『はつ恋』3

 偶然若宮さんと同じ電車に乗り合わせた入学二日目以来、僕はまた毎朝のように早すぎる電車に乗り、早すぎる時間に学校に到着。朝読書をする毎日となった。


 やっていることは一年前とほとんど同じで、まったく成長していない。


「あー、ゆーちゃん。朝会うのは珍しいね。いつもこんなに早い電車で通ってるの?」


 ある朝、駅から少し離れたところにある自転車置き場に駐輪している時に気さくに声を掛けてきたのは中学からのヲタクの友人、鳩山遥斗こと、ぽっぽだ。


「なんでゆーちゃんはこんな早い電車に乗ってるんだ? ぼくと同じ東西大寺駅で降りるんでしょ? おんなじ駅までだから高校に行くときは朝一緒になると思ってたのにいつもゆーちゃんいないからどうしたんだろうと思ってたけど……。何もわざわざこんな超満員電車に乗らなくたって充分間に合うでしょ」


「そう言うぽっぽこそ今日はなんでこんな早い電車なんだ」


「部活だよ」何かを自慢するような表情で言いながら、自転車を止め終わった僕たちは二人で並んで歩きながら気のホームへと向かった。


「ぼく、部活始めたんだよ」


「……ふーん。ぽっぽがねえ。で、いったいなんの?」


「コンピューター研究部。……いいよね、高校ともなるとなかなか面白い部活がある。中学の時なんてまるでぼくの興味を引くものなんてなかった……」


「そうか……。ぽっぽは将来システムエンジニアになりたいって言ってたっけ」


「ゆーちゃんも部活始めたの?」


「……ああ、まあ、なんていうかな。朝読書だよ、家じゃうるさい妹とかエラそうな妹とか厚かましい妹とかがいて、ゆっくり本が読めないからね。それで朝早くから学校に行って読書でもしようかなって……。まあ、そんなとこだ」


「ああ、ゆーちゃん本気で朝読書なんてする人だったの?」


「中学のころからそうだろ」


「あれはてっきり……まあ、いいや」


 言いながら駅のホームに到着した僕たちはいつもの習慣でつい、そのホームの端まで歩いて行った。それは迂闊だったと言えるだろう。今日はぽっぽがとなりにいるという事をもっと考慮するべきだったかもしれない。


「あ、優真くんおはよう」駅のホームの端っこで肘から上だけで小さく手を振る黒髪の文学乙女、若宮雅。「あ、きょうは(、、、、)ぽっぽ君も一緒なんだね」


 その瞬間、事情を理解したであろうぽっぽがジト目で僕を見た。


「……ふーん。きょうはってことは毎日なんだね」


 僕はその言葉を無視した。

 二人して満員電車の中で若宮さんを守り、ぽっぽと僕は東西大寺駅のホームに降り立った。


「ふーん、朝読書ねえ」


「いうなよ」


「ああ、安心して、明日からは、ぼくはこの時間の電車は使わないようにするから」


 それだけ言い残してぽっぽは立ち去った。ぽっぽの通う東西大寺高校は駅の南口方向にあり、僕の通う芸文館高校は駅の北口方向にある。したがってそれぞれ別々の出口に向かって解散した。


 朝一番の誰もいない教室で本を開いたが、どうにも読書ははかどらなかった。窓の外の穏やかな風を眺めながら昔のことをつい思い出してしまう。


 中学三年の夏休みに入ると若宮さんは市街地にある大きな市立図書館に通うようになった。四階建ての大きな建物で、一階のテラスの向かいにはわりと広い公園がある。公園の隅っこには役目を終えた機関車(D―51と言うらしい)が展示してあり、僕たちは汽車公園と呼んでいた。汽車公園の向こうには西川という名のほとんど用水路にしか見えないような流れのとても緩やかな小さな河川と、それに沿って長い遊歩道がある。そこには様々な植樹がされていて、ここより下流の方に行けば長い桜並木もあり、いつともなく散歩者が絶えない。


 景観こそいいものの若宮さんはいつも景色になんか目もくれず本を読みあさっていた。


 僕はそこに時々訪れる。――偶然を装って。


 そのころには若宮さんにとって僕は充分に読書好きのイメージが定着していて、偶然という言葉にもいくらか信憑性もあっただろう。本来ならば毎日のように通いたいのだが、さすがにあからさま過ぎて、なるべく日を空けながらに通った。


 そのころには二人は随分と仲良くなっていて、会えばいろいろな話もするし、時には一緒に勉強もした。そうだ、その年僕は受験生だったのだ。

若宮さんが勉強のできるタイプだというのは言うまでもないが、僕の方はまあ、平均。どちらかというと理数系で文系教科はまるで駄目だった。夏の間に繰り返された読書と勉強会は僕の成績を飛躍的にあげることになり、考えてもみなかった有名進学校の白明を受験するまでに至る。(結果として付け焼刃の勉強は受験失敗に終わった)


 そして中三の夏休みが終わり新学期が始まった頃、サッカー部のキャプテンの片岡君は僕のところへやってきた。


「なあ。オレ達も受験生だから今度の試合で引退なんだけど、お前も試合に出ないか」


 意外だった。幽霊部員の僕がいまさら試合に出る必要なんてどこにもない。


「なんでいまさら?」


「記念だしな。それにオレとしてはお前のパスワークは結構評価の対象ではあるんだけどな。それに……。それにあの時、みんなは随分と文句を言っていたがオレには分かってたぞ。あれは敵にフェイントをかけてのスルー……。だったんだよな?」


 どことなく上から目線な言葉にいちいち腹は立てない。サッカー部のキャプテンで背が高く、男前。勉強もトップクラスで15歳には思えない、低くて渋い声をしている。当然足も速い。僕に勝てる事なんて何一つない。むしろ僕が彼に少しでも認められていたことが誇らしかったくらいだ。そしてそんな彼があの時の僕の大失態の正体に気付いていてくれたことは素直に嬉しかった。だからといって今更どうということではない。


「いや、いいよ。今更練習もろくにしてない僕が試合に出ても足を引っ張るだけだよ」


「……そうか、じゃあ……しょうがないよな」


 片岡君は淋しそうだった。


 それから数日経ってからの放課後。図書室で若宮さんと二人で読書をして過ごしていた時に片岡君がやってきた。そのころには僕がそこにいるという事は校内でもそれなりに知られていた。


「わりぃ。邪魔したか?」


「いや、そんなことはない。それより試合どうだったの? 昨日だったんだろう?」


 片岡君はシニカルに笑って見せた。


「……負けたよ。お前さえいたらな……」


「……あ、いや、ゴメン」


「謝るなよ。単なる皮肉だ。それより……今度の日曜日。引退メンバーで打ち上げしようかと思うんだけどお前も来ないか?」


「それこそどんな顔して出りゃいいんだよ。僕だってもう、ずいぶん長いこと部活になんて出ていないわけだし……」


 少しの間をおいて片岡君は若宮さんの方を見た。


「じゃあ、若宮来ない?」


 それを聞けば、僕だって黙ってはいない。


「どうしてそこで若宮さんなんだよ。それこそ関係ないじゃん」


「若宮来たら、お前も来るだろ」


「い、いや、それは……。どうしてそういう話になるんだよ」


「どうもこうも、そんなことわざわざいうこともないんじゃねえの? だってお前さ……」


「あ、あの……」それ以上の言葉を遮るように若宮さんが割入った。「あの……。わたしが行ったら優真君も行く?」


「いや、だからどうしてそんなことに……」


「出た方がいいよ。そういうの……。せっかくなんだし……。わ、わたしいきます」


「……わ、分かったよ。じゃあ僕も行くよ」


「よし、じゃあそういうことで、日曜日午後一時に校門の前に集合な」


 片岡君はそう言って立ち去った。なんだか変な話になった。


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