『蜘蛛の糸』5

 帰り道。強がる僕はあえて気にしないようにしているつもりだったが、どうにも無理のようだった。


弱いオスふたりが会話に夢中になっている最中、僕は彼女が散らかった机の書類の合い間に、そっと一通の便箋を忍ばせたことに気付いた。とても可愛らしい、ピンク色で白いレースのついた便箋だ。


「なあ、宗像さん。さっきの手紙……」


「あ、ラブレター……。気づいてた?」


 『ラブレター』という言葉を彼女は臆する様子もなく使った。


「まったく。あんなおっさんのどこがいいの?」


「どこっていうかさ……。あ、もしかして妬いちゃってる?」


「べ、別に妬いてなんかないよ」


「あ、それツンデレさんな定番セリフ!」


「まあ、ともかくこれで借りの一つは返したことになる」


「まあ、それは仕方ないかな。でもたぶんまだ結構残ってると思うし」


「生きているうちに返せる程度ならいいけど」


「あ、じゃあさ。もう一つだけ返してもらっていいかな」


「な、なに?」


「えっとねえ……」彼女は目を狐のように細めて笑顔をつくり(僕はししっ!っとアテレコする)、「今度からアタシのこと、下の名前の〝瀬奈〟って呼んで。アタシたちもう友達なんだし、そういつまでもさん付けで呼ばれるのてしっくりこないかなって」


「そ、そんなことでいいなら」


「じゃあ決まりね。これからはアタシのこと〝瀬奈〟って気軽に呼ぶこと!」


「あ、ああ。わかったよ……」


――瀬奈。と僕は彼女に聞こえないようにつぶやいてみる。やはり少しハードルが高いようだが、借りは少しでも返した方がいい。



思えばカンダタは地獄にいた時に一本の蜘蛛の糸をみて、これを伝っていけば極楽浄土にけると考えたわけだ。しかしながら地獄に蜘蛛の糸とは何ともあたりまえの存在ではないだろうか。蜘蛛の巣や蜘蛛の糸なんてどちらかといえば天国より地獄の方がイメージに合う。にもかかわらずその糸を自分が生前助けた(実際は助けたというより殺さなかっただけ)蜘蛛の糸で、それを伝っていけば極楽浄土にたどり着けると考えるのはあまりにもバカで楽観的な考え方だろう。


 つまりはあの話。物事を常に前向きに考えてさえいれば、どんな些細な出来事さえもチャンスだと考え、目の前にぶら下がる好機をつかむことができるという事が言いたかったんではないだろうか。


 カンダタはやはり欲深い男で好機をものにはできなかったが、カンダタに負けないくらいのバカで楽観的な男が屈託のない善意で過ごすことができたなら、やはり好機をつかむことができるんじゃないのか。


 そしてその実例があのリア王だとは言えないだろうか…… 

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