『Ⅾ坂の殺人事件件』5

「ああ、そうそうこれこれ。確かムーン・リバーという曲だ。『ティファニーで朝食を』という映画の中でオードリー・ヘップバーンが歌っている曲」


「……あきれた」


「あれ、なんか僕、変な事言いました?」


「……そりゃ、変でしょ。普通怖がるところだと思うよ。これってたぶん今、うちの学校で話題になっている怪奇現象」


「これが?」


「そう、これが。旧校舎のどこかからピアノの音が聞こえてくる……というやつ」


「って、どう考えても誰かが弾いているだけでしょう? それに幽霊ならこんなきれいな曲弾かないでしょ? しかも白昼堂々と」


「たけぴー。それはまったくの偏見じゃないか。なにも幽霊がそんな常識守るとは限らないだろう?」


「いやいやいや、そもそも幽霊がいるなんて言うこと自体が常識を外れているんです。僕は幽霊なんて信じるほどロマンチストじゃないですよ」


「そうはいうけどね、この旧校舎にはピアノなんてないんだよ。でもまあ、もしかしたらこの三階にはピアノがあるのかもしれないけれどね」


「かもしれない?」


「この旧校舎の三階には鍵がかかっていて誰も入ることができない。何年も前から鍵がなくなってしまっているらしんだが、なにせ使ってない場所だ。鍵のシリンダーを交換することもなくほったらかしにされている。三階にある小部屋は旧校舎の時計台の機械室も兼ねているからあそこに入れないといつまでたっても壊れた時計を直すことができないしね」


「鍵がかかっているならどこか窓から侵入しているのかも、ほら、たしか表から見た時あの部屋に窓がついてますよね」


「それは無理だな。あの窓は嵌め殺しになっている。いいかい? ハメゴロシだよ? なんだかエロい言葉だよね?」


「無視していいですか?」


「むう、仕方ないな。それにまさかそんなイタズラのためにあんなところから侵入する奴なんていないだろ。足場だってないし危険すぎる」


「つまり、この建物の三階は密室というわけですか……」


「どうだい? 興味をそそられないかい? もし、幽霊でないとしたら誰が、どこからあの部屋に侵入してピアノを弾いているのか……。君のその灰色の脳細胞を使って学園怪現象を解き明かしてみてはどうかな?」


「いや、興味ないです……」


「なんだあ、つれないなあ。まるで君は灰色の脳細胞というより灰色の青春だね」


 何と言われようとも興味はない。少ししてピアノの音もすぐにやみ、また平穏でおだやかな放課後が訪れた。僕はそのまま弁当を食べ、推理小説の続きでも読もうかと思っていたころ、この静かで平穏な文芸部部室に来訪者があった。


 ガラッ! とドアを勢いよく開けるよりも先に軋む廊下を駆け足で駆けてくるその音でもう気付いていた。


「ねえユウ! しおりん! さっきの聞いた?」


 相変わらずのテンションで入ってきたのは宗像瀬奈。自称学園一の美少女で、僕の思う学園一の美少女の笹葉更紗の親友だ。入部こそはしていないものの暇なときはこの部室に出入りするようになった。きっと彼女自身、交際を始めた大我と笹葉さんに気を遣っているのだろう。


「ちょ、ちょっとー、何で二人そろってそんなに無反応なわけ? さっきのピアノの音って例の怪奇現象ってやつでしょ? となりのかるた部なんてすっかりビビってしまって部活動休止中なんだよ!」


「なあ、宗像さんはなんでそんなに興奮しているんだ? 幽霊なんているわけないだろ。いるのはピアノを弾いている犯人がいるだけだ」


「じゃ、じゃあ、その犯人っていうのを捕まえに行こうよ! そしたらアタシ達、ちょっとしたヒーローになれるかもっ!」


「いやあ、ヒーローなんて興味ないよ。興味があるのはこの小説の続きであって……」


「まあそういうなよたけぴー。せっかく瀬奈ちーがああまで言ってるんだ。手伝ってあげたらもしかしたらお礼になにかエッチなことをしてくれるかもだろ」


「はっ! ちょっとしおりん。そんなこと勝手に言わな……」


「いいじゃないか瀬奈ちー、別に減るもんじゃないし、たけぴーだっていつもあーしとばっかりじゃ飽きちゃうだろうし……」


 ――ちょ、ちょっと待て、なんだその言い方は? それではまるで僕が……


「え! な、なに? ユウとしおりんはいったいどういう関係なの!」


「どういう関係って、単なるセックスフレンドだけど?」


「せ、せ、せっくすふれ……」


「ちょ、ちょっと待ってくれ。ゴカイだ。ゴカイしている……」


「そう、やること五回もすればもう十分セックスフレンドと呼べなくないだろう?」


「ち、ちがう宗像さん。は、話を聞いてくれ!」


「きゃ! さ、触るなこのケダモノ! うつる、子供ができる! あっちいけ!」


「ち、違うんだ。そもそも僕はどうて……」――危ない。あやうく地雷を踏むところだった。


「むしろ僕はもっとゆっくりと聞いていたかったよ。『ムーン・リバー』は僕の最も好きな曲の一つなんだから」


「え、そ、そう、なの?」


「うん。一年位前だったかな。カポーティの『ティファニーで朝食を』を読んで、それでオードリーヘップバーン主演で映画になっているやつも見た。その映画のテーマ曲だ」


「へえ、それはそれは……ああ、そういえばさ」


「どうした宗像さん、なんか気づいたのか?」


「あ、ううん、あんまり関係ないことなんだけどね。前にサラサがユウは月みたいって言ってたのを思い出したんだけど、見る人によって違ったものに見えるって……。ユウはサラサたちの前だと《おれ》って言うけど、しおりんの前では《僕》っていうんだね。そういうの疲れないのかなって」


「うんうん、なるほど。さすがは瀬奈ちーのともだちだ。月とはなかなかいい形容だね。さしずめ〝紙の月〟といったところかな。It’s a Only Paper Moonだな」


「ペーパームーン?」


「ああ、昔はアメリカなんかで写真を撮るときに背景に紙で作った月をぶら下げて撮影したりしたんだ。表面だけの月、薄っぺらい月、ただのまやかし…… まあ、そんな意味だ」


「あ、そういえばそんなタイトルの映画、見たことあるな。なんにしてもあんまいいイメージじゃないね」


「そうだな。薄っぺらいどころか月なんてものは常に地球に対して〝表〟しか見せていないんだ。地球からは決して月の裏側は見えない」


「あ、でも、それって地球からはってことだよね! 太陽からはきっと全部見えてるよ。きっと太陽は地球に向かっていつもいつもいい格好をしながらくるくると回りまわっている姿を見ながら〝カワイイやつ〟くらいに思ってるかもね」


「カ、カワイイ、のか?」


「うん、それにね。月みたいに決まった自分を持たないってことはいいことだと思うよ。相手に合わせて自分を変えながらうまく相手に寄り添ってあげる。それは特技なんじゃないかな。サラサなんてホント、それが苦手なやつだから!」


 ――褒められている? のだろうか。まあ、あまり悪い気はしないのだが……


「ま、ともかく僕はその怪奇現象なんてものには興味がないから好きにやっといてよ」


「なあんだ。つまんないの……」ふてくされながら椅子に座り、「あ、そうだ!」といって鞄から何かを取り出した。


「今日、調理実習でお饅頭作ったの。アタシのあんこすごくおいしいんだからユウにも食べさせてあげる!」


 まあ、瀬奈は調理科なのでそりゃあ調理実習でもいろんなものを作るのだろう。僕はそれを少し照れながらに試食した。


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