22話 絶対勝利の殺し方

 本陣に辿り着いた朝陽は周囲を見回した。兵士達が負傷者の救護や手当てにと慌ただしく動き回っている。

 朝陽は牡丹をどうしようかと考えて、フレイアを頼るしかないというありきたりな結論に至る。ここの人達を信用出来ないとまでは思わないが、記憶の大半を失っている女の子を知らない男の集団に預けるのには抵抗があった。


「フレイア様、牡丹のお世話が出来る人を手配して頂けないでしょうか。可能であれば女の人で」

「わかった。世話係に頼むね」


 フレイアの陣まで行って呼んでもらった来た女の人達に牡丹を預ける。名残惜しくて心配だったが、緊急事態だ。四六時中くっ付いている訳にもいかないし、手放すのが早いか遅いかの違いだろう。

 当面の危機は去っているはずだと考えるのは目論見が甘いだろうか。奇襲の第二弾があるかもしれない。牡丹と離れない方がいいのだろうか。


(とりあえず保険はかけておこう……)


 朝陽はフレイアの陣に残していた風太郎に、

 3、牡丹を守れ

 と指令を飛ばす。

 傍にいた風太郎が立ち上がり、女の人達に連れて行かれた牡丹の後を追っていく。


「状況はどうなっているのでしょう?」


 朝陽がそう訊くと、フレイアは表情を曇らせた。


「思わしくないみたい。賊は捕らえられていないだろうし、あの生物達は群れになって行方をくらませた。魔力の形跡は追えるから完全に見失う事はないけど……今は騎士達が集まって今後の方針を決める為に会談を行っている最中みたい」

「それにフレイア様は参加しなくてよろしいのですか?」

「私は基本的に話し合いには加わらないから。免除されているというよりは、決定された作戦の実行を専任してる」

「つまり指示待ち中なんですね」

「うん。待機命令を受けている状態であって、自由行動時間じゃない」


 フレイアはそう言って戦場で振るっていた深紅の大剣を近くの馬車に立てかけた。

 なら自分はどうしようかと朝陽は考える。とりあえず救護か手当ての手伝いだろうか。人手はいくらあっても足りないだろう。

 朝陽がそんな事を思案していると、フレイアが口を開いた。


「さっきは助けてくれてありがとう。その……結果的にまずい事になっちゃったけど、嬉しかった」


 まずい事、というのは翼の男に装着されていた不可視の首輪を破壊して自由にしてしまった事だろう。


「いいですよ、お礼なんて……言いましたよね、一人にしませんって」

「……うん」


 そうこうしている時だった。兵士がこっちに駆け寄って来て、フレイアの前で止まると敬礼した。


「報告します。ヴァーゼン卿を現場に残し、他の騎士は全員転移術にて転移の間を経由、謁見の間まで招来せよと王命が下されました。早急に応じられたしとの事です」


 兵士の報告にフレイアは訝しげに眉根を寄せる。


「王命か。了解した。すぐに召喚に応じると伝えろ」

「はっ」


 兵士が去っていくのを見送ると、フレイアが朝陽に向き直る。


「ごめんね。そういうわけだから行かないと。ここに居ればよっぽど安全だと思うからまた後で――」


 フレイアはそう言いながら朝陽の背後に気を取られたように視線を送り、険しい表情をしたかと思うと瞼を大きく持ち上げた。朝陽が何事かと後ろを振り返ると――


「避け――――!」


 叫ぶフレイアの声を尻目に、を受け止めようとして朝陽は片腕を上段に構えた。


 とは――フリーデンベルグが真下に振り下ろした、抜き身の剣での斬撃だった。


 思いがけない攻撃に、まともな防御など叶わなかった。しかし『一度填めたら外せない呪いの指輪』はひとりでに能力を発動すると、朝陽の肉体を魔力の障壁で覆う。呪いルインハイドの指輪は、指や腕の切断による切り離しも認めないのだろう。

 魔力に守られて刃が肌に食い込む事こそなかったが、フリーデンベルグの凄まじい膂力に後ろに居たフレイア諸共弾き飛ばされた。靴底が地面に長い跡を付けるが、フレイアに支えて貰えたおかげで朝陽は転倒を免れる。

 近くに人の目はなく、騒ぎになるような事はなかった。

 乱心したとしか思えないフリーデンベルグの唐突な蛮行に、朝陽は混乱しながら疑惑の目を向ける。


「ふむ、これで少しは削れたかな。自動防御、やはりその指輪は優秀だね。丁度いい性能だ」


 凶行に及んだフリーデンベルグは、それでも穏やかにそう言った。


「取り込み中のところすまないが、少々私の話に付き合って貰えないかい?」


 その平常時かのような様子に、朝陽は恐る恐る訊く。


「……いきなり、なにするんですか……?」

「なに、簡単な話だよ。私は君の味方ではなかった。そういう事さ」

「どういう、ことですか? 説明は、して貰えるんでしょうね……?」


 フリーデンベルグのすかした口調にじわりと頭に血が上り、敬語を崩そうか悩みながら朝陽はそう訊いた。


「ああ、始めからそのつもりだよ。話に付き合って欲しい、そう言っただろう? ……しかし何から話そうか。もう時間がない。手短に纏めさせて貰おう。まず言っておくべきなのは、君の出生と正体からかな、ラズヴェルナ卿」


 いきなり話の矛先を向けられたフレイアが困惑する気配が伝わってくる。


「先代勇者とその仲間であったシンシア・ラーズヴェーラとの間に生まれた現在の勇者……それが貴殿だ、ラズヴェルナ卿」


 フリーデンベルグの口にした突拍子も無い情報の開示に、朝陽は息を呑むような衝撃は受けなかった。荒唐無稽に思える話の推移に感情が追い付かない。


「……で、それがどうしてこの行動に繋がるんですか?」

「手短にとは言ったがこちらにも必要な段取りがあってね。まずはこれを受け取りたまえ」


 フリーデンベルグはフレイアの馬車に歩み寄り、そこに立てかけられている深紅の大剣を持ち上げる。それから深紅の大剣の周囲の空間を、自分が持っている剣で、まるで切り刻むように切り付けた。


「…………?」


 意味不明なフリーデンベルグの行動に朝陽は内心で首を傾げるが、自失したように黙りこくっていたフレイアがその行為には大きく反応した。


「逃――――くっ!」


 そう遠くない距離から、ブンッ! という鈍く鋭い音と共に小さな挙動で投擲された深紅の大剣を、朝陽の前に躍り出たフレイアが白羽取りの要領で掴み取る。フレイアの機転で難を逃れたと朝陽が安堵して気を抜くと、次の瞬間、呪いの指輪が勝手に魔力を生成して身体を覆ったのを知覚した。


「…………ぁぐ!」


 全身の至る所に斬撃を加えられた感覚が肌を舐める。朝陽のメイド服にも、フレイアの軍服にも切れ目が入った。

 痛みは軽い。それでもなくはない。

 また【割に合わない取引ノワール】を強制発動させられて寿命を削られた事で、フリーデンベルグが完全に敵だというのを今更ながらに朝陽は悟る。


「フレイア様、大丈夫ですか……!?」

「……大丈夫。それより気をつけて。フリーデンベルグ卿がどういうつもりかは知らないけど、この人の持つ宝剣――残撃剣には【支点を決めて斬撃を記録し、任意で再現する】能力が付加されてる! 『動く要塞』『不可侵聖域』……迂闊に近づけばあの人自身を支点とする残撃に切り刻まれる可能性がある……!」


 フレイアのその忠告に、温厚など捨てて殴りかかってしまおうかと考えていた朝陽は気勢を削がれた。


「……ふ、手の内が露見している身内とやりあうのは厄介なものだね」

「何故だフリーデンベルグ卿! 王の忠臣であるあなたが何故こんな事を……!」

「王の忠臣か……」


 自虐的な、あるいは認識の誤りを嘲笑うかのように、フリーデンベルグは皮肉げに笑った。


「私こそがソイル山脈で行われている非道の糸を引いている、と言ってもそう思うかい?」

「な――!?」

「順を追って説明しよう。まずは君が勇者であると証明する為に、その剣に触れたままこう言ってみてくれないかい? ――聖剣よ、偽りの姿を解き、勇者の前に真の姿を現したまえ」


 従わず、フレイアは無言でフリーデンベルグを睨みつけていた。


「……まぁいい、本題に入ろう」


 フリーデンベルグは要求を拒否された事を気にした様子もなくそう口火を切る。


「ノーラ教の先代姫巫女が行った【予言】に、世界の終焉を予見したものがある。人心を惑わす危険性があるとされて民衆には秘匿されている情報だが、女の勇者が振るう聖剣から放たれた炎によって、世界は一夜にして焼き尽くされてしまうと定められているんだ」


 予言。

 馴染みがなく信憑性の薄い胡散臭い概念だが、この場合に重要なのはそこじゃないと朝陽は判断する。

 大事なのはフリーデンベルグが本気でそれを信じているのだろうというところだ。

 狂信的な宗教家に何を言ったところで耳に入れるとも思えず、どう口を開こうか迷う。フリーデンベルグが語る内容の信憑性の有無など度外視で話を進めた方が良さそうだ。明らかな妄言を言っていたらフレイアが割り込んでくれるだろう。心理的に言い出せない可能性も考慮して時々顔色を窺った方がいいだろう。


「……世界終末の予言がある。それはわかりました。でも、だからなんだって言うんです? フレイア様がそれを行うと?」

「知っているだろうが歴代の勇者に女は居ない。ラズヴェルナ卿が初めてなのだ。女で、扱うのも炎。予言が捏造されたものでもない限り、いずれ世界を焼き尽くす猛火の種なのは間違いないだろう。だからそうなる前に、この世から除かねばならない。その目的を実現する戦力を求めて、私は異種交配の研究という禁忌の領域に踏み入った」


 この世界の常識に疎く、朝陽は話についていきにくかった。だがそれでもフリーデンベルグの話す内容には根本的に解せない箇所があった。


「ちょっと待って下さい。勇者には【不死の加護】がある。聖剣を装備すれば【勝利の約束】に変換される。そんな勇者を除くって、どうやって……?」


 朝陽はあの三人との会話で得た勇者の知識を思い返しながらフリーデンベルグとの会話に臨む。

【不死の加護】。絶対に死なない力。

【勝利の約束】。必ず勝利を掴み取れる力。

【運命の意図】。勇者と聖剣が何度でも必ず巡り合う力。

 こんな優れた能力を持つ絶対無敵に思える勇者を、どうやって倒すというのか。


「いい質問だ。確かに、必勝の勇者を力で滅ぼすのは不可能に思える。だが、そもそも【勝利の約束】とは如何なる能力なのか。そこを突き詰め、熟慮すれば自ずと解答は導き出される」


 絶対勝利能力の攻略法。そんなものあるのだろうか。


「【勝利の約束】は、勇者が思い描く勝利の形を現実にする。故に既存の運命操作能力と食い違わない限り、勇者が思う通りに現実の方がなぞられる。そうであるならば、思い描く勝利の形をこちらで操作してやればいい。――即ち、自身の死こそが勝利なのだと思わせるんだ」

「…………!!」


 勝利という言葉の解釈。観念の改変。フリーデンベルグはそこに活路を見出した。

 この人は、本気で考えている。


「……あなたの話を要約すると、勇者を殺せるのは世界にただ一人勇者だけ。勇者を精神的に追い詰めて自殺へと導く事が救世の手段だとあなたは考えているんですね」

「いかにも」


 フリーデンベルグの瞳は揺るがない。


「その為に異種交配の研究に着手した。彼女の母親であるシア殿は前回の魔王を討滅した功労者であり、実力者であり、英雄だ。その実力は計り知れない。殺してラズヴェルナ卿を絶望させるには、戦力がいくらあっても足りないと計算するに越した事はない。毒殺という手もあるが……初手で失敗すれば警戒され、下手を打てばこちらの身元がばれる危険がある。そうなれば、私など一捻りといったところだろう」


 冷静で慎重な計画。自惚れもない。


「それを抜きにしても、絶対勝利能力を保持する勇者と敵対するんだ。手勢は幾らあっても十全にはならない。だから貪欲に戦力を求めた。本来ならば叶わぬ大望を遂げる為に、ね」


 世界を救う為に無辜の少女を自殺に追い込もうとする。残忍な発想だった。


「じゃあ、あなたが俺にフレイアの力になってくれって言ったのも……」


 不敵な目でフリーデンベルグは笑う。


「――そうだ。君にも一役買って貰う。私の目的は勇者の抹殺。その為の戦力増強。そして、増強した戦力によって本人にではなくその周囲に危害を加える事。関わった相手が不幸になると実感させてラズヴェルナ卿の良心の呵責を誘発する。家族、恋人、友人はもちろん、果ては知人や一会の相手でさえも拷問の末に殺し、それが耳に入るように情報を操作して――全て講じて心に圧迫をかける予定だった」

「…………ッ」


 フレイアの呼吸が戦慄く。


「しかし、彼女は交友関係が非常に乏しい。まぁ、そうなるように私が裏から手を回していた部分もあるんだけどね。彼女に負担を強いる軍になるよう働きかけ、悪名が絶えぬように誹謗中傷を流して孤立させ、特定少数への依存度を上げようと試みていたのだが……いささか加減を間違えてしまったのかな。人の心は難しい」


 底知れないフリーデンベルグの悪意に晒され、フレイアは小さな体を縮込ませる。


「人々から好まれる善性を有しているはずが、予定外に他者との友好が皆無になってしまったのには悩まされていた。私自身が懇意になろうと努めてみた事はあるが、反応は希薄で心を開く様子は欠片も見せなかったな。……そんな時なんだ、君が現れてくれたのは」


 フリーデンベルグと視線が絡み、朝陽は気分が悪くなる。


「奇妙だったよ。他者を拒絶しているはずの彼女がどうして君が隣に居る事を許容して言葉を交わしているのか、それがわからなかった。今でも不思議だ。まぁ、そんなのは私の計画にはどうでも良い事ではあるけどね。理由がなんにせよ、私にとって好都合であればいいから。君は彼女の大切な存在に成り得るように思えたよ。どうやらずいぶん関係を深めて、かけがえのない存在になってくれたようだね。ありがとう。そして、おめでとう」


 嬉しそうな顔をしたフリーデンベルグに祝われる。


「数少ない大事な人を奪われる悲しみは、少女を死に追いやるにはこの上ない材料の一つだろう。君の出現は、私の計画に欠いていた要素をいくらか満たしてくれた。その子の力になってあげて欲しいと頼んだのは、それ故だ」


 不意打ちで攻撃してきたのは、その一環だったという事だ。

 フリーデンベルグはわざと殺さずに朝陽への襲撃を繰り返す。【割に合わない取引ノワール】を発動しなければ打開できない状況にして徐々に寿命を削る。そうすればフレイアはそれを「自分のせいだ」と定義して罪悪感を募らせる。死期が近づいて心に余裕がなくなれば、怖れから不和を起こして朝陽は辛辣な事をフレイアに言ってしまうかもしれない。


「朝陽。これは嘘偽りない賛辞だが、君はとても気立ての良い人間だと見受けられるよ。きっと彼女の抱える過去と現状に同情と共感を示し、些細な口約束も遵守するのだろう。そう確信させてくれる程に、君の瞳はまっすぐだ。たぶん、これらの真実を知ってなお……いや、むしろより一層、どう守り抜いて見せるか思慮を巡らせているんだろうな。わかるよ、君の眼は雄弁だからね」


 フリーデンベルグはこちらへの好意を感じるほど柔和な笑みを浮かべる。慇懃無礼。便利な奴だと侮られているのだろう。

 フリーデンベルグが今度はフレイアを見る。


「けれど残念だよ。このいたいけな少女、朝陽の人生は無惨にも切り裂かれるんだ。別の出会い方をしていれば良き隣人となれていたはずなのに。平穏とはいかないかもしれないが、ごく平凡な生涯を送れただろう。惜しむらくは彼女が勇者と浅からぬ接点を持ってしまったこと。そのせいで彼女の未来は闇に閉ざされてしまうのだ。――そう、君のせいで」


 フリーデンベルグは親の仇でも見るような冷ややかな目を向けて、フレイアにそう告げる。


「既に二度、朝陽は私に寿命を削られてしまった。これからも似たような事は起こるよ。貴殿が生きている限り確実に。私以外にも同じ事を考える人間はこれから何度も現れるだろうからね」


 周到に、フレイアの未来を呪う囁きをする。

 フレイアには既に呪いの指輪の事は話してあるので、会話に付いて来れていないという事はないだろう。


「これが、私の計画の全貌だよ。私は栄誉なんていらない。法を破った罪人としてこの場で処断されても、墓さえなく亡きがらを打ち捨てられても、地獄に堕ちたって構わないんだ。だからどうか、民を、家族を、彼女を愛する心があるのなら……」


 ここまでの言葉が浸透するのを待つようにフリーデンベルグは一度台詞を切って、


「忌まわしき女勇者にはどうか――早々に、自害して頂きたいんだ」


 そう、訴えるように言う。

 動揺を色濃く顔に滲ませ蒼白となったフレイアは、フリーデンベルグの耳を覆いたくなるような要求に返答する気配を見せなかった。

 朝陽は最後の言葉でようやくフリーデンベルグの意図を全て見抜けたような気がした。

 わざわざこんな懇切丁寧に計画を明かしたのは親切でも自慢でもなく、自供という形式を取った恫喝だったのだ。滅びの因子は早く死んでくれないかと、フリーデンベルグはフレイアへ遠回しにずっとそう言っていたのだろう。

 フリーデンベルグの煮詰まった敵意をぶつけられ、フレイアは怯えたように顔を伏せた。

 朝陽は両者の間に割って入る。少女を穿たんとする、フリーデンベルグの射殺すような眼力を遮ってフレイアを庇う。

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