第1話②「ハルくん、背中が煤けてるよ?」

 翌日。通常通り六限目まで授業を受けて放課後、俺と秋穂、海夏の三人は部室棟に来ていた。

 全三階ある部室棟の最上階は文化系部活の部室に割り当てられ、その中でも入り口から一番奥の部屋。

 俺と秋穂が所属し、五行先輩が部長を務める部活が利用を許可されている一室。

「文化研究部……?」

 海夏が入口に掲げられた表札を見て首を傾げる。

 たしかに、名ばかりサークルが乱立する大学ならまだしも(偏見)、ある程度画一化されている高校の部活動としては聞き馴染みのない名称だろう。

 それもそのはずで、この文化研究部というのは去年五行先輩が突発的な思い付きで創設した部活動であり、部員勧誘も一切しなければ途中入部も叶わない、完全一見お断りサークルなのである。

 そのため、存在こそ知られてはいるものの、いったい何の目的で作られたかは、活動内容が何なのかすら、謎に包まれている。

 昨日、海夏が俺たちと同じ部活に入りたいというので一応連れてきたが、この部の人事権はすべて彼女が掌握しているため、海夏が無事入部できるかは五行先輩人事部長の気分次第だ。

 もちろん、俺も最大限口利きするつもりではあるが……。

「とりあえず、入ってみようか。 五行先輩、もう来てるはずだし」

「そうだな」

「は、はい」

 秋穂の呼びかけに、海夏は緊張を隠せない様子で頷く。謎の部活動というより、あの五行先輩がいるということがより緊張を高めている要因だろう。結局、入学式の朝以来二人は顔を合わせていないはずだから、お互いの心象は少なくとも良好というわけではないだろうし。

 はあ……。気苦労が絶えませんなあ……俺。

 コンコンコココン、と軽くノックをすると、待たずして室内からどうぞと声がかけられた。

 この少し独特なリズムのノックは、部外者と部員を判断するための合言葉の役割を担っている。部創設以来鉄の掟として遵守励行されているものだ。そのため、中にいる五行先輩も安心して入室を促すに至っている。

「失礼します」

 一声かけてからドアを開ける。

 ふわっと一瞬吹いた風に目を細め室内を見やると、息をのむような光景が目に飛び込んできた。

 そよ風にたなびく黒く艶やかな長髪。細くしかし凛とした芯の強さが表れた肩。蝶のあしらわれた純白のブラジャーにくびれた艶めかしい腰――って。

「なんで服を着ていないんですか!?」

 静かな室内に俺の突っ込みが響き渡る。横目には顔を隠して絶句する秋穂と海夏。正面には「?」と首をかしげる五行先輩。いやなんであなたがわかってないんだよ。

「こんにちは春哉くん。 ちなみに私、別に全裸ではないわよ。 服を着ていないという表現は誤りだわ」

「いいからまず上半身を隠してください!」

 下着姿を男に見られたというのに全く動じる様子はなく、着衣の定義について論じようとする豪胆さには尊敬の念すら覚えてしまう。この人には羞恥心がないのだろうか。

「大人っぽいのに下着は意外にも無垢な白、というのはさすがに狙いすぎたかしら?」

「何の話ですか、何の……」

 どの方面に向けてなのかは謎だが、どうやらギャップ萌えを狙って下着をチョイスしたらしい。謎の情報を入手してしまった。

「ごごごごご、五行先輩! ハルくんに何を見せてるんですか!」

 と、かなり遅れて秋穂が息を吹き返し、同じくして海夏も声を取り戻した。

 とはいっても、「あわわわわ」と言葉にならない声を出しているにすぎないが……。

「やはり初登場にはインパクトが大事かと思って。 お気に召さなかったかしら?」

 三者三様の、しかしいずれも好意的ではない反応も見てもなお、先輩は飄々と言ってのけた。そもそもあなた初登場じゃないでしょう。いやそうでもなくて。

「とりあえず五行先輩。入部希望者ですよ」

 彼女が服を着るまで一応目を瞑りつつ、改めて海夏を紹介する。同じ女性だけあってもう冷静になった秋穂が、海夏を一歩前へ促して、「ほら、海夏ちゃん」とあいさつの機会を作ってくれた。

「一年B組の空音海夏です! よろしくおねがいします!」

 緊張でガチガチに固まりつつも、なんとか簡単な自己紹介を完遂した海夏。――を、先輩は舐めるように上から下までねめつける。

 まさに蛇に睨まれた蛙といったように、身じろぎ一つせず気を付けの姿勢を保っている海夏を、俺も固唾を飲んで見守るしかできなかった。

 まるで偉大な彫刻家の作品を見るように、全身隈なく見つめたのち、ようやく先輩は口を開いた。

「ふーん。 あなたが入部希望ね。 理由を聞いてもいいかしら」

 顎に指をあてて、にやりと意地悪な笑みを浮かべた先輩が、海夏の目をじっと見据えて返答を待っている。

 部長が入部希望の新入生に対し、入部したい理由を聞くのは至極真っ当なことだろう。なのになんだ。この悪役ヒール感……。

「あの、えと……せんぱいと一緒に過ごしたくて……ですね……はい」

 海夏も負けじと握りこぶしを作ってはいるが、単語ごとにその勢いは萎んでいく。

 最後には消え入るような声で、隣にいる俺でさえかろうじて聞こえるかくらいのボリュームになっていた。

「そう。 まあ、構わないけれど。 あなたはここが何をする部なのかわかっているのかしら」

「それは……」

 続けざまの質問に、海夏は口籠る。ちなみに俺もよくわかってないから大丈夫だぞ。

 見当もつかないといった様子の海夏(と俺)に、先輩はあきれるように鼻で笑ってみせる。

 そしてその美脚を肩幅に開き、ふぁさっと黒髪を靡かせてドヤ顔で話し出す。どうやら去年からの謎部の活動内容がとうとう解き明かされるらしい。

「ここは文化研究部。 日本の娯楽や文学など、ありとあらゆる文化について学び、自身の人生を彩り豊かにするための活動を行っているわ」

 へえ、それは知らなんだ。

 だらだら本を読んで適当に解散した記憶しかなかったけど、あれは部活動じゃなかったんだな。うんうん。

「そんな高尚な活動なんてしてましたっけ……」

 ぼそっと秋穂がつぶやくのが聞こえた。

 おい、触れないようにしてたのに平然とラインを越えてくるなよ。

「……ま、まあともかく。入部希望はわかったわ。 でもまずは体験入部という形で、部活動の感覚を掴んでからでも遅くないのではないかしら」

 なんとなくそれらしいことを言う先輩に対し、海夏は「なるほど」と頷いている。素直でかわいい。好き。

 ちらっと横を見ると、秋穂はいつもの困った笑顔で俺と海夏を交互に見ている。

 ふむふむ、「体験といっても、何をするのかな」という顔だ。

 「でも五行先輩。体験といってもまともな活動をした記憶もないですけど、なにをするつもりですか」

 秋穂の表情から読み取った内容を、少しばかり自分の見解も添えて先輩に投げかける。

「そこまではっきり言われるとさすがに怒る気にもなれないわね……」

 先輩は額に手を当てて、ため息を一つついてから「そうね」と部室の中央を指さした。

 その先には、少なくとも春休み前にはなかったはずのテーブルのようなもの。

 ”ようなもの”というだけあって、ただのテーブルと断定するには違和感が多すぎる。

 一つは全体を覆うカバーがかかっていること。

 そしてもう一つは、そのカバーから覗く脚が、真ん中に一本しかなく、それも異常なまでに太く頑丈そうなこと。

 極めつけは、黒い電源コードが伸びていること。

「先輩、これは――」

 俺がみなまで言わないうちに、先輩はお得意のドヤ顔とともにカバーをバッと勢いよくめくる。

 現れたのは緑の天板の四角いテーブル。四辺にはデジタルで25,000と表示されており、中央には正方形の枠。その中にはさいころが二つ、ガラス窓の中に置かれている。

 間違いない。

 全自動麻雀卓だ。

 そして、全員がその正体に気が付いたことを確認すると、先輩が声音弾ませ言い放った。


「麻雀するわよ!」


 うん。馬鹿なのかな?



 ◇



 麻雀。中国発祥のテーブルゲームで、日本に初めて原型が伝わったのは1909年とされている。(諸説あり)

 日本独自のルールが生み出されるなど発展を続け、戦後には現在に至るまで最もポピュラーなリーチ麻雀の形式が確立されたという。

 以前は賭け事のイメージが強く、たばこや暴力とセットにされがちだったりと敬遠されがちな側面もあったが、最近では脳の老化防止や知育としての健康麻雀が新たなブームになりつつある、らしい。※五行深冬調べ。

「つまり麻雀は日本のテーブルゲームの文化として最も根強いものだと言えるわ。 体験入部の内容としては申し分ないはずよ」

「学生が学校でやるには申し分しかないように思いますが」

「春哉くんは黙りなさい」

 理不尽だ。

「そもそも、俺と先輩はともかく、秋穂と海夏は麻雀出来るのか?」

 そう、麻雀は最低限のルールを知らないと始まらない。事細かにアシストしてくれるネットゲームならまだしも、リアルでやるには(主に面子集めにおいて)些か敷居が高い。

「わたしは、年末に親戚が集まってやってますので、実際に遊んだこともありますよ」

 おずおずと海夏が手を挙げる。ほう、一番怪しい海夏が意外にも経験者だとは。

秋穂はどうだという意味を込めて視線を投げると、にっこり笑ってサムズアップをして見せた。

「私はお父さんの漫画で見たことあるよ! なけばなくほど点数が上がるやつだよね!」

 知ってるよっ!といわんばかりに満面の笑みで話す秋穂。ぷるぷる揺れるおっぱいがまぶしい。

 でもさ。それ本当にあってる?

 ”なく”じゃなくて”哭く”だったりしない?

 どうやら先輩も俺と同じ感想を抱いたらしく、こめかみに指を当て唸っていた。

「日向さん、細かいルールは知ってるのかしら」

「今から調べます!」

 先輩の疑問に無問題といった感じでスマホをササっと操作する秋穂。

 ほどなくして、見ていたスマホをポケットにしまった。

「ルールも役も、点数計算まで覚えました!」

 そしてそんなことをあっけらかんと言ってのける 。

 え?ルールや役はともかく、点数計算も覚えたの?たった数分で?

 俺の視線に気が付いたのか、秋穂はぱちりとウインクして再度サムズアップを見せた。

 ……これがIQの差か。格差社会反対。

「では、問題もなさそうだし始めましょうか。 トップがラスになんでも命令できることとするわ」

「わかりました!」

「は、はい!」

 秋穂と海夏が順に返事をし、俺も流れに乗って頷こうとして――

「いやいや!なんか変な条件がつけられていませんでしたか!?」

 慌てて突っ込みを入れる。トップがラスに命令って、なんだそのとんでもない罰ゲーム!

「はて、何のことかしらね」

「さあ……、海夏ちゃん、わかる?」

「いえさっぱりです。 ま、ぱぱっと場決めしちゃいましょう」

 ……仲良しですね、ホント(諦観)

 とりあえず、コンビ打ち野生の闘牌だけは警戒しておこう。



 ◇


 

 そして始まった東一局とんいっきょく厳正なる場決めじゃんけんによって決められた席順は、俺を起点として反時計回りに海夏、秋穂、先輩の順となった。

 起家チーチャの海夏がサイコロを振り、出た目に従って牌山から手牌をとっていく。なお、細かい麻雀用語をいちいち解説していると文字数がかさむので、各自調べるように。ルビだけは振っといてやる。

 下家シモチャの海夏が親なので、俺は北家ペーチャとなるが、おあつらえ向きに配牌からペー暗刻アンコである。これは速攻かな。

 が、そんな俺の目論見むなしく。二巡目、海夏は横向きに打牌し、赤ポッチの入った点棒を卓の中央に置いた。

「親リーいくじぇ」

 いや早すぎるしそもそもなんだその語尾。

 一言ツッコミを入れてやろうと海夏の顔を見ると、いつの間にかタコスを頬張って「タコスぢからだじぇ」などとのたまっている。なぜタコス?

「わあ、海夏ちゃんはやいね。 読みようも無いしひとまずは手作り集中かな」

 何やら玄人風に呟きながら、秋穂は流れるようにツモった牌を手牌中央あたりに入れ、右端からペーを切る。

 そして先輩が一索イーソウをツモ切り俺の巡目が回ってくる。

 ツモは生牌ションパイトン。こちらは良形とはいえ三向聴サンシャンテンだし、間違って海夏に当たれば三翻サンハンは確定。

 しかしまだトンパツの二巡目。ドラがナンなので、海夏が東を対子トイツでもっている可能性は高くない。数巡絞ってもいいが、翻牌ファンパイは後半に行くにつれ怖くなるのが普通。ここは攻めだろう。

 いざ!と東を切ると、思わぬ方向対面から牌の倒される音が聞こえた。

 ――御無礼。

「ごめんねハルくん。 それロン」

「あ、はい」

 秋穂の手牌をみると、そこには一索の対子が一組あるのみで、そのほかはてんでバラバラであった。

 気になる点があるとすれば、すべて么九牌ヤオチューハイということと、そこには東だけがないということ。

 ふーん。

 二巡目でダマ国士役満ですか。

 あ、そう……。


 こうして、記念すべき新歓麻雀大会は、東一局にして俺のトビ終了で幕を閉じた。

 え?なにこれは。

 なあ、おい。

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