第5話 勘のいい後輩は嫌いだよ

 カバンにフロータを入れて出社する。

 いつもは憂鬱な通勤電車が、今日はちょっと楽しい。


 祖母は遺産として、日々の楽しさをアップさせてくれるサプライズを俺にくれたのだなと思う。

 正直、魔女とかまだよく分からないけれど、やれるだけやってみるよ、おばあちゃん。


 仕事はいつも通り。

 今は繁忙期だから、営業部の連中が必死に駆け回っている。

 我が物流部門では、忙しさは平時のせいぜい二倍くらい……。


 し、死ぬ~っ。

 平時でも忙しいのに、二倍とか舐めてるのか!

 全然フロータに触る機会がない!


 ぐおおおお、と唸りながら仕事をした。


「あひぃ~。せ、先輩、あたしこのままだと死ぬッス~」


 直属の部下である花巻マシロが弱音を吐いてきた。

 彼女は俺と同じ高校出身で、その縁からか新人教育をすることになり、俺に懐いてくれているというかなんというか。


 快活な感じのショートカットの女で、背丈はあまり高くないが元運動部らしく、キビキビ動くのが好印象だ。

 猫を思わせるいたずらっ子っぽい顔立ちで、普通にしているとちょっと笑っているみたいな顔になる。


 そんなマシロも今は死にそうな顔だ。

 業務量がヤバいからな!!


「花巻、今日は昼休憩が無いかもしれん……」


「あひぃー! 労働基準法違反ッスよそれー!!」


 ひいひい言いながら、俺たちは働いた。

 PCでの在庫管理の他、発注、中継、上申されてくる注文の精査、品質管理報告などを報告書の形にまとめるなどなど。

 見ろ、係長が真っ青な顔をして働いている。


 あっ、倒れた!!

 物流部がちょっとした騒ぎになった。

 巨漢でマッチョな課長がノシノシ現れて、


「休憩! ここで昼休憩とする! 救急車呼んで!」


 と強制的に業務を止めてくれたのだった。

 これ以上の犠牲者が出るのは避けられたか……。


「はえー、過集中し続けると人間ってぶっ倒れるんスねえ……」


 社員食堂で、ようやく落ち着けた俺とマシロ。

 時間はもう夕方だ。


 本日は残業確定。

 終電で帰ることになるだろう。

 せめてここで栄養補給していかなければ。


 くっそー、魔法を試したり、俺のカワイイ全身像を確認する暇すらない。


「無理するなよ花巻。こんな給料で体壊したら損だからな、損……」


「でもでも、家から超近いんスよ。それに残業代は満額出るし」


「俺の若い頃はボーナスカットとかされて地獄だったし、サビ残当たり前だった……。女子社員が労基に駆け込んでから是正されたんだ」


「……よく先輩、働いてたッスねえ」


「他にやりたいこともなかったからなあ」


 そう、あの頃の俺は死んだ魚みたいな目をして、仕事ばかりやっていた。

 ちょっとは業務がマシになった今だから、こうやって人並みに思考する余裕が出来てきているが……。


 それにしたって、繁忙期のあのドタバタは変わってない。

 いや、むしろ忙しさが増してないか?

 コスト減のために人員削減された状態で、仕事を回して……。


 ああいかんいかん。

 気持ちが沈んでくる。

 こういう時は俺の画像でも見て心を落ち着けよう。


 スマホで撮影した、俺の変身後の写真を見る。

 うほー、カワイイ。


 心が暖かくなる。

 生きる活力が湧いてくる。

 早く家に帰って美少女になりたい。


「あっ!? なんスかこの娘!? 超カワイイんスけど!! ……これ、先輩の家ッスか? ま、ま、まさか未成年を家に連れ込んで……」


 うわーっ!!

 しまった、すぐ向かいにマシロがいることを忘れてしまっていた。

 彼女は俺の美少女姿に注目しており、カワイイカワイイと連発している。


 ははは、そうだろう。

 俺はカワイイだろう。


 ちょっと得意になってしまうのである。

 誰だって自分が褒められたら嬉しい。


「もしかして……先輩が買ったアバターだったりして」


「ぎくっ」


「ほら、仕事の合間に冒険配信者やって副業~っての流行ってるじゃないッスか! でも仕事疲れでモンスターと戦えなくて行方不明になる人とか……。そういう……? ダメッスよ先輩! 疲れた体でダンジョンなんか無茶ッス!!」


 こいつっ、一瞬で俺の現状を見抜いた!?

 勘のいい後輩は嫌いだよ……。


「これはさ、俺のあれだ、あれ。友達がバ美肉して」


「バーチャル美少女受肉ってことッスよね」


「詳しいなあ」


「家帰って疲れ切っててもできることって、配信見るくらいッスからね」


 なんかすまんな。

 いや、俺のせいじゃないけど。


 食事も終わり、よし、ではデスマーチな仕事に戻るか、となった頃合いだった。

 倉庫管理部の方から、普段は絶対聞かないような音が響き渡った。


 それはまるで、巨大な動物が鳴き叫ぶみたいな音で……。


「なんだなんだ!?」


「あひぃー! な、なんスか!?」


 社員たちがわあわあ叫びながら、食堂に駆け込んでくる。

 彼らの後ろから、まるで通路が変色して追いかけてきているように見えるが……。


「ダンジョンだ!! 倉庫がダンジョンになっちまった! ちくしょう、魔除けの護符があったんじゃないのかよ!!」


 ダンジョン!?

 弊社でダンジョンが発生ですか!?


 叫んでいるのは管理部の課長だ。

 彼と係長だけが逃げてきたようで、つまり倉庫で仕事してた管理部の社員は、みんなダンジョンに……?


 会社環境はストレスフルで、ダンジョンが発生しやすい。

 ということで、各社は顧問陰陽師を雇い、魔除けの護符をそこここに貼っている。

 だが確か弊社、コスト削減のために陰陽師の顧問料をディスカウントしてたような……。


 アホである。


「ひいいいい! 先輩!!」


 マシロが叫ぶ。

 通路から迫って来たダンジョンが、とうとう食堂まで侵食してきた。

 管理部の二人は逃げ切れず、ダンジョンに飲み込まれる。


 具体的には、通路から伸びてきた真っ黒な手が二人を掴み、奥へと引きずり込んでいくのだ。


「ひいいいいいい! やめて! やめて!」


「助けてえええええ! 誰か、助けてええええええ!!」


 人間のこんな悲鳴、聞いたことない。

 洒落にならない状況が発生している気がするぞ。


『主様!! これは鮮烈なデビューのチャンスですよ!』


「あっばか、喋るなフロータ!!」


「せ、先輩が一人芝居を開始した! しかも裏声まで使って! もうだめだあ……!」


 マシロは絶望したらしく、椅子にもたれて白目を剥いた。

 気絶してくれたか!!


 ある意味ありがたい……。


 食堂のおばちゃんたちは、ぎゃあぎゃあ言いながら、食材搬入口に殺到して逃げようとしている。

 で、ダンジョンは狡猾で、真っ先にそこを狙って襲いかかった。


 厨房がダンジョン化する。

 おばちゃんたちが叫びながら引きずり込まれていった。

 地獄である。


『こんな地獄を解決するのは、主様……いいえ、正しき魔女、黒胡椒スパイスしかありえませんよね!』


「黒胡椒スパイス……。そうかな……。そうかも……」


 俺はふんわりとフロータに説得された。

 持ってきていたカバンから、水色の魔導書がふわりと浮かび上がる。


『メタモルフォーゼの断章を使ってください! さあ主様! 魔女としての真なる姿を!』


「まさか会社で変身することになるとはなあ……! “メタモルフォーゼ・スパイス”!!」


 俺の体が光の繭に包まれた。

 近寄ってきたダンジョンが、生まれ出た白黒の螺旋に弾かれる。


『!?』


 俺の体格が変わり、全身が可愛らしい少女のものになり、伸びた髪をリボンがツインテールにまとめ上げた。

 ゴスロリ風エプロンドレスのミニなスカートが、風でふわりと広がり、俺は着地した。


「黒胡椒スパイス、デビュー戦だな……!」


『もっとカワイイ言い方しましょうよ主様!』


「黒胡椒スパイス、華麗にデビューだよ! よっしゃー! ダンジョン攻略しちゃうぞー!」


 言ってて恥ずかしい!

 だが、ちょっと気持ちいいな……。


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