はぐまい喧嘩SS(仮)

@FuaDayo

第1話

「まあまあ八方美人だよね」


 その一言はとても端的だったけれど、冷や水を浴びせられたかのような衝撃を生むのには充分だった。

 酉水育は驚いた。受けた心の衝撃を緩和させるようにパチンとまばたきをした。そんなことでやわらぐような衝撃ではなかったのだけれど。

 そう、酉水育は驚いたのだ。自分の人生の中でそんなことを言われることがあるなんて思ってもみなかったし、しかもよりによってその言葉が親友の口から放たれるなんて想像もしていなかったから。


◇◆◇


 11月上旬。空気は日を追うごとに冷たくなってきていて、外を歩くとかすかにただよう淡い冬のにおいが秋の終わりを教えてくれているように感じられる。草木は緑の鮮やかさを脱ぎ捨て、深みのあるシックな色を着飾っており、遠くの空にはわ輪郭を失くした朧げな雲が浮かぶ、そんな季節。

 つい先週まではハロウィン祭の飾りつけで賑わっていた私立花風大学附属桜花学園も、わ、祭りが、終わり、片付けも済んだ今はまた静かな日常に、戻っている。校内のざわめきも落ち着いて、秋の余韻が漂うばかりであった。

 その日、酉水育は友達からの相談に乗っていた。放課後の、夕焼けがやわらかく差し込む廊下で、窓を全開にして、窓枠にふたりで手をかけて、ひんやりとした風を感じながらざっと15分くらい。相談相手はどうやら友人とちょっとしたことで言い争いになったらしく、その愚痴と仲直りの仕方の模索を感情をたっぷり混ぜて吐き出していた。

 その子の憤りと不安を丁寧に聞いて、育は適度に相槌を打ったり安心させるような言葉を返したりしながら、小さな喜びを感じていた。相談の内容が内容なので表に出すべきではないと思い、表情はいつものニコニコスマイルに少しだけ真剣味を足したようなものを携えていたが。彼は元来人のことが大好きで、特に内面に触れられることを好む人間である。だから、秘密ごとを打ち明けてくれるとき、相談ごとを話してくれるとき、弱さを見せてくれるとき、『この人にはこういう話をしてもいい、こういう姿を見せてもいい』の枠に入れていると実感できるのがこの上なくうれしいと感じる。言動の裏にある自分への信頼を知れる瞬間が、彼にとっては何にも変え難い至福なのだ。

 話しているうちに気持ちの整理がついたのか、友達は「もう大丈夫!ありがと!」と帰っていく。育は手を振って見送り、踵を返した。喧嘩にも入らないくらいの言い争い、謝りたいけどどうやって謝ろう、そんな話をしょんぼりとした顔でする友人を思い出して『かわいいな』とこっそり笑いながら教室に戻ってきたところ、一緒に帰ろうと育を待っていた今井真生に声をかけられた。


「はぐ遅い~!また相談ごと?」

「ごめん、ふつーに話しこんじゃったわ」

「ふ~ん」

「待たしちゃってごめんって。な、今日どこ行こ~って言ってたんだっけ」


 育は、先程の相談の内容になるべく触れられないように話を流す。相談をしてきた子もあんまり公にしたくはないだろうしなという育なりのプライバシーへの配慮だった。話を変えようとしたのだ。しかし真生は育の問いかけには答えず、聞き流すように視線をふいっと左下にずらした。何かを考えるような仕草。伏せたまぶたの内側で、黒くて細いまつ毛に光を遮られたガーネットの瞳がその赤色を深める。やがて真生はパッと顔をあげて育と目を合わせて口を開いた。


「はぐってさ、」


 そして冒頭の一言に繋がる。

 その言葉はまるで、ちょうど今の季節に空を横切る一陣の風のような冷たさを育に感じさせた。あまりにも唐突だったから、なぜそのような感覚がしたのか育には考える暇がなかった。


「え?そぉ?」


 育は心底わからないというような声色で言った。真生が別の四字熟語と間違えてるんじゃないか、と思った。戸惑いとともにじわじわと波紋のように広がる感情が一体何なのか、まだわからなかった。


「どこらへんが?」


 続けて問う。言われた言葉の真意を理解したくて。もしかしたら本当に言葉を間違えていたり、違う意味だと思って言っているのかもしれないし。しかし真生の返答は残念ながら、前提を覆してはくれなかった。


「えーなんかさぁ、今日のとかも絶対そうだと思うんだけど、そーゆー相談されるの多いしさぁ。で、はぐもなんかテキトーにいい感じに返すじゃん?それってなんかいい顔してんな~みたいな。かっこつけてる?っていうかさぁ」


 真生は言葉を探しながらにそう言って、最後に「俺らにはケッコー雑にしてくんのに」と付け加えた。

 まあ確かに、育は喧嘩を宥めるのとかは苦手なタイプだけれど。どっちかの味方につくとかできないけれど。どっちに対しても「お前が悪いんじゃなくね?」と言ってしまう節はあるけれど。でも、テキトーに返したことなんてない、適切な言葉を選んで話してる、はず。かっこつけてるのは少し自覚があるので強く否定できないけど、悪く言われるようなことはしてないつもりだった。

 そう考えるとなんだかモヤモヤが大きくなってきたので、育は不服そうに言った。


「別にそんなんじゃなくね?てか思ったとしてもわざわざ俺に言わなくね?」

「図星じゃんウケる」

「…………」


 真生はそんな育を軽く笑い飛ばすように言葉を放った。だが育はそれに笑って返せなかった。思ったよりも長くなってしまった反論は、確かに図星をつかれた人間の言い訳に聞こえる。それをつっつくのは育でもきっとそうした。真生相手ならなおさら。だからそれ自体には怒りはわかない。

 ほんとだったら、というか、他の人に言われたんだったら、こんなに引っかからなかった言葉。


「お前にそんなん言われるとか思ってなかった」


 想定よりもずっと低い声で言ってしまって、育は自分でもびっくりした。真生の表情が途端に焦ったようなものに変わる。


「待ってよ、ガチで怒ってんの?はぐ?」

「……たぶん」

「なんだよ多分って」

「お?なに、どした?」


 ちょうどそのとき、席を外していた赤平炎が教室に戻ってきて、なんだかただごとではなさそうな二人の様子を見て、割って入るように声をかけた。育と真生は少しばつが悪そうにお互い顔を逸らす。

 ほんの少しの沈黙が流れて、それを断ち切るように育が口を開いた。


「俺怒ってるんだわ、多分ね。今日先帰る~」


 なるべく軽い口調になるように努めて、育は自分の荷物を引っ掴んでそそくさと教室を出た。これ以上話していてもいつもの調子ではいられないと思ったから、逃げるように出てきてしまった。今日は応援部の活動がお休みの日だからいつもみたいに三人一緒に遊びにいく予定だったけれど、こんな気持ちのまま遊びになんていける気がしなかった。


◇◆◇


 その夜、酉水育の心の中はたいへん天気が悪かった。雨が降っているようでもあったし、風が吹いているようでもあった。強烈な日照りに焦がされているようでもあった。ずっと胸のあたりが冷たくて、寝苦しくてベッドの中で何度も寝返りをうった。そのたび、ひんやりとしたシーツの感覚に体の熱を奪われる。普段おやすみ3秒の彼にとって、今夜はイレギュラーだった。

 ティックトックでも見て気を紛らわせようかとスマホに手を伸ばしかけて、やめた。そんなことで眠れるんだったら苦労はしないと思うくらいにモヤモヤが募っていたから。

 育は今日の出来事を頭の中で反芻する。言われたことと言ったこと。真生の表情、動き、そのすべてを。

 なぜあんな態度をとってしまったのか考える。だって、とは思う。けれどその後に続く言葉が浮かばない。わからない。ムカついた?悔しかった?そんなことが言えてしまえる真生に失望した?あんなふうに返してしまった自分が許せない?どれも違うような気がするし、どれも合ってる気がする。

 真生に対する気持ちはすでに収まっていた。そもそも人に対してあんなふうに怒ったのもはじめてだった。怒りが長続きしないのも当たり前である。今はとにかく行き場のないモヤモヤが育の心の中を支配していた。


 早く仲直りがしたい。

 こんな気持ちで毎日を過ごすのは嫌だ。

 それはそうだけど、

 なんだかそれは、

(怒ってたときの俺がかわいそうじゃん。早く謝りたいけど、でも、あのとき怒っちゃったのは間違いないわけで、今俺が早く仲直りしたいからって謝ったら、あのときの俺の気持ちってどこに行っちゃうわけ?)


 さっき、相談を受けていたときのことを思い出す。相手のしょぼくれたような表情と、それに向けて言った自分の言葉。

『謝りたいって思えてんだったら、絶対すぐ仲直りできるって』

 そんな簡単な話じゃなかったのか、と今更ながら自分が言ったことに対して後悔する。だって今自分はこの言葉を素直に受け止められない。真生が言っていた『テキトーに言ってる』っていうのもあながち間違いではなかったのかもしれない。人生ではじめて喧嘩して、人生ではじめて謝るのを拒んでる。謝りたい気持ちがあるからって実際謝れるかどうかとは違うんだな、と今の状況を客観視してしまう。これは一種の逃避行動だった。

 明日、朝イチでまいが謝ってきたら俺許しちゃうかも。いいんだけど。いやよくないか。なんでよくないんだっけ。俺、……俺がほんとに怒ってるの、アイツ絶対わかってなかったよな。バカだもんな。ちゃんと言ってやればよかったな、理由とか。人に怒るのがいやすぎて逃げちった。俺が悪かったよな。でもな……


「わ、」


 ぐるぐると回る思考にひっぱられて何度も寝返りを繰り返していたら、ベッドから落ちてしまった。掛布団に絡まった右足だけがベッドの上に取り残されている状態。ひとりぼっちの部屋に小さな声だけが柔く響いた。あーあ、と思いながら掛布団を手繰り寄せてそのまま床の上で丸くなる。ベッドの上じゃ寝心地が悪いから今日はもう床で寝てやろうと思った。

 明日は、明日から、ちょっとだけ距離を置こう。

 きっとこれは大切なことだ、と育は思った。きっと意味があることで必要なことなんだ、と。今までみたいに謝ってハイおしまいにしてしまっていいことではないと、なんとなくだけど、完璧に言語化できているわけではないけど、そう思いながら布団にくるまった。




 11月5日。

 仲直りまであと__日。

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