第26話 彼女との思い出は甘く、けれど悲しいものへと変わる


 陽菜乃と未来は中学校からの仲で親友だった。誰よりもお互いのことを知っていて、喧嘩もしたし、励まし合いもした。二人の仲を引き裂けるものなどないほどに。


 陽菜乃と未来には夢があった。未来は女優になること、陽菜乃はそんな彼女を支えるマネージャーになることだ。


 未来の演技は素人から見ても上手く、彼女ならば夢も叶えられるだろうと陽菜乃は思っていたし、確信していた。だから、自分のできることの範囲で全力で応援していたのだ。


 未来と陽菜乃は同じ高校に通おうと決めていた。さらに演劇部がある学校にしようと二人で調べて、コンテスト参加歴もあるこの学校を選んだ。


 二人で入学して演劇部にも入れて、また一緒に居られるのだと喜んだのを覚えている。楽しい学園生活、それもすぐに終わりを迎えた。


 演劇部で役者に立候補した未来は自分で言っただけあり、その演技力を部員たちに見せつけた。誰もが口々に「上手いね」と「凄い」と褒めていて、陽菜乃は当然だと思った。未来は一人で練習をしてきていたのだから。


 高校の演劇部とはいえ、未来にとっては第一歩だったのだ。未来の演技に次の演劇で彼女を出すというのは部員全員が納得だった、そのはずであった。


 白鳥葵だけは違っていた。人当たりが良くて優しい未来を敵視するような態度を見せたのだ。


 あれをやって、これもやれ、雑用すらもできないのか。事あるごとに葵は未来に小言を言っては雑用をさせていた。


 部長でもないというのに葵は演劇部の頂点にいた。それは彼女が社長令嬢であるからだろう。葵に異を唱えた生徒や教師はあることないことを風潮されて、モンスターペアレントである両親の抗議によって地に落とされる。


 それでもやはり未来の演技には敵わなくて彼女を主役にしようと声が上がる。それが気に食わなかったのか、葵の未来に対する態度がますます悪くなった。


 わざとミスさせてみんなの前で怒鳴り叱るのはまだ良いほうだ。未来がしなくてもよい雑務や本来なら自分がしなければならないことを押し付けた。


 そんな嫌がらせをされても未来はめげなかった。頑張って演技をして、雑務だってこなしていた。


 けれど、近寄ってきたのは平原裕二だった。未来は可愛らしい容姿をしていて明るく元気だったこともあってか、男子生徒からも人気がある。裕二もその一人で彼女に「俺と付き合わない?」と交際を迫ったのだ。


 演劇に集中したかった未来はその告白を断ったけれど裕二はしつこかった。諦めずになんども迫り、それに反応したのは半沢美波だ。裕二に想いを寄せている彼女は彼が未来に告白しているのを見て嫉妬し、美波も葵に加担するようになった。


 陽菜乃はこれは苛めだと思った、何処をどう見ても。陽菜乃は未来に「先生に言おうよ」と何度も言ったけれど、彼女は「大丈夫だよ」と笑むのだ。


『わたしは大丈夫。これぐらいでへこたれてたら、女優になんてなれないから』


 未来はその度にそう言うが陽菜乃には分かっていた、未来が我慢していることに。


 怒鳴られて、責められて、雑用を押し付けられて。隠れたところで嫌がらせをされて。こんなことをされて嫌だと、辛いと思わないわけがない。それでも未来は我慢して堪えていた。 


 部員たちの反応はきっと「嫌味を言われているな」といった程度だったのだろう。嫌がらせの現場を見ていないのだから。


 そんな未来の姿を見続けて辛かった。日に日に元気がなくなっていく彼女が心配で心配で、心はざわめいて。


 わたしが傍にいなくては、彼女を支えてあげなくては。陽菜乃はずっと未来の傍に居続けた。大丈夫だからと言われても、自分も巻き込まれて嫌味を言われても。


 だって、親友なのだから。大事な大事な友達なのだから。これぐらいのことで離れるなんてしない。未来のほうがもっともっと辛い思いをしているのだ。わたしがここでへこたれていたらいけない。


 だから、なるべく傍に居て離れることはなかった。けれど、夏休みが明けてからすぐに未来は学校に来なくなった。


 毎日欠かさず共に登校していた陽菜乃は、とうとう限界がきたのかと慌てて未来の家を訪ねた。最初は「未来が会いたくないっていうから」と面会すらできなかった。


 彼女の母とは面識もあり、仲が良いことも知っていたので「ごめんなさいね」と辛そうに返された。両親もどうして学校に行かなくなったのか知らないようで、「何かあったのかしら?」と聞かれたけれど、陽菜乃は答えられなかった。


 原因は白鳥葵と半沢美波だ。そう分かっていたけれど、未来が話していないということは両親には知られたくないということだ。だから、黙っていることにした。


 それから毎日、通った。授業についていけるようにノートの写しを持っていったり、お見舞いにとお菓子を渡したりと未来に会いに行き続けた。


 そんな日が二か月経った頃だろうか、十二月になろうとしている月に未来からメッセージが届いた。『今日の夕方なら会える』


 陽菜乃はやっと連絡してくれたことが嬉しかった、彼女からやっと話が聞けると。


 急いで指定された時間に家を訪ねると未来自身が玄関を開けてくれた。彼女を見た時、陽菜乃は悲しくなる。目の下に大きな濃い隈を作り、眠れていないやつれた顔は自分の知る明るく元気な彼女の面影を消し去っていたから。


『今日のこの時間はね。お父さんもお母さんもいないの』


 親戚の集まりで出かけているからと言いながら未来は陽菜乃を家に上げた。階段を上って彼女の部屋に案内されると、室内は暴れたように荒れている。片付けすらできておらず、本やカバンなどが散らばっていた。


『未来、どうしたの? わたしに話せる?』


 陽菜乃はなるべく優しく声を掛けた、未来の心を傷つけないように。


 しんと静まる。未来は俯きながら手を弄って、言うか言うまいかと口を迷わせていた。それでも陽菜乃は彼女からの言葉を待った。急かすことなく黙って待っていれば、未来は覚悟を決めたように顔を上げた。


『実は……』


 未来から語られた事実に陽菜乃は言葉を失った。



 未来はいつものように葵と美波の嫌味と嫌がらせに堪えていた。誰かに助けを求めればよかったのかもしれないが、それが無駄であることを理解している。


 誰もが関わりたくないと避けられている二人だ。教師ですら敵に回したくないと言っているのだから、そんな相手から助けてくれる人は周囲にいないだろう。


 自分が我慢すればいいだけだ。嫌味を言われても、嫌がらせを受けても。そうやって毎日毎日、我慢していた。もしかしたら飽きてしまうかもしれないと淡い期待を抱きながらずっと。


 そうやって今日も何とか堪えて帰ろうとした時だった。


『滝川さん、ちょっといいかしら?』


 葵に呼ばれた。振り返れば美波も一緒に居てまだ何かあるのかと身構える。


『ちょっと話したいことがあるのよ』

『着いてきて』


 二人の圧に拒否権はないのだと理解して、未来は大人しく着いていったのだという。


 旧校舎の裏に連れていかれた未来はその時に気づいた、何かされると。振り返ったと同時に美波に羽交い絞めにされて葵はスマートフォンを構えながら未来のブラウスを掴んで思いっきり引っ張った。


 ぶちっという音を鳴らしてブラウスのボタンが飛ぶ。キャミソールが見えて葵は舌打ちした。


『隠してるんじゃないわよ』


 キャミソールを上げれば露わになる下着。未来は抵抗をするも、美波に「暴れんな」と言われて強く掴まれる。葵はパシャパシャとスマートフォンで写真を取りながら笑っていた。


 ひとしきり撮った後に未来は解放される。


『これ、ばらまかれたくなかったらわたしたちの言うこと、ちゃんと聞きなさいね』


 そう言って二人は未来を置いていった。



『その写真、ばらまかれたの!』

『分かんない……でも、平原くんは見てたみたい……』


 未来は涙を流しながら話す。なんとか学校に来て部室になっている小ホールに入ろうとした時だ。


『うっわ、お前らやってんなー』

『良いもの見れたでしょ』

『眼福だわー』

『滝川、泣いててさー』


 けらけらと笑う声。あの写真を二人が裕二に見せているのだと知って、小ホールに入らずに家に帰ったのだと未来は泣き出してしまった。


『わたし、何かしたのかな? どうしてこんな目に合わなきゃいけないの?』


 未来は泣きながら陽菜乃に縋りついた。わんわんと泣く彼女の姿を見て、陽菜乃は言い知れぬ怒りの感情を抱いた。


 白鳥葵、半沢美波、平原裕二、彼らに対してのこの怒りと憎しみ。震えるほどのこの感情に陽菜乃自身も驚くほど。


『未来は何もしてないよ。全部、そう全部あいつらが悪いんだ』


 陽菜乃は未来を優しく抱きしめた。頭を撫でながら「何も悪くはないんだよ」と囁けば、未来は「どうしてこんな目に合うの」と嗚咽を吐く。本当にそうだ、どうして彼女がこんな目に合うのだ。


『わたしね、もう笑えないの……』


 どんな時だって笑えたというのに今はもうもう笑うことすらできない。顔が引きつってしまって表情が作れないのだと嘆く。


『こんなんじゃ、こんなんじゃ女優になんてなれないよ……』


 夢だった。大舞台で演技をしたかった。女優として観客を感動させるような存在になりたかったというのに。


 表情が作れないのでは演技は出来ない、何をやっても上手くいかなかった。これは未来を絶望の淵に落とすほどのことだ、夢が叶わないのだから。


 ずっとずっと憧れて、夢として追いかけてきたというのに簡単にそれをぶち壊された。これを嘆かずに、怒りを抱かずにいられるか。未来は言う、許さないと。


『許さない、許さない。あいつらをわたしは許さない!』


 全てを奪っていった三人を許さないと未来は呻るように吐く。目は血走っていて、ぎりぎりと歯を鳴らす。


 恨みと憎しみだった。彼女が露わにしたその感情を陽菜乃は抱きしめた。そうだ、あいつらは憎い存在だ。怒っていい、恨んでいいと。


 陽菜乃が抱いた感情は三人への憎しみと怒り、そして未来への愛情だった。愛しい愛しい彼女をこんな目に合わせた人間を許さない。同じように苦痛を合わせてやりたいと。


『未来、わたしがいるよ』


 わたしが傍にいるよ、陽菜乃は誓うように伝えれば未来は黙って頷いた。ぎゅっとしがみついて離れない彼女を陽菜乃は抱きしめ続けた。



 それから一ヶ月後、年明けとともに滝川未来は自殺した。陽菜乃を残して。


 未来が死んだと知って何もかも失った消失感に囚われた。もう彼女に会えないのだ、あの温かさに触れられないのかという悲しくて、悲しくて。


 遺書には親への感謝と謝罪のみが綴られていた。未来はもう耐え切れなかったのだろうと頭では理解できても信じたくなかった。


 わたしがずっとずっと傍に居るのに、わたしだけはアナタの味方なのに。愛していたのはわたしだけだったのだろうか、考えれば考えるほどに悲しくて。


 ある日、手紙が届いた。差出人が分からない手紙だったけれど、それが未来であるのはすぐに分かった。


【陽菜乃へ

 ごめんね、陽菜乃。わたしはやっぱりもう無理だ。もう駄目なんだ。

 でも、陽菜乃が傍に居てくれて、わたしの話を聞いてくれて嬉しかった。

 わたしはあいつらを許さない、復讐してやりたい。でも、そんな勇気も力もわたしにはもうないんだ。

 もう憎しむのも、悲しむのも疲れた。こんなことで死ぬなんて他人からすれば、馬鹿馬鹿しいかもしれないけれど、わたしにはもう無理なんだ。

 ごめんね、陽菜乃。弱いわたしで。

 アナタと出逢えてよかった。

 さよなら、私の最愛の人】


 あぁ、なんてこどだろうか。溢れ出る涙に混じって沸き起こる怒りと憎しみ。


 どうして未来が謝るのか、彼女は何も悪くないじゃないか。

 どうして未来が死ななければいけないのだろうか、彼女が何をしたというのだ。


 何も悪くない、何もしていない。ただ、夢に向かって前に進んでいただけだ。その想いは一途で純粋なもので、輝いていた。


『あぁ、憎いらしい』



 憎くて憎くてしかたない、この怒りを恨みをどう晴らしてくれようか。陽菜乃の心はすさんでいた時に彼女に復讐を誓わせる出来事が起こった。

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