の夜。竹久は脚本のデータをメールで送ってくれた。感想を聞かせてほしいのだという。お風呂から出た後リラックスした状態、改めて脚本に目を通す。


 急死してしまった父王の後を継いで王に即位したリア王子は結婚相手を選ぶことになる。母親はリアの結婚相手として、同じモンタギュー家の従妹、王帝の娘であるゴネリルを推す。しかしリア王には想いを寄せる相手があった。モンタギュー家とは仲が悪く、国家転覆をもくろんでいると噂のキャピュレット家の令嬢コーデリアだ。その事情を知るリア王の家臣ケント伯は国家の安定をはかるためにもコーデリアを王妃として迎え、積年に続く両家の確執を取り払うべきだと進言する。そこでリア王は形だけでも取繕うため直接二人の女性を呼び寄せ、自分に対する想いの強い方と結婚すると言い出した。


 当然、リア王の心づもりは初めから決まっている。二人が何と言おうとコーデリアを選ぶつもりだった。しかしリアに優しく思いを寄せてくれるゴネリルと、あまりにも自分に対してそっけないコーデリア。腹を立てたリア王は勢いでゴネリルと結婚してしまう。


 ――リア王の自分勝手な行動はまさにウチそのものだ。

 物語はその後、『ロミオとジュリエット』『ハムレット』の世界観が混同してくる。コーデリアがリア王に対しそっけない体態度をとるのは、コーデリアの従兄であるティボルトの奸計によるものだった。


「本当にリアがお前のことを愛しているのならば、お前が何と言おうとリアはお前のことを選ぶはずだ」


 ティボルトのその言葉に従ったコーデリアの思惑は外れ、悲しみに打ちひしがれる。


 一方、王弟であると共にリア王の義父となったクローディアスはその権力を一層強め、リア王の意見はないがしろにされるようになる。クローディアスはキャピュレット家の弾圧を強め、リア王とティボルトは決闘をして毒をぬった剣でティボルトを突く。死の淵ティボルトにコーデリアのそっけない態度が本心ではなかったと知らされたリア王はキャピュレット家の窓の下でコーデリアに愛をささやき、リア王はすべてを捨ててコーデリアと駆け落ちをしようと持ちかける。


 コーデリアとの駆け落ちを実行する前夜、リア王のもとに現れたのは父王の幽霊だった。父王の死の原因が母ガートルードと王弟クローディアスによる暗殺であったと聞かされる。怒りに燃えるリア王は急ぎ王弟クローディアスの寝室へ駆けつける。そこで知った王弟と母の不義を知り、リア王は母とクローディアスを殺してしまう。


 王家の混乱を招いたのはまぎれもなくリア王であり、その罪はたとえ王であっても免れることはならない。家臣ケント伯は「処刑台を王家の血で染めるようなことはあってはならない」と主張し、リア王は王位を剥奪され国を追放される。


 ひとり取り残され、別の人との結婚を強引に決められてしまったコーデリアのもとにケント伯がやってくる。


 手には一つの薬瓶がある。この薬を飲めば人は一時だけ仮死状態になり、その間に葬儀を行い、遺体を町はずれの霊廟に安置する。そして薬の効果が切れて蘇った後、町を離れて暮らすリアと一緒になればいいと提案する。


 予定通りにコーデリアの葬儀は執り行われるが、ケント伯の伝令と入れ違いになったリアはコーデリアの訃報を聞いて霊廟へと駆けつける。

 霊廟の中で冷たくなって横たわるコーデリアの前でリア王が自害する……

 という結末はロミオとジュリエットの通りだ。しかし、この物語は最後が変更されている。


 ロミオとジュリエットの物語では、生き返り、ロミオの死を知ったジュリエットが短剣を胸に刺して悲劇的な結末になるのだが、この舞台の脚本では最後に自害しようとするリア王を前に意識を取り戻したコーデリアがリア王の自害を止め、ハッピーエンドとなっている。


 もちろん。都合の良すぎる結末なのかもしれないが、あまりに悲劇的な結末というのも学園祭の劇としては後味が悪いかもしれないのでこれはこれでいいのだろう。

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