23話 道化は運命に抗う
「フレイア様、この人の言う事は真に受けないでいいです。この人が私に敵意を向けるのは、この人が弱いからなので」
朝陽はそう、フリーデンベルグと真っ向から対峙する意志を態度で明示する。
「いつだって頭の中にチラついている理想の結末というものがあるくせに、次善策で妥協してしまっているんです。本当は誰も傷付かず、皆が笑える終わりを夢見ている筈なのに、自分の力ではそこに届かないと思うからって、甘えてこんなことをしているだけなんです。世界を滅ぼすと予言されたフレイア様が悪いみたいな空気を作りだそうと腐心していますが、あんなのは負け犬の思考。大儀ではなく幼稚な不満で当たり散らしているだけ。そんなしょうもない人、まともに取り合わなくていいです」
一応確認だけはしておこうとフリーデンベルグから目を離して背を向けて、フレイアの顔を正面から見て訊く。
宝石のような青い瞳が、揺れ動く感情と憂いをいっぱいに湛えている。
「フレイア様は世界をどうこうなんて大仰なこと、考えていないのでしょう?」
「……考えた事ない。…………でも」
言いにくそうに言い淀み、上目遣いになったフレイアが探るようにこちらを覗き見てくる。
「嫌な事をされたり、悪口を言われると……嫌いだって、いっそあんな人達いなくなっちゃえばいいのにって思ってしまう事は、ある。たぶん私はすごく嫌な人間で……そういうところが世界を滅ぼすっていうのに繋がっていくんだと――」
どうやらフレイアはフリーベンベルグの言葉を疑っていないようだった。
「そうですか。正直者ですね、フレイア様は」
ネガティブな思考をして自己嫌悪するフレイアの発言を、朝陽は不敬だと思いながらも意志を強く持ち声を被せて切り捨てる。
「ですが、その程度の感情、誰でも多かれ少なかれ持ったことあるがあるのではないでしょうか。重く捉え過ぎだと思います」
「で、でも……」
「ですから、深く考え過ぎです。その程度の鬱屈とした感情くらいでフレイア様が世界を滅ぼす根拠にはなりません」
朝陽はフレイアの心を守る為、有無を言わせず頭ごなしにそう言った。
「朝陽こそ、なんで断言できるの!?」
フレイアは瞳を潤ませながら救いを求めるように叫ぶ。
「だって私は、世界を滅ぼすと予言されてる! …………あの」
フレイアは目尻に涙を滲ませる。不安げに揺れる瞳で、距離感を計るように疑り深くこちらを見詰めてくる。
「私のせいで朝陽はこんな目に合ってるんだよ? それなのに、こんな風に話していて怖くなの? ……ぁあ、逃げ切れそうにないから仕方なくそうしているんなら、どうにかして朝陽だけでも逃げられるように手を貸すから――」
「フレイア様」
朝陽は自分でもそうと自覚するほど硬質な声を出してフレイアの言葉を遮ってしまう。その響きの感触に怯えたのか、フレイアは小さな肩を跳ねさせた。
「もっと私の事を信頼なさってください。フレイア様が苦しめられているのに私が尻尾を巻いて逃げ出すことなんてありえません」
「…………っ」
「というわけで、どうしてフレイア様が世界を滅ぼすようになるのかという話をするのですが」
一度言葉を区切り、調子を雑談でもするかのようなものに変えて朝陽は続ける。これが取るに足らない事と看破したつもりだからだ。
「これは明らかにおかしいです。フレイア様はそんなことをするつもりがなく、考えた事も無いと仰いました。だけど結果はそこに行き着くといいます。それは何故か。私が気付いた可能性は二つあります」
朝陽はフリーデンベルグに向き直ると指を二本立てて突きつける。
「一つは滅びこそが救いなのだとフレイア様が思い込む程、世の中の有様が惨くなること。言っておいてなんですけど、これはよくわかりません。それがどんな状態か想像つかないので。フレイア様なら何が起きても普通に事態を好転させようとするはずですし。だからもう一つ、こっちが重要なんだと思います。世界を滅ぼしたくなる程、辛くて暗い体験を、フレイア様はこれから味わうんです。誰かを守りたいとか、助けたいとか、泣いてる人を見るのが嫌だとか、そんな優しさを全て吹き飛ばすくらい、苦しい経験を」
フリーデンベルグは涼しい顔で黙って聞いている。
「怖いと言うなら、私はそれが一番怖い。良い悪いは別にして、自分より利己主義な他人を優先しちゃうような子が世界を滅ぼしたくなるほど歪められるんだとしたら、それは想像を絶する苦痛なんだと思います。最後、フレイア様がどんな風に世界を呪うのか想像するだけでも頭に来る。もしそんな事があるんだとしたら、私はこの仮定のフレイア様の決断を支持してもいい」
やられたらやり返す、やったらやり返されるのは基本だ。無関係の人まで巻き込むのは良くないが、その人達には生まれついた星の下を嘆いて貰うしかない。
朝陽は喋っていて興奮してきていた心をどうにか落ち着かせる。
「話を戻しますが、フレイア様が世界を滅ぼす程の苦痛とは具体的にどんな体験なのか? 生まれついての善玉である勇者を歪める悪意の発生源はどこなのか?」
朝陽は目に力を込めて、視線でフリーデンベルグを示す。
「これらはあなたの存在で説明できます。あなたの企てた『勇者を自死させる計画』が、思惑を外して勇者を狂わせて世界を破滅に導くんだ」
「かもしれないな」
朝陽の指摘にまるで動じず、フリーデンベルグは淡々と肯定する。
「……可能性の一つとして考慮していたのなら、何故計画を強行していたんですか? 他に方法が無かった、思い付かなかったとは思えませんが」
「もちろん幾度も検討したよ。だが、結論は出なかった。分かっているのは、予言は回避不可能で、なんらかの対策を講じなければ近い先、世界が滅ぶ定めであるという――」
「――――っ? あのっ、ちょっとまって下さい! 予言は回避不可能? じゃあ対策を立てても無駄なんじゃ……」
「……君は賢しいように見えて、どうも基本的な知識が欠落しているな。予言は不可避。どう足掻こうが必ず辿り着く運命。これは常識だぞ」
「そう……なんですか…………?」
「ああ。だけど対策は無駄じゃない。予言とは曖昧な言い回しが多いからね。故に、多様に解釈出来てしまう。そこに付け入る隙が生じるんだ。終末の予言には『いつ起こるのか』が明言されていない。いずれこの世界が終焉を迎えるのは確定しているが、結果は先送りに出来るんだよ。必中系の運命攻撃に照準された時、敵の身体から武器を引き離して封印し、延命するのとやり方は同じだ。当たるのは決定しているが、その瞬間を限りなく遠ざけられるだろう?」
「……なるほど。察するに、予言を分析するとフレイア様が世界を滅亡させる勇者である可能性が高い。しかしそうだと決まった訳ではない。だけど超高確率で怪しいのは間違いない。楽観は危険。代償は取り返しもつかずやり直しもきかない世界そのもの。放っておけば世界は滅ぶけど延命処置は出来そうだから憂いの芽は摘んでおくのが吉――あなたの主張はこういう事ですよね?」
「……そうだね。修正が早いな。優秀だよ、君は」
「あなたに上から褒められても嬉しくありません。それに、だとしたらやっぱり、あなたは弱くて甘えた臆病者だ」
「……ほう? どういう事かその叡智をお聞かせ頂こうかな?」
「だってそうでしょう? 他にも選択肢はありますよ。私はそっちを選びます」
「…………」
「世界を滅ぼすだなんて考えてられないほど楽しい人生をフレイア様には送って貰います。やらなきゃいけないことなんて、たったそれだけです。この程度の発想に、そこまで狡猾で緻密な計画を練るあなたが思い至らなかったとは思えません」
朝陽がそれを言うと、フリーデンベルグが苦渋に満ちた表情で奥歯を噛み締める。
「ならどうしてあなたがその道を選べなかったのか。滅びから世界を救おうとするあなたの言葉には正義がありました。そんな人なら私と同じ結論に強く惹かれていたはずです。……けど、あなたは結局信じられなかった。善意や優しさで世界が救えるんだってことを。たった一人の心を守り抜いて、ただ普通にそこにあるよう、守ってあげられる自信が無かっただけなんだ」
フリーデンベルグは一時押し黙り、しばらくしてから乾いた笑みを浮かべた。
「君の言う通り、私が臆したことは認めよう。しかし――」
フリーデンベルグが語気を強めて朝陽を睨みつけてくる。
「信じる信じないではないではないんだよこれは! 『女に生まれし青き瞳の勇なる者、紅の髪を靡かせし灼熱の乙女、太陽よりも光り輝く聖なる剣を振るい、大地を猛火で焼き尽くさん。これにて世界は終焉を迎え、命なき静寂が支配する』――これは確実に訪れる未来。いつか必ず予言の子は生まれ落ちる。予言の子とは即ち災禍そのものなんだよ。どうしてそれを信じられるというんだ……!」
「……予言ってものの存在を実感出来ない私には、あなたの恐怖と葛藤の深遠は理解できません。でもこれだけははっきりと言い切れます。もし世界が……人類の歴史が絶えるのだとしたら……それは、人が人を信じられなくなった時なんだと思います」
「…………!!」
驚愕したように目を見開いて言葉を失ったように朝陽を見つめ、それから悔しそうに俯いたフリーデンベルグが「ふっ」と嘲るように笑った。それは一体、どこから来てどこに向けられたものか。
「連絡を絶った事で尻尾切りを悟られた手下には研究成果をけしかけられて被害は甚大。今回の招集からして王には正体を暴かれたようだし……挙句、こんな子供に説教まで食らう。……無様とはこの事だな」
断腸の思い、ではあったのだろう。フリーデンベルグがこのシナリオを描く判断を下したのは。世界と少女を天秤に乗せ、世界を選んで破滅する憐れな男。
だが、それでもフリーデンベルグは微笑を継続する。
「いいさ。最低限の種は蒔いた。あとはこれが芽吹き、遅効性の毒となるのを願うばかり――!?」
改心などせず、主義を一貫させるフリーデンベルグが何かに気を取られたように遠くを見やった。
(これは……!)
その理由は朝陽にもはっきりと感じ取れた。
こちらの肌を掻き毟るような膨大な魔力の気配。これには覚えがあった。
翼の男のものだ。
去って行ったばかりなのに、どうやら再びここに向かって来ている。
空を飛翔して、魔力を込めない肉眼では視認できないほどの速度で翼の男の気配が朝陽の頭上を通過、軍の進行方向であった方角と消えていった。離れたところにいる兵士達のどよめきが聞こえる。
そうして――何度も何度も何度も何度も何度も、まるでこれまでの鬱憤を晴らすかのような爆音が遥か遠くから響き渡る。この音は、どのように形容されるべきなのだろうか。地平線の果てまで轟かせようとでも言うように、強大な力で大地を――惑星の外郭そのものを殴りつけるような怨念の籠った打撃音が山脈から響き渡ってくる。
(…………!? 異種交配の研究施設を破壊している……!?)
音が、止む。翼の男がソイル山脈の方から飛来して姿を見せる。
そして、軍の真上で停止した。
そこで翼の男は魔力を込めた握り拳を振り上げ――、……躊躇うように、迷っているように、数秒。
(攻撃される……! でも、止めようにも相手が空の上じゃ……)
手の出しようがないのはフレイアやフリーデンベルグも同じようで、なすすべなく茫然と空を仰いでいる。
しかし翼の男は断念するように拳を下ろした。未練そうに緩慢な動作で握り拳の指を開く。
そうして最初に来た方向へと飛び去った。
翼の男は自身の在り方に迷っている。朝陽はそんな風に感じた。
「……行かないと」
隣からフレイアのそんな呟きが聞こえた。
翼の男は何を仕出かすか予測がつかない。後を追い、良好な関係を築かなければならないと朝陽は思った。
「はい、行きましょう! お供します!」
だから朝陽はフレイアにそう言う。当たり前の事を言ったつもりだったが、けれどフレイアはこっちを見上げて不機嫌な顔をした。子供っぽいままごとのような怒りの表情だが、目は真剣そのもので、成熟した理性を帯びていた。
「ここから先はだめ! あまりにも危険だから!」
「なにが、でしょうか? 戦闘力という意味では脅威ですが、まだ敵と決まったわけではないと思うのですが……。あの人は、悪い人じゃない気がします。だから色々話してみたいです。そうすれば和解できる相手なのではないでしょうか?」
「向こうにその気がなければ話が出来る状況を作り出すだけでも一苦労なの! 懐柔なんて、それは見越しが甘い!」
「かもしれませんが……ですが、やってみる意義はあると思います。牡丹の事もありますし、魔物からも助けて貰いました。きちんとお礼を言いたいんです、あの人に」
それに、と朝陽は続ける。
「危険な役回りをフレイア様にだけ押し付けて吉報を待なんて……そんなこと、私にはできません」
朝陽のその発言にフレイアは言葉を詰まらせて、
「……じゃあ、ついて来るのはいいけど、無茶だけはしないで」
それだけ言った。
「はい!」
短く応じる。
それからふと、朝陽は思い出す。
「……それで、行くっていうのは翼の男の後を追うって事でよろしいのですよね? どうやって追うのでしょう?」
フレイアは王に呼び出されている。だがフリーデンベルグの発言から内情は推し量れた。行っても既に知っている事を教えられるだけなら、今優先すべきは翼の男だ。
「うん、人命を優先する」
フレイアは『王に刃を向けてもいい権利』を与えられている『騎士』だ。現場での自己判断は許されているだろう。雰囲気だが政治的な事にも関与してなさそうだ。
「追撃速度のみを求めるなら走ってなんだけど……」
「それだと私が置いて行かれてしまいますね……」
「うん……。こういう場合、馬を使うと思うんだけど、私は馬に乗って移動しないから騎乗用の馬を持ってないし、乗った事もなくて……」
「ああ、でしたら問題ないかと。私が乗れます。馬はフリーデンベルグさんに借りればよろしいかと」
「え!? フリーデンベルグ卿に……? だけど……」
こちらの提案に戸惑いを露わにするフレイアを尻目に、朝陽はフリーデンベルグの方を見る。
「国民に被害が及ぶような惨事はあなたとしても好ましくないですよね? 事態を収束させる為の協力を要請します」
「……どういうつもりだい? 私は君の――」
フリーデンベルグは困惑しているようだった。朝陽は遮って言う。
「――敵、とは言い切れませんよ」
「……なんだって?」
「あなたの計画的には、わたしがフレイア様にとって不可欠な存在にならないといけないですよね。客観的に見て、そこに到達するにはまだまだ物足りない段階です。あなたとしては、私がフレイア様の『かけがえのない存在』になる為に協力は惜しむべきではないでしょうし、危険に身を晒して死に近づくのはしてやったりといったところでしょう? だったら遠慮なく力を貸して貰います」
呉越同舟というやつだ。利害さえ一致するなら手を取り合わない理由はない。
フリーデンベルグがすごく嫌そうな顔を返してくる。
「それから、最後にもう一つ訊いておきたいんですけど……」
「……なんだい?」
「私がこの世界に来たのも、あなたの計画の内ですか?」
「…………何の話だろう?」
「いえ、知らないのならいいんです。忘れてください」
勘だったが、口ぶりから無関係なのだろうとは思っていたので特に追求しない。
異世界への転移現象に纏わる手掛かりがまるでなくなってしまったなと、朝陽は暗い気分になった。
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