願いの物語シリーズ【千歳紗理奈】
とーふ
第1話『だから私はお姉ちゃんが大好きになった』
記憶の中に居るお父さんとお母さんはいつだって、私ではない誰かを見ながら、私に話しかけていた。
その誰かは私と同じ紗理奈という名前をしているらしいが、私はその誰かを見た事はない。
ただ毎日の様に紗理奈という誰かの名前を呼び、私を褒める。
私はだんだんと自分が紗理奈という名前なのか。本当に紗理奈なのか不安になり、言い知れない恐怖を感じながら、ぬいぐるみを抱きしめていたのをよく覚えている。
でも、そんな世界にあっても、お姉ちゃんだけは、真っすぐに私を見て、紗理奈と呼んでくれた。
だから私はお姉ちゃんが大好きになった。
お姉ちゃんは私をちゃんと見てくれる。
知らない紗理奈じゃなくて、私を。
そう思っていた。そう思っていたのなら幸せだったのかもしれない。
でも、私はある時気づいてしまったのだ。
お姉ちゃんは私の事が、紗理奈の事が嫌いだった。
話しかけても、睨まれてしまう。
手を握ろうとしたら振り払われてしまう。
近くに行くと、こっちに来るなと言われてしまう。
でも、どんなに嫌われていても、お姉ちゃんだけが私を見てくれる。
だから、私はお姉ちゃんの気持ちも考えずに近づいて、そして傷つけてしまった。
『分かったよ! 欲しいんだったら勝手に食え!!』
耳を塞いでも、聞こえてくる。頭の中で何度も響くお姉ちゃんの声。
泣いていた。
私が傷つけたんだ。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
もう我儘言わないから、許して。
そう言おうと思った。
でも、お姉ちゃんはその日から帰ってくる事は無かった。
お母さんもお父さんもお姉ちゃんは家を出て行ったと言っていた。
立花っていう人の家に行ったんだと。
もう二度と帰ってくる事は無いと。
私はそんな訳無いと首を振って、否定した。
しかし、お母さんに連れて行って貰った野球場では、お姉ちゃんが大野という人と楽しそうに笑っている所を見てしまった。
お母さんは言っていた。
お姉ちゃんは私たちを捨てて、出て行ってしまったのだと。
悲しかった。
寂しかった。
たった一人。私をちゃんと見てくれた人が居なくなってしまった。
苦しかった。
それから何度かお姉ちゃんに会おうとしてみたけど、上手くいかなくて、時間ばかりが過ぎていった。
そして、小学校六年生になった時、嘘だらけの世界が遂に、悲鳴をあげながら壊れた。
「なんで、なんでちゃんと出来ないの!! 紗理奈!!」
始まりはテストの点数があまりよくない事だった。
そして、友達が出来ない事を先生からお母さんに伝えられた事も、多分原因の一つだった。
「加奈子だけじゃなくて、紗理奈もか! やっぱり母親が原因なんだろうな!」
「やっぱりって何よ! 私たちの子供でしょ! あなたにも原因があるでしょ!」
「どうだか。そもそも本当に俺の子供かも怪しいね! 何処かで底辺の男とでも作ってきたんじゃないのか!?」
「私が浮気したって言いたいの!? ふざけないで!」
「知ってるんだぞ! お前、コソコソ隠れて男と会ってるだろ! 俺が知らないとでも思ったのか!?」
「隠れて会ってなんてない! 職場の同僚よ! それに、浮気だって言うのなら、あなたの方がそうじゃない!! カレンとかって名前の女と会ってるでしょ。気持ち悪いメールも全部知ってるんだからね!!」
「ヒステリックに叫ぶな! チッ。こんな事ならお前なんかと結婚するんじゃなかったよ。顔だけは良いから選んだのにな。ロクなモンじゃない」
「何よその言い方!! そう言うんなら加奈子の母親とでも結婚すれば良かったじゃない!!」
私は耳を塞ぎながら、蹲った。
でも、現実は私を逃がしてくれる事は無くて、毎日の様に二人は顔を合わせる度に喧嘩をする様になった。
憎しみをぶつけ合い。言葉を投げつけあう。
やがて、その言い合いは暴力に発展する様になり、私はお父さんに夜廊下で会うだけで捕まり、お尻を何度も、何度も叩かれた。
紗理奈が悪い子だから。反省できてないから。
ちゃんと謝る事が出来るまで、何度も。
お母さんに助けを求めたけど、助けてはくれなかった。
そしてある時は、お母さんに背中を蹴られた。
歩いている時に邪魔だったからだ。
私は何度も謝ったけれど、許してはくれなかった。
やがて、そんな生活は終わりを告げて、お父さんとお母さんは別れる事になった。
でも、私はどちらも引き取りたくないと言っていて、嫌々ながらお母さんが引き取る事になった。
私はお母さんの優しさで引き取って貰えたのだから、ご飯を食べる時はちゃんとお母さんに感謝しながら食べなくてはいけなくなった。
でも当然だ。
私はお母さんが居なければ生きていく事も出来ないのだから。
お風呂に入るときはお母さんの許可が無ければ入っちゃいけないし。寝る事だって、お母さんに許可を貰わなきゃいけない。
私の為に夜遅くまで働いているお母さんに感謝して、ちゃんと玄関で正座しながら待っていないといけないのだ。
私は誰も要らない子なのに。優しいお母さんが引き取ってくれたのだから当然だ。
当然なのだ。
そんなある日。お母さんが知らない男の人を連れて帰ってきた。
その人はお母さんの恋人で、これからお父さんになる人なのだと教えられた。
私はお母さんに言われていた通りに、邪魔をしない様に部屋で小さくなって過ごしていた。
でも、その日はお母さんの機嫌がよくて、私は一緒に食事をしようと呼ばれた。
正直、行きたくなかったけれど、行かないと言えばお母さんがどうなるか分からなくて、私は小さく頷いた。
そして、お母さんに呼ばれて、真っ赤になっている男の人の横に座って飲み物をコップに入れる様に言われた。
男の人は私をジロジロと見てきて、お母さんの見ていない所で体を触ってきたけれど、嫌とは言えなかった。
言えばきっとお母さんが怒る。
また叩かれる。そう思ったのだ。
しかし、男の人は、お母さんにいっぱい飲み物を飲ませて、寝かせてしまうと、息を荒くしながら私に寄りかかってきた。
そして、服を脱ぐように言う。
流石に知らない人の前でそんな事はしたくないと言ったら、その人が椅子を殴って、怖い顔と声で脱げと言ってきた。
怖い。
ただ、ただ怖い。
私は言われるままに服を脱いでいたのだが、上着を脱いだ頃にお母さんの怒りに震える声を聞いた。
もしかして助けてくれるのかもしれないと私は希望を感じながらお母さんを見た。
同じ様に焦った感じで男の人もお母さんを見ていた。
そして私がお母さんに助けてと言おうとするよりも前に、男の人が必死にこの子が俺を誘ったんだと言ってきた。
その言葉の意味はよく分からなかったけれど、お母さんの目は私を射抜いた。
私はそれだけで終わったなと理解した。
男の人はそそくさと家から出て行って、残された私はお母さんに殴られて、蹴られて、反省文を裸で書かされた。
まだ子供のようなふりをして、お母さんの彼氏を奪おうとしたからだ。
ちゃんと反省しないといけないと言われた。
その日は布団で眠る事は許されず、服を着る事も許されず、食事の後片付けをした後に、そのまま椅子で眠る様に言われた。
膝を抱えながら、ソファーの上で眠った私は翌日風邪を引いてしまった為、またお母さんに怒られてしまった。
私が悪い子だから、お母さんは怒るのだ。
これは仕方のない事なんだ。
その日から、私に何かある度にお母さんは大きなため息を吐いて、私をぶつ様になった。
私がしっかり反省してちゃんとした子供になるまで。
何度も。何度も。
私が悪い子だから。これは仕方のない事なんだ。
お母さんが優しいから私を捨てないだけで、本当は誰も私なんか愛してないし。好きになんてならない。
だからお母さんに私はちゃんと感謝しないといけない。
私はそう言い聞かせられていた。
それが私の日常だった。
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