『リア王』2

 とべっち先輩の依頼をまとめると、つまりはこういうことになる。


 現在演劇部にはちょっとしたトラブルが発生し、部員のほとんどがボイコットをしてしまった状態らしい。その責任はおおよそ部長であるとべっち先輩の過失によるものらしいのだが、部員の多くがボイコットしているこの状態では到底来月の学園祭、芸翔祭での公演ができそうにないのだという。

たかだか学園祭の出し物くらいやらなければいいじゃないかなんてことは言ってはいけない。


少なくとも青春時代を演劇に捧げている演劇部にとっては一世一代の晴れ舞台だと言って過言ではない。ましてや三年生ともなると夏休み中に行われた高校生演劇大会を終えたことにより、人前で演劇を披露するのはおそらくこれが最後の出番となる。


「で、とべっちはあーしたちに一体何をしてほしいというんだい?」


「つまりはその……一緒に舞台に立って欲しいんだ。演劇部のピンチヒッターとして一緒に劇をやってほしい」


「えっ?」


 思わず声を上げたのは僕の方だった。いくらなんでもそれはお門違いというものだ。人前に立って演劇をやるなんて僕たち文芸部(本当は漫画研究部)からしてみればもっとも縁の遠いイベントだ。どう考えたってそんな依頼を受けるはずが――


「ああ、いいよ」


 ――と、栞先輩は二つ返事で請け負ってしまう。


「ちょ、ちょっと待ってください。そんなのできるわけないじゃないですか」


「できるかできないかは問題じゃない。あーしはお願いされれば断れない女なんだよ。だからたけぴーもしたくなったときはいつでもあーしに言ってくれたらいいよ」


「あー、はいそーですね」


 一度本気で言ってみようかとさえ思う。そんなことをしたら栞さんはどんな顔をするだろうか? いや、それを言った時の大我の顔を想像するほうが興味深い」


「まあ、そもそもあーしたちが引受けなければどのみち演劇はできないわけだろ? だったらダメもとでやるだけやってみればいいじゃないか。だいじょうぶだよ。きっとたけぴーならうまくやれるよ」


 あまりに安直な請負だ。しかもその口ぶりからすればどうせまた面倒なことを全て僕に押し付けようって魂胆がうかがえる。


 まったく。そもそも僕がこの部に籍を置いている理由はこの静かな旧校舎でのんびりと読書をするためだ。だのにどういうわけか次から次へと面倒事に巻き込まれてしまう。


「――で、演劇っていったい何をすればいいですか?」


 半ばやらざるを得ないのだろうとあきらめ半分にとべっち先輩に聞いてみる。


「いや、それについても今から決めなくっちゃならないんだ。なにしろ人手が無くてできる劇にも限りがある」


「人手が無いって……実際のところボイコットしていない演劇部員は何人くらいいるんですか」


「まあ……そうだな……二人……といったところかな。うん」


「ふたり?」


「ああ、ボクと脇屋という三年生がもう一人いる」


「で、でも確か演劇部って部員が二十人以上もいるって話を聞いたことが」


「まあ、元々はね……。数年前までうちの演劇部は人数も少なくて廃部寸前だったんだよ。ボクら三年は初めからボクと脇屋しかいない。で、次の年に城井が入部してくれたおかげ          

でうちの部は一気に活発化して、去年と今年、続けて演劇全国大会に出場できるまでになったんだ」


「シロイ……さん?」


「ん? もしかしてたけぴー、あーしのクラスの城井を知らないのか?」


「えっと……そんなに有名人?」


「あきれたね。ま、ともかくとびきりの美形でね。校内に結構な規模のファンクラブだってあるんだよ」


「ま、マジですか? 栞さん。ぜひその子紹介してください」

「男だよ」


「――あ、なんだそうですか。どおりで知らないはずだ。つまり、その先輩のおかげで今の演劇部はあるってことですね」


「いや、まあお恥ずかしい話ね。部員のほとんどは城井目当てで入部したようなもんだしね。その城井が今回へそを曲げてしまったんで部は崩壊してしまったと言っていい。まあ、城井は根っからの演劇人間で実力だって相当なものだ。あいつが主演をするから観客は引き寄せられるのだし。きっとボクたち三年が卒業すれば演劇部には帰ってくるだろう」


「その城井って人、そりゃあまたずいぶんなカリスマなんですね」


「まあな。アイツがいるからボクも安心して卒業できる。今回の文化祭のことはボクが撒いた種だし城井がやりたくないって言うんならそれでもいいと思ったんだが、脇屋はどうしてもやりたいって言ってな。脇屋とは三年間ずっと一緒にやってきたんだ。それで、一応部長として脇屋には最後になるこの舞台をどうにかやらせたいんだよ」


 イマイチ乗る気を見せない僕の両肩を掴み、とべっち先輩は頭を下げる。僕の悪いところは人からものを頼まれると断れないところだ。やるかやらないかを自分で決めることができない。


「うーん、こんな話、聞かなければよかったと正直思ってます。栞さんもやるっていうんなら、僕もいちおう付き合いますよ。で、どんな劇をしますか?」


とべっち先輩は目を輝かせた。


「そこでさ、竹久君には舞台の脚本なんかを書いてもらえたらなあ、なんて思うんだよ」


「え?」


 反論したいところではあったが、とべっち先輩は栞先輩には聞こえないように、僕の耳元でささやくように言った。


「ぜひともプロの小説家にお願いしたいんだよね――」

 

 もちろん、僕はプロの小説家なんかではない。ごくごくどこにでもいる一般的な読書好きの高校生に過ぎない。しかし以前にとべっち先輩は僕のことをプロのライトノベル作家だと勘違いしてしまったのだ。そして僕はあえてそれを否定せず、プロのライトノベル作家の仮面をつけて過ごすことにした。それはその本当の作者の秘密を守るためと、あと、勘違いされることが少しだけ心地よかったということもある。


 おそらくとべっち先輩が僕の耳元でささやいた言葉の裏にはライトノベル作家であることをばらされたくなかったらいうことを聞けという脅しの意味を含んでいるのかもしれないが、実はちょっとだけ演劇の脚本というやつを書いて見たかったりもするのだ。だから僕は渋々ながらに承諾して見せたりもする。


「今回だけですよ」


 

 さて、もののはずみで気安く引き受けたものの果たしてどんな脚本を書けばいいというのだろうか。

 とべっち先輩は全て僕の好きにやってくれたらいいとは言ってくれているものの、自由にしていいというのが一番むつかしいのだ。


 そもそもどうしても演劇をやりたいと主張したのはもう一人の三年生の脇屋先輩なのだから、彼の意向を聞くべきではないかということに至り、僕ととべっち先輩は脇屋先輩のいる演劇部の部室へ移動することになった。すべてを僕に丸投げした栞さんは一人部室でお留守番だ。


 演劇部の部室というものがどのような場所なのかということにも興味があった。僕の所属する漫画研究部なるマイナーな部室は学園敷地の隅の忘れられたようにある旧校舎の一室だ。それに対し部員が20人以上在籍し、今年は演劇の全国大会にも出場したという彼らの部室とでどれ程の差があるのかが気になるところでもあった。

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