『ハムレット』2
駅から歩いてすぐのカラオケ屋に到着するなり瀬奈はご飯をたくさん注文する。普通に考えて食べきれない量の品々を目の前に「サラサの分もあるから」というが、あいにくウチはまだお腹なんて空いていない。それに今はダイエット中だ。
ダイエットの意味も込めてまずはカロリーを消費しなくてはならない。なるべく大きな声を出すような曲を歌ってみるが、あいにくウチは瀬奈のように大きな声が出せない。おかしいな、お腹の肉は瀬奈よりもたくさんついているはずなのに……
しばらくして、瀬奈がひとりトイレに行くと言って席を立った。その間ウチはひとりきりの個室でひとりで歌を唄う。曲が終わり、次に瀬奈の入れていた曲が流れ出す。しかし依然として瀬奈は帰ってこない。流れ出した曲はメジャーな曲なので知っている。瀬奈が帰ってくるまでと思いながらそのままウチが歌った。
それでも瀬奈は帰ってこない。
また、ウチがひとりで歌う。追加で注文していた飲み物を店員さんが持ってきたので唄うのをやめる。
定員さんが去った後も、なんだか虚しくなって唄うのをやめた。部屋には一人きりしかいないのだ。仕方なしにテーブルの上に広げられている食べ物に手を出す。ダイエットは無事失敗だ。
歌を唄わずにひとりきりで過ごすカラオケの部屋には、他の部屋の歌声がけっこう聞こえてくるものだ。こんなにはっきりと聞こえているなんて歌っていれば気付かないものだが、こんなにほかの部屋に聞こえているとなるとなんだか恥ずかしくもなってくる。
どこかの部屋から流れてくる音楽、その曲をウチは知っていた。曲のタイトルも歌っているアーティスト名もわからないけれど、さっき瀬奈が鼻歌で歌っていた曲だ。そういえば、ウチが知っているのは瀬奈の鼻歌ばかりでちゃんと聞いたことなんてなかったかもしれない。そう思いながらその曲に耳を澄ます……って、アレ? 今この歌を唄っている声って瀬奈の声?
トイレに行くと行ったきり帰ってこない瀬奈はおそらくどこかほかの部屋でこの曲を歌っているのだ。
「まったく……あのこったら……よその部屋に勝手に入り込んで……」
あまり迷惑をかけてもいけないと瀬奈の歌声を頼りにさまよう。三つほど離れた部屋から瀬奈の声を確認して、おそるおそるドアを開けてみる。
「あ、あのう……」
「あっ、サラサ! こっちこっち!」
「ん、もう! なにがこっちよ!」
覗き込んだ部屋の人達が一斉にこっちを見た。同世代くらいの男性ばかりが四人。お世辞にもあまり垢抜けているとは言い難い面子ばかりだ。それぞれが手に楽器を抱えている。ギター、ベース、キーボード。それに驚くことにドラムもだ。さすがにドラムはトレーニング用のものらしくシンプルな作りで音も小さい。
彼らに囲まれた状態のマイクを握った瀬奈が歌うのを止めると同時に皆も演奏を中止した。皆、ウチの方を見ながら「さ、笹葉更紗だ……」と、まるで物珍しいものを見つけてしまったかのような反応を示す。
「あ、あの……な、なんでウチの名前……」
「だ、だってうちの学校じゃ有名人じゃないですか……」
「ほ、ホンモノだぜ、ム、ムナカタさんもササバさんも……」
もちろん、ホンモノに決まっている。むしろウチのニセモノなんてどこにいるのかこっちが聞きたいくらいだ。そして、その口ぶりから、どうやらうちの学校の生徒らしいことは察しが付く。だけど、瀬奈はともかくとしてウチは一体どんなことで有名だというのだろうか。とてもじゃないが怖くて聞けない。
「ねえ、サラサ! この人たちすごいんだよ! 本物のフラッパーズだよ!」
「フラッパーズ?」
「あ、あの……僕たちのやっているバンドの名前なんです……」
瀬奈との会話に、ベースギターを抱えた男性が補足してくれる。しかし、そうなると少し腑に落ちないことがある。
「え、でも……今の曲って……」
「そう! そうなのよ! アタシがネットでたまたま見つけた曲! 気に入ってダウンロードして聞いていたんだけど、まさかうちのガッコの生徒だったなんて驚きだよね!」
興奮気味に瀬奈が言う。
彼らの話を簡単にまとめるとこういうことになる。
彼ら、フラッパーズは今年の四月に芸文館高校に入学したばかりの生徒、すなわちウチらとは同級生になる。
元々バンドをやっていたわけでもない彼らは主にスマホのゲームなどで音楽に興味を持つようになったらしい。高校に入学するやいなや彼らは軽音楽部に入部しようと試みた。話に聞くところによると軽音楽部というやつは、放課後にティータイムを楽しみながらドキドキキラキラを味わいながら音楽活動にいそしむことができるらしいのだ。
しかし、あいにくこの芸文館高校に軽音楽部は存在しなかった。そこで学校のネット掲示板で募集をかけて集まったのがこの四人。見事にそろいもそろって同じような境遇で、音楽未経験者ではあったがどういうわけか皆コンピューターの扱いには慣れていた。
彼らは楽器こそ演奏できないものの、打ち込み系とかいう方法で作曲をするまでに至った。そして出来上がった曲にコンピューターのヴォーカルに歌わせることでネット上に公開した。
それをたまたま見つけてしまった瀬奈が見事に虜になってしまったらしく、ダウンロードして聞いていたらしいのだ。
たぶん。おそらくだけど彼らの創った曲は高校に入って新生活を始める意気込みを歌にしたものだ。同じ年齢で同じ学校に通う者同士、互いの環境に共通性を感じるその曲に瀬奈は必要以上に共感することになったのだろう。ウチが聴く限り、それほど素晴らしい音楽というわけでは無いように感じる。
しかし、人というものは妙なところがあるもので、彼らフラッパーズは自らが作曲したその音楽を、機械が完璧に演奏することに不満を感じ始めたというのだ。
下手でもいい。自分の手で演奏したいと思い始めたフラッパーズは本物の楽器を手にとり、部室を持たない彼らは日々こうしてカラオケルームに楽器を持ち込んで練習していたのだそうだ。
そこに、たまたま瀬奈が通りかかった。瀬奈は驚いた。まだメジャーデビューもしていない、ネット上でもそれほど注目もされていないはずの音楽がカラオケルームの中から聞こえてくるのだ。瀬奈は持ち前の人懐っこさを武器に部屋に飛び込み、すっかり仲良くなって一緒に歌いだしてしまったという始末だ。
ちなみに、バンド名のフラッパーズというのは飛行機の可変翼のフラップからきているらしい。大空を自由に羽ばたくための必需品なのだとキーボード担当が得意気に説明してくれたが、ウチの知る限りではフラッパーズというのはジャズエイジと呼ばれるアメリカの1920年代ごろに流行った前衛的な女性。いわゆるおてんば娘のことを指す言葉だ。『グレート・ギャッツビー』に描かれているデイジーが印象的で、瀬奈に関して言うならばそちらの意味のほうがぴったりかもしれない。
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