悪魔憑きと鋼鉄、あるいは人間ミサイル

六亜カロカ

本編


「この戦争、なんか変ですよね」


 爆風で崩れ落ちた塀の中を、兵士たちが進んでいく。廊下には巻き込まれて死んだと思われる研究員たちの死体が積まれていた。奇襲は上手く行き、この研究機関の機能は停止したことが確認できる。


「聞いてます? 隊長」

「何だ急に。私語は慎め。作戦中だ」

「いーじゃないですか。生きてる人なんていませんよ。……ここ、外にミサイルありましたけど。……あれ、最近うちの基地を吹っ飛ばしてくれたあのやばいミサイルですよね」

「……ああ、おそらくな」


 研究員の死体を避け、雑なクリアリングを行いながら進む兵士を目で嗜めながら、上官は答えた。


「ってことはここ、国の防衛の要じゃないですか。それが……言っちゃ悪いですけど、爆撃一撃でパァになる。こんな程度の設備しか用意できない小国との戦争に、うちの国が何年も苦戦してるの、変ですよ」

「それを調べに来たのだろう。祖国の揺るぎない勝利のために」

「……納得いかない……」


 部下はそう言いながら、ぐらついていたコンクリートの壁を蹴飛ばした。がしゃん、と大きな音を立てて通路の向こう側に壁が倒れると、振動で天井からぱらぱらと礫が散る。それが止むのを待ち中を覗き込んだ部下は、驚いたように飛び退いた。


「隊長……人がいます」

「……何だと?」


 壁の奥は個室になっており、中では2人の少年少女が鎖に繋がれていた。それだけではない。目も耳も口も塞がれ、ともすれば建物が爆破されたことに気付いていない可能性すらあった。

 青年は10代後半ほど、少女に至ってはまだ10歳に満たないような幼さであり、少女の方は壁を蹴り飛ばされた衝撃に怯えているのか、体を起こしては周囲を探っている。


「……悪趣味っすね、人体実験でもしてたんでしょうか」

「……他にも生存者が居ないか探すぞ。ひとまずこの2人は捕虜として連れていく。夜が明け次第、本部に連絡だ」


──────

──────


「……おーい、起きてるかい」


 兵士たちによって連れ去られた2人は前線基地内の独房に入れられていた。人道的側面から目や耳、口の拘束は解かれ、会話はできる状態となっている。手錠は変わらずあるものの、青年は独房内である程度リラックスし、くつろいでいるようだった。対照的に少女は小さく膝を抱えて俯いている。


「戦時中なのに国外旅行のプレゼントどころか拘束まで外してくれて。これじゃ機関にいた時よりよっぽど……。どっちが捕虜扱いか分からないよね、そう思わない? 君も」


 青年は目の前の少女に話しかけている。正確には、しばらく前に目覚めて以降話しかけ続けている。しかし少女は返事ひとつ返さない。時折瞬きはしているため起きてはいるようだが、夜も深まる時間帯である現在、大した明かりもない独房内では、青年からその様子を窺うことは難しいだろう。


「…………やっぱり人間じゃかったりするのかな。大きめのウサギとか……?」


 参ったなーと言う青年に、少女はようやくぴくりと身体を震わせた。ゆっくりと目線を上げると、手に繋がれた鎖が軽い音を立てる。


「……ウサギ、見たことあるの?」

「…………あっ……え、今、それ聞く? まあ、あるけども」

「ウサギって、どんな?」


 青年は少女の言葉にやや眉を下げながら、ごほんと咳払いをした。


「……ウサギ、ね。僕もそんなに詳しいわけではないけど。……抱えられるくらいの大きさの、毛の生えた動物で、耳が長くて……たまにワンと吠える」

「……本で見たのと違う。ウサギ、吠えるのもいるんだ」

「…………わざとではないんだよね。悪いことしてる気分になるよ。……嘘に決まってるだろう、吠えるなんてのは。君……本当にウサギも犬も見たことないのか」


 少女は目を細める。


「……ない。ずっとずっと、機関にいたから」

「ずっと、ね……いつから?」

「……」

「分からないくらい昔……ってことか。君、大きさから見たところ……10歳くらいだろうけど、数年以上前からあそこに?」


 それに対する返答はなく、しばらくするとすすり泣く声が聞こえてくるようになった。青年は投げ出していた足をあぐらに組み直し、体勢を変える。少女を見つめる視線は少々異質だ。手の付けようのない動物を前に、どうしたものかと考え込んでいるような。


「……気に障ることを言ったかな」

「さっき、言ってた。捕虜……って、何。ここはどこ。……わたし、戦争に、負けたの?」

「負けたわけではない……はず。僕も直近の戦況には詳しくないけども。僕の想像が正しければ……交渉材料にされるために、僕たちは生きて捕らえられてる」


 青年は移送中にこっそり耳栓をずらし、兵士たちの話を断片的に聞き取っていた。彼らが絶賛戦争中の敵国兵であること、青年たちのいた研究機関が爆破されたこと、青年たちはまだ未成年であったため殺されなかったこと。


「まあ、だから僕ら、今すぐ殺されるってことはないはず」

「…………すぐって、いつ。これから、どうなるの」

「さあ。ひとまずは命拾いしたことを喜んでいたらいいんじゃないかな」


 青年がそう言うと、少女は余計に泣いた。鼻をすする音に混じって苦しげな嗚咽も聞こえてくる。


「……君も僕と同じ部屋にいたのなら、境遇は察しがつく。明日“人間ミサイル”に乗せられる予定だったんだろう」

「……お兄さん、も?」

「うん。この国の一等地に落下してやろうと思ってた。それがこんな事になるなんて、運がいいんだか悪いんだか分からないね」


 それきり会話は止み、少女は泣き続けた。青年は寝ようとしていたが、不規則に嗚咽をあげる人間が同じ部屋にいる中で安眠できるほどには神経が太くなかった。1、2時間もすれば我慢の限界に達した。


「……あの、さ。こういうの柄じゃないけど、話聞くよ。どうして泣いてるの、君は」

「…………」

「君が泣いてるとうるさくて寝れないんだ」


 少女は青年の提案にまた体を震わせ、不自由な手で涙を拭う。その度に溢れるそれを何度も拭って、それから少女は目を閉じ、何かを思い出すように体を丸めた。


 少女は「自分について話す」という行為に不慣れだった。だが、この言葉だけはふわりと口をついて出たらしい。


「……わたし、ミサイルになりたかったし、なりたくなかった」


──────

──────


 捕虜2名を車に詰め込んだ後、兵士たちはまた建物に戻っていた。生存者を探すべく様々な部屋を見て回ったが、誰かを拘束していたような部屋はいくつか見つかるものの、もぬけの殻であったり、爆発の影響で死んでしまった跡しか見つからない。

 そんな中、彼らはひとつだけ他と比べて厳重な鍵が掛かっている部屋を見つけた。


「……撃っていいと思いますか」

「電気系統は先の爆破で死んでいるはずだ。構わない。こちらの兵士に気付かれる前に探れるだけ探る」


 上官の許可を得た部下は銃を構えると、鍵を的確に撃ち抜く。銃声が崩れ落ちた施設に乱反射して空に散っていくが、何も変化は起きない。


「上手いものだな」


 部下の勤務態度は常に問題視されていたものの、銃撃の腕だけはピカイチだった。それを鼻にかける様子もなく、部下は開くようになった扉をぷらぷらと動かしてみせる。


「……っす。まあ俺これしかできないんで……入りましょう」


 中は資料室のようで、少し探せばミサイルの設計図等も見つかった。


「……これ、妙じゃないか」

「ミサイルですか? 俺そういうのはちょっと……」

「私も専門ではない。だが、このミサイル、大型なのと……内部に不自然な空洞がある。まるでコックピットだ」


 図面には、先端に詰められた爆薬のすぐ近くに人間が乗り込めそうな空間が示されていた。内部にはいくつかのレバーやモニターがあり、それらはミサイル後部の羽の操縦を可能にするような仕組みにもなっている。

 それを理解した部下は、うへえ、と何かを吐くような真似をして見せた。


「人間ミサイルってことですか、これ」

「……そうだな、謎が解けた。いくら基地や戦艦をステルスしても、あちらのミサイルが当たるのは……中に人がいたから、と」

「……こんなに間近で爆発を浴びれば、文字通り中の人間は骨も残らないでしょうねえ」

「……うむ……問題は、誰を乗せていたのかという話か」

「まさかさっきの子供たちとか……」


 2人が見つけた数々の空き部屋が、ミサイルに詰め込まれる弾薬の入れ物だった可能性があるという事実に、沈黙が降りる。

 捕虜の2人を含め、見つけた数少ない死体はどれも未成年と思われる少年少女ばかりであった。成人や老人も中にはいたが、揃って体格は小柄だったという共通点もある。ミサイルのコックピットに丁度いい大きさ、と言い換えることも出来るだろう。


「……捕虜、とは言ったが。あの2人を返したとしても、弾薬を増やすだけになる可能性があるのか。この、倫理の欠片も無い状況を見れば」

「その前に、これを公にするとか……」

「……それを決めるのは私やお前の仕事ではない。上の指示を仰ぐほかないな。……今は少しでも多く情報を持ち帰るのみだ」


 上官が言葉に詰まったのを見て、部下は別の書棚に目を移した後に頭をがりがりとかいて見せた。

 上官には捕虜にした少女と同じくらいになる娘がいた。


──────

──────


「ミサイルになりたかったし、なりたくなかった?」


 少女の言葉は、青年にとっては矛盾するような内容だった。


「……なるしか、なかった。わたし、ママとパパと、離れ離れにされたから」

「…………捨てられたのか」

「違う! ママもパパも、泣いてた。いっぱい……いっぱい泣いてた。……離れ離れにされてから、ずっと機関にいる。機関ではいっぱい……痛いこと、苦しいこと、怖いこと、された」


 捨てられた、という言葉に少女は激昂した。彼女の地雷を踏んだらしい青年は、息を吐き、うーんと呻く。


「…………それだと、ミサイルにはなりたくなかったんじゃないのかな。攫われて機関に来たと言うなら」

「なりたく、なかった。死ぬの、怖かった。……ママとパパと会う前に死んじゃうなんて、嫌だから。でも……わたしが自由になるのは、戦争に勝った時だって……言われ、て」

「……洗脳されていたんだ」

「せんのう……わかん、ない」


 少女は人間ミサイルの弾丸として囚われていた。コックピット内の操作や、着弾地点の地理について毎日叩き込まれ、それ以外の時間はこの独房よりも劣悪な環境に閉じ込められていた。


「……敵を殺さないと、死ぬ。だからミサイルになりたかった。……なるしかなかった。ならないといけなかった。でもミサイルになったら、わたしは死ぬ。……でも、でも、言うこと聞かないと、……怖い目に遭う、から……」

「とりあえず毎日耐えてたと、そういうことなんだね」


 少女は頷くとも、首を振るともつかない動きで、膝に顔を埋めた。


「……機関の人たち、怖かった。……でも、頑張った。いっぱい人を殺した。死にたくなかったから。あんなふうにぐちゃぐちゃになるの、怖かったから、やられるまえにやった」

「…………」

「わたし、ウサギも犬も見たことない。……人と話したのも、すごく、久しぶり。ママもパパも大好きだけど、もう……声もほとんど覚えてない。でも、わたしの為に、泣いてた。だから早く帰りたくて、こんな……機関の、こと、大嫌いだったけど、頑張ってきた」


 少女の目にはまた涙が浮かぶ。


「でも、みんな死んだの? ほかに捕虜、いないなら」

「すごく隔離されてるってことがなければ、そうだろうね」


 少女は一瞬鋭く息を吸い込み、小さく呟いた。


「……じゃあわたし、これから、ママとパパのところ、か、かえれ、る?」

「…………」


 戦争における捕虜の扱いについては青年も詳しくなかった。青年も少女も兵士ではないから、扱いについては余計に不透明な部分があるだろう。人間ミサイルなどという非人道的な兵器を運用しているような国家なのなら尚更である。

 青年は19歳で、まだ若いものの、戦争における国の倫理のなさについてはよく知っていた。


「あー、……帰れたら何かしたいこととかあるの、君は」

「うー、んと……」


 少女は暗闇の中で、指を折ってやりたい事を数えようとする。しかしその指が折られることはなく、所在なさげに揺れるだけだ。


「……わたし、やりたいこと、ない? 人の殺し方は、いっぱい、知ってるのに」

「ごめん、変なこと聞いたね」

「……なん、で……」


 少女の呼吸は荒くなり、鎖が耳障りな音を立てるのも気にせず、体をがたがたと震わせる。青年には打つ手がないようで、それを見ていることしか出来ない。


「胸の真ん中に、穴、空いたみたいな気持ち。心の根っこが、引っこ抜かれて……これ、なに、すごく……苦しい」

「……苦しいことは、あまり考えない方がいい。ここで考えたって、僕らの腕は手錠に繋がれてるんだから」

「うん……でも……」


 少女は眉を下げ、体を抱えるようにしながら、青年へと一歩擦り寄ってくる。この空間における唯一の話し相手である青年の方向へ。


「……君はまだ幼いんだし、……帰れたら、その時にそれは考えたら? ……これまでの暮らしと比べたら、一般家庭のベッドで寝れるなんてそれだけで幸せなんじゃないのかい。言うだろ、人間には未来があるって」

「…………」

「今できることはさ、多分、それまで死なないことしかないと思うよ。ひとつでも心残りがあるなら、さ」


 月並みなことしか言えないけど、と青年は付け足す。

 少女はまだ震えていたが、呼吸はゆっくりと緩やかさを取り戻した。


「……君はさ、幸せになりたいんだろう。大いに結構。機関の言いなりになって生きてきたってことは、それだけ、何かを学んで身につけることには長けてるってことなんじゃないのかな」

「まなぶ?」

「ああ。……例えばミサイルの操縦もそうだ。あれ、僕でも覚えるの大変だったからね。そんな感じで、……色んなものを見て、学べば……とりあえず、生きてたらどうにかなるよ」

「……ミサイルより、かんたん?」

「それは人によるかな。…………どう、落ち着いたかい? 僕、そろそろ寝ておきたいんだけど」


 青年はそう言って寝る体勢に移行しようとするが、少女は「待って」と引き止めた。


「じゃあ、お兄さんは? お兄さんは、……何かしたいこと、あるの。教えて」

「…………ええ、僕かい? 僕はな……普通に、ミサイルになるつもりだったからな……」


 ふあ、とあくびをしつつ、青年は視線を落とす。

 言葉を濁し、あまり乗り気でない様子だ。本人の言う通り眠いのもあるだろう。


「あ、そういえば。……君、さっきから気になってたんだけど。……その口ぶりだと、ミサイル用の訓練を受ける前から、戦場にいたのかい。ほら、……人を殺す方法、とか言っていたから」

「え……うん。ミサイルになれ、と言われたのは……けっこう最近。その前は別のこと、してた」


 青年は落ちかけていた瞼を見開くと、少女の方をまじまじと見た。


「お兄さん?」

「そうだよね。僕は……人間ミサイルの志願兵だったんだけれど、その募集があったのはつい数週間前の話だ。いや、僕は田舎に住んでいたし、首都とかではもっと前から募集していたのかな、とも一瞬思ったんだけども、少なくとも君みたいに……数年前からずっと訓練を受けてた人がいるなんて話、聞いたことがない」

「……お兄さんは、最近、来たの?」

「うん。募集を見て機関に来た。だから2、3週間くらい前だ。……いや、僕の話はどうでもいい。君……」


 今の今まで半分体を横たえていたのが嘘のように、青年は前のめりになって少女と向かい合った。手首に繋がる鎖が伸びきって硬質な音を立てる。


「君、戦場でどうやって戦ってたんだい。その体で重い銃は持てないだろう」

「……」


 少女はゆっくりと腕を宙に翳した。

 夜も更ける時間帯だ。独房の小窓に月光が差しかかり、その腕と手錠を白く照らす。


「……こんな、感じ」


 その声と共に、掲げられた腕が震える。きめ細かい皮膚が水面のように揺れたかと思えば、月光の下でもわかるほど、艶やかな鈍色へと色を転じ──ばきり、と殻を破るように、手首から鋭いトゲが垂直に伸びた。濡れたように月光を照り返すそれは、人間の皮膚と言うよりは、それを容易く裂く鋼鉄のようであった。

 人体から鋼鉄が生える。そんな芸当を見た青年は、へなへなと壁に再び背を預ける。


「……捕虜同士仲良くするつもりはないと言ったけれど、君に少し興味が出てきた。名前、教えてくれたりするかな」


 青年の問いに少女は首を傾げる。


「名前?」

「うん。ずっと『君』と呼ぶのもどうかなと思って。……もしかして、知らないとか」

「うーん…………スー、かも。そう……ママとパパが、わたしを呼んでた……気がする」

「そう。……僕の名前はエラン。好きに呼んでくれていいよ、スー」


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──────


「……隊長、これ見てください」


 部屋の捜索を続けていた部下が、ある紙束を上官に手渡した。それは人間ミサイルではない、別の“作戦”について書き記された書物だった。紙面には大きく朱で『凍結』とも印字されており、人間ミサイル以前に検討されていたものだとわかる。

 作戦名は、『特異体質の軍事転用』と記してある。


「特異体質?」

「中、ちょっとだけ見てみたんすけど……ちょっと、ミサイルより……馬鹿げてるっていうか……」


 中には何人もの人間のカルテのようなものが綴じられていた。氏名、生年月日、身長体重といった一般情報の他に、『体質』という欄が設置されている。そこには発火能力、皮膚の金属化、腐食能力……などと、おおよそ人類が持ちえないような特徴が書き連ねてあった。

 眉をひそめる上官に、また別の紙束を持った部下が言葉を継ぐ。


「……この国、不定期に……そういう子供が生まれる、とか書いてありますよ。…………そういう子供を国が引き取って、……兵器として運用してた、って」

「引き取る、か」

「ええ。……中には体質を制御出来ず、近親者を殺してしまうような子供もいるらしく。近年だと『悪魔憑き』とか呼ばれて忌み嫌われていたようですね。……ここはそういう子供を矯正する施設でもあった……と」


 上官は話を聞きながら、カルテをぱらぱらとめくった。内容にはだんだんと人体実験じみたものが増えてくる。子供と研究員、双方に死者が出ている様子も記録されていた。


「……それがいつからの話かは分からないが、戦争が始まり、軍事転用……ということになった訳だな」

「……でも凍結されたんだ」

「ここに記述がある。……特異体質も、万能ではなかったということらしい」


 上官は資料を部下にも見せた。

 様々な能力の子供を実戦投入した結果、局所的に戦果をあげた場合もあった──そしてこれが、人間ミサイル戦法が確立する以前に小国が粘っていた理由でもある──が、大局的に見れば戦力としては不足もいいところだったのだ。

 発火能力は人を焼くことは出来ても、空飛ぶ戦闘機には届かず、金属化能力は戦車を両断することは出来ない。それを扱う子供はまだ幼く、複雑な作戦を記憶することが難しいばかりか、感情に囚われた子供を育成する手間、コスト、そして研究員の負担や犠牲。それらを総合的に考慮した結果、実戦投入は諦めたということだ。


「……じゃあ、その子供たちって」

「…………ミサイルに詰め込んで、処分された……か」


 上官が目を落とす資料は、『何人もの研究員が殺された。特異体質者は悪魔憑きではない。正真正銘の悪魔である』という文で締めくくられていた。


「……この戦時下で、我が国の攻撃により……この国は追い詰められていた。研究員も特異体質の子供の育成より、戦闘兵器の開発に従事させるような方針転換があったのだろう。……それでも、特異体質の子供が減るわけではない」

「……」

「……気になるか、子供が」


 上官にそう問われ、部下は逃げるように目線をそらす。


「…………すみません、公私混同っすよね。でも、ちょっと……考えちゃいますよ」


 部下はかつて実の親から捨てられ、スラムの住人として暮らしていた過去がある。社会福祉の発達した大国においては異端の存在であり、日々犯罪を犯して暮らしていた。


「隊長に拾って貰えて、……教育してもらえてなかったら、俺はきっと今頃野垂れ死んでた。……俺は国のためじゃなくて隊長のために戦ってると言っても過言じゃないです」

「…………」

「この国が子供たちを矯正してたのが、福祉のためなのか、元から軍事転用を目指してたのか。それは分からないですけど、戦争の結果、……俺は救われて兵士になった。この子達は……見捨てられ、弾にされる、なんて」

「……はあ。お前も軍人だから、そうでなくてもこの国の子供をこれまでも殺してきただろう」

「……そうっすね〜〜本当にそうだ。すみません、変なこと言いました」


 部下はハハハと笑って見せ、ついで目を伏せた。


「……隊長もこういうこと考える時、あるんですか?」

「何の話だ」

「……奥さんと娘さんのこととか。あっ……す、すみません、聞いちゃいけないことだったら、殴ってください……」


 言葉が尻すぼみになり、殴られるのを待つように頭を差し出す部下を見て、上官は軽く笑ってしまう。


「……私は元より、戦争に正義は無いと思っている。やられる前にやる。それだけだ。それは妻と娘を守ることにも繋がる。……他国の子供と、我が子……比べたら我が子の方が重くなるのは道理。そこで立ち止まっている間に我が子が殺されていたら、悔やんでも悔やみ切れるものではないだろう。……だから私は、祖国の揺るぎない圧勝を願っているし、そのために身を砕いている、つもりだ。……それはそれとして」


 上官は淀みなく言葉を並べる。部下はそれを真剣に聞き入っている様子だったが、上官は勢いよく腕を振りかぶった。部下の頭に拳骨が落ち、部下は悲鳴をあげる。


「えっ、えー! 今の流れで殴られることあります?」

「……今は作戦中だ。私語は慎め。敵に心を乱されるなど言語道断だ」

「す、すみません」

「全く……資料をまとめるぞ。大体には目を通せたはずだ」


 上官は最後に一冊の日誌を掴むと、資料を紐でまとめ、抱えた。

 そのまま2人は車へと戻り、前線基地まで捕虜である青年と少女を連行したのだった。


──────

──────


「……もういいよ、多分行った」


 青年の声で少女は目を開けた。

 機関よりも拘束が緩くはあったが、この独房には数時間おきに兵士が見回りに来ており、足音でそれを察知した青年によって寝たふりを指示されていたのだ。


「なんで寝たふり、するの?」

「下手に刺激したら尋問されるかもしれないだろ。……いや、いずれされるかもしれないけど、できるだけ僕は受けたくない」


 少女はすっかり落ち着いており、しばらく寝たふりをして目を閉じていたせいもあってか、やや眠そうにぼんやりしていた。


「……寝るなら寝たらいいよ。僕も眠いからね」

「……質問、答えて」

「…………はあ、なんの質問?」

「さっきの。……エランは、ここから出たら、何をしたいのか。……なんで、ミサイルになろうと思ったのか」


 先程うやむやにした質問を再度投げかけられ、青年は少女を少し睨んだ。


「話したいことばかりじゃないんだよ、君」

「嫌なの?」

「……別に、……大して面白くもないってだけさ。……僕は、生きるのに向いてないから、死ぬなら……お国のために死んでやろうって、そう思っただけ。だからここから出たらやりたいことは、死ぬこと。なるべく一瞬で。痛いのは嫌だからね」

「…………」


 青年は欠伸をしながら、なんてことのないようにそう言う。黙る少女の気配を感じたのか、言葉を継いだ。


「オキシトシン、ってホルモンがある」

「ホルモン?」

「脳の中にある物質のこと。オキシトシンは愛情を司るとされてる。……これが出ると人は何かを愛おしく思うようにできてる。例えば、母親が子供に乳を与える時に、オキシトシンが出る。母親は子供を愛おしく思う。そして、子供を害する存在にひどく敏感に、攻撃的になる。愛情と排他性は表裏一体ってこと」

「…………」

「人間は、自分に似たものを愛おしく思う。そして僕はそこに馴染めなかったから、自然的に言えば淘汰……死んでしかるべき存在だと思った。だったら野垂れ死ぬよりは国のために死ぬほうが、理にかなってる」


 難しい話だったかな、と付け加える青年に、少女は眉をひそめた。


「……国のために、死にたかった、の?」

「君には理解しにくいと思うよ、国に酷い目に遭わされてたんだから」

「さっき、人間には未来がある、って、言ってた」


 青年は目を細め、言葉を選ぶように沈黙をとる。


「……僕はその『人間』の中には入ってないから、別に矛盾したことを言ってたわけではないよ」

「なんで?」

「……そんなに気になる?」

「うん」


 少女に再三問われ、青年はしばらく黙っていたが、折れたように口を開いた。


「…………昔から……人と動物の区別があんまり付かないんだ。喋ってくれたら人間だと分かるけどね。……こういう性質があると、まあ……色々と面倒で」

「……どういうこと?」

「意味がわからないだろう? それが……僕が人間じゃない理由だよ」


 ずっと飄々としていた青年の声が、一瞬だけ上擦った。それも独房内の静寂がなければ、少女の耳には届かなかったのかもしれない。

 少女はひとつだけ言葉を返す。


「……わたし、動物……見たことないから、……よく分からない」

「…………うん? 見たことない、って……ああ、……」


 青年は腑抜けたような声を上げ、しばらく黙っていたが、だんだんとその顔を笑みの形に崩した。


「…………ああ、そっか。なるほど……ふふ」


 しかし少女の雰囲気は固いまま、真剣そのものであり、それが尚更青年の笑いを助長することとなる。しばらく体を震わせた後、青年は息を切らしながら口を開いた。


「……いや、ごめん。そうだよね。……そんなふうに言われたの初めてだったし、……考えてみたらウサギも見たことないんだから当たり前だ。君、人間しか見たことないんだね」

「……」

「区別がつかないって言い方は微妙だったかな。なんと言えばいいんだろうか。……自分や目の前の存在が『人間』であることに、自信が持てない。みんな動物と大差ないと思う。犬、猫、牛、豚……その並びに、人間がある。僕にとっては。そうなると、僕は他人を人間として扱えない。相当に気を付けないと難しいのさ。ずっと。……この話も難しいか」

「……うん。人間は、人間だから」


 青年は困ったように頭をかく。


「あー、そうだね。ここでさっき目覚めた時。僕……君に話しかけてただろ。あれも、本当に君が人間か分からなかったんだ。喋ってくれたら、まだ分かるんだけども」

「わたし、人間じゃないと……思ってた?」

「まあそう。ちょっと目の前にいるのが生物学的に『人間』かどうかは、確かめておきたかった。……ただ僕にも、僕のことは詳しくはわかってない。今の説明も全部周りから言われたことだ。僕は他人を大切にできないらしい」

「……エランはわたしと話をしてくれる、よ、」


 少女はまだ分かっていないようだったが、青年はそれに曖昧に笑みを返すだけだった。


「……エランが、そうであることで、誰かに……酷いこと、された?」

「うーん、君が思ってるようなことではないかな。……さっきも言ったけど、人間は自分と近しいものに親しみを覚えるし、そうでないものには攻撃的だし、……群れる生き物でもあるから。鳥やシカなんかは、僕が肉のついた二足歩行の動物だとわかればその場を離れるだけだけれども、人間は、僕が自分たちと似た動物だと見るや、『人間』であれと強制してくる。言葉があるから、分かり合えると思ってるんだ。彼らは」


 少女は眉を下げた。少女と青年の歩んできた人生にはあまりにも違いがあり、理解しにくいように感じられたのだろう。青年は言葉を継ごうとして、一度飲み込んでから、低い声で言った。


「……君も、その力は隠しておいた方がいい。……親の元に戻りたいと思うならね」

「力……どうして?」

「……それは異質なものだから。異質な存在が近くにいたら、人間はかならずそれを虐げる。今言った通りさ」


 青年はそれ以上言葉を付け加える気がないようで、「もう寝るから」と言い残すと、横になってしまう。

 独房には青年の静かな寝息だけが流れる。少女はしばらく起きていたが、やがて自然な眠気に誘われて、瞼を閉じた。


──────

──────


 基地に戻ってきた上官と部下は、明かりの付いた待機室で資料の整理をしていた。本部に情報共有をするにあたり、伝える情報としての優先度を決めているのである。作業は夜を徹して行われていた。


「ふあ……隊長。そういえばこれ、まだ読んでませんでしたよね」


 あくびを噛み殺しながら顔を上げた部下の手には、施設から最後に持ち出した日誌があった。椅子にどかりと腰掛けながら、中をぱらぱらと開く。


「日誌か」

「そうみたいですね……この名前、もしかすると施設長のものかもしれません。えーと……」


 ページをめくる度に、部下の表情は険しいものになっていく。


「何か書いてあったか」

「…………いえ、その。……人間ミサイル計画について、少し。……向こうの国、この計画が戦争の最後の砦だったそうで。……施設が潰されたらもう国に後は無いと、……」


 部下がそう言った時、上官のそばにあった無線機器が音を立てた。通話を受けた上官は、二三言話すと絶句して顔色を変える。


「……戦争が終わるそうだ。相手国が、降伏した。……人質がもしいればその解放も求めている、と」

「……な」

「ひとまず、ここにいる軍人を集める。……来い」


 上官はネクタイを強く締め直すと、厳しい顔で待機所を出ていく。部下は日誌をその場に放り出し、慌てて後を追った。


 ──終戦した。


 その伝令は前線基地内に瞬く間に轟き、眠っていた軍人たちは本部からの指令を待つために支度を整えた。

 上官と部下はその後も基地内を早足で進む。


「……あの、隊長」

「何だ」

「向こう、人質が『いれば』解放を求めてるんすよね」

「何が言いたい」


 上官に声をかけた部下は、言いづらそうに視線を逸らした後、思い切ったようにその目を覗き込んだ。


「……終戦、ってことは、機関を落とされたことは向こうに伝わったんでしょうが、捕虜がいることは伝わっていないかもしれない。あれだけ破壊して、死体の数も正確には分からなかったんですから。……そして、まだミサイルや悪魔憑きに関する情報も本部に伝令する前です。……知ってるのは、俺らだけ」

「……お前」

「間違ってるのはわかってます。……敵国の、それも……人間ミサイルの関係者ですから。……でも、俺は……見捨てられません。俺は隊長に救われた。……人に救われた命なんです……、だから」


 あの子たちを逃がしたい。

 ツテのある孤児院なら、戦災孤児として受け入れてくれるかもしれない。たとえあの子たちが悪魔憑きであっても、共生する道はあるはず。


 部下がそう言った瞬間、上官は力の限り部下を殴り飛ばした。腰から崩れ落ちる部下の襟首を掴み、強引に持ち上げる。


「それは国家に対する反逆となることを、理解して言っているのか」

「……っ、分かってます。いや、分かってないかもしれないけど……」

「今なら聞かなかったことにしてやる。発言を訂正しろ」


 上官の目は人を殺めるほどの光を放ち、部下はそれにたじろぐ。しかし歯を食いしばり、絞り出すように言った。


「…………しません。お願いします。……多分、俺、……許可されなかったら、勝手に……やります」


 上官は言葉を返さず、部下を乱雑に床に放ると、ホルスターから拳銃を抜いた。ハンマーを引き起こし、照準を静かに部下に合わせる。部下はきつく目を閉じ、身を固めた。


 ぐわん、と耳を劈くような銃声が室内に響く。


「……たい、ちょう」


 部下の十数センチ隣の床に、弾痕が深々と刻まれていた。

 上官はまだ熱を持つ拳銃をしまうと、部下を立たせる。


「……お前は本当に愚か者だ。私の心配をしている場合なのか? 自分の命の勘定すら出来ないとは、流石に考えていなかった。軍人としての資格が全く足りない」

「…………」

「……よって、今……お前は職務怠慢により私に『撃たれた』。……しばらく部屋で療養していろ。本部からの帰還命令があれば伝える」


 上官はくるりと身を翻すと、その場を去ってしまう。

 部下は緊張からの解放からか目にうっすら涙を溜めながら、「ありがとうございます!」とその背に深深と礼をした。


 2人が話していた場所は独房からほど近い場所だった。

 部下は捕虜の脱走の準備をするべく一度待機所へと戻り、独房内では、青年がうっすらと目を開いてその会話の一部始終を聞いていたのだった。


「……終戦……?」


──────

──────


「スー……起きるんだ」


 銃声にも目覚めなかった少女を青年が起こそうとする。

 何度か声をかけると、少女はむにゃむにゃと辺りを見回しながら、ようやく目覚めた。青年はほっとしたような顔つきで、それでいて何かに急かされるように、努めて優しいような声色で続けた。


「スー……ひとつ提案なんだけれど」

「……なに?」

「2人でここを脱獄しないか」


 唐突な物言いに、少女は首を捻る。


「だつ、ごく?」

「そう。ここから出ること」

「……勝手に出ていいの?」

「勝手にって……出るなら“勝手に”するしかないだろ。……ここは敵国で、僕らは捕虜だ。どんな扱いをされるか分かったものじゃない。“本国に送還されたって”、ミサイルの不発弾である僕らは殺されるのがオチだよ」

「……」

「僕はいいよ、それでも。……でも……」


 青年は若干身を乗り出すように言う。少女は頷こうとして、どこか戸惑っているようだ。

 青年は唇を舐める。


「……“思い出した”んだ。君のこと。外で君みたいな人間のことを聞いたことがある」

「……?」

「僕も実際に見たことある訳じゃないんだけどね。君みたいな、特別な力を使える人間を、外では『悪魔憑き』って呼んでる。都市伝説だと思ってたけど、本当にいたんだ」


 悪魔憑き。少女には聞き馴染みがないのか、反応が薄い。


「聞いたこと無かった?」

「……ない。……悪魔?」

「そう。悪魔。人間じゃなくて、悪魔だ。……僕の育ったところでは、悪魔憑きは『人の血肉を啜る』とか、『人の弱い心に巣食う怪異』だとか、散々に言われて恐れられていた。誰も見たことがないのにね。……他人と違うから、恐れられ、……手に負えないから、国に回収されてたんだろう。君、その力で戦うための訓練を受けてたんだろ?」


 少女はこくりと頷く。


「……君は訓練を受け、その力で人を殺した。そんな力を持つ人間がそばにいたら、他の人間はどう思うと思う」

「…………」

「それも、理解の及ばない、現実にはありえない方法でね」

「……え、と」


 少女は青年から目をそらすように、自らの中の思考から目をそらすように体を傾けた。しかし青年は畳み掛ける。


「……君は親御さんのことを心の拠り所にしてこれまで生きてきた。君は親御さんを愛していた。でもそれは真実かな」

「……」

「人間の頭はよくできていて、ストレスに晒されると、思考が都合よく曲がるんだ。真実かどうかはこの際どうでもいい。君の場合は特にそうだったと思う。あんな場所に長年閉じ込められて、ストレスを受けていたら、君を壊さないための『希望』は、肥大化していく。具体的なイメージはひとつも無いのに、君は……機関から出られたら親御さんと幸せな生活が送れると思っていた。それが地獄を耐える唯一の希望だったから」

「…………ん、う」

「事実君は外に出たらやりたいことをひとつも挙げられなかった。知らないから。痛めつけられた記憶しかない君には、やりたいことなんて存在しなくて当たり前だよ。……でも君はそれから目を逸らして、親御さんと過ごすことを夢見て耐えてきたんだろう。……君は本当に親御さんのことが、好きと言える? 今この場において。もし君が今ここを脱獄して、もうミサイルにならなくてもいい。自由を手に入れられるとなった時。君は親御さんの元に帰る?」


 少女の額にうっすらと汗が浮く。指が細かく動くのに合わせ、鎖が微かに軋んだ。


「……帰り、たい。わたしの……気持ちは、分からなくて、も、……これから学べる、って、……エランが」

「今、何か考えただろう。……親御さんの顔、かな。泣いていた顔?」

「……それしか、しら、ない」

「うん。……その泣いてる顔って、本当に、君と離れられて辛いと思っていた顔なのかな。……悪魔憑きである君との、別れの場面でさ」

「……え」

「本当に悪魔憑きと離れるのが辛い親が沢山いたら、悪魔憑きの情報がこんなに秘匿されていたのはおかしいと思わないかい。……国に我が子を取られた、と抗議する親を、僕は見た事がない。戦時下で情報統制が敷かれているのは当然あっても、……悪魔憑きの噂は今に始まったことじゃない。少なくとも僕が物心着いた頃には、世間の大人は悪魔憑きの名を借り、子供を怖がらせて躾をしていたものだよ。ねえスー……本当に、君の親御さんは君を愛してたと思う? 君が憎くて怖くて……泣いていたんじゃないか? 君はそれでも帰りたい?」


 少女はその問いに答えることが出来ない。

 口をぱくぱくと開け閉めするが、出てくるのは苦しみに満ちた呻き声だけだ。


「……っ、それで、も、かえり……たい」

「どうして? それが……君にとっての『幸せ』とか『自由』の象徴だから?」

「わかん、ない……」


 少女はいやいやと首を振り、大粒の涙をこぼした。青年は小窓をちらりと見上げる。空はわずかに白み始めていて、夜明けが近い事が察された。


「……分からない、それは当たり前だよ。君は何も知らないんだから。この戦争の中で、君の親御さんがまだ生きてるのかどうかさえ、ね。……でもね、スー……君の中には一つだけ、確かな気持ちがあるはずだ」

「……確かな、気持ち?」

「機関が憎いという気持ち、だよ。君のその『幸せ』や『自由』は、機関が作り出した幻だ。君は機関から受けた仕打ちに耐えかねて、家族という希望を脳内で作り出した。……機関は君に負の記憶を与えただけではなくて、正の記憶をも歪めたんだ。……だから、君が本当に家族の元に帰るべきなのかどうか。それは……君が機関を“乗り越えた”時に初めて分かると思う」

「乗り越える、って」

「……“機関を潰す”んだ。君に非道いことをした研究員たちを殺す。そうして初めて、君は機関という呪縛から逃れて、自由に物事を考えられるようになる。僕たちが捕虜として捕らえられているから、機関には大国の手がもう回っているんだろうけど、1人も生き残りが居ないなんてことはないはずだ。こういうのは形式が大事だ。君が“乗り越えた”と思えることが、何より大事」


 涙を流す少女に、青年は手錠のかかった手首を差し出した。


「僕は機械工をしてたんだ。だから、この手錠くらいなら開けられるよ。僕と君、力を合わせれば絶対にここを出られる。スー……君の体の一部を、細くすることは出来るかい。針金くらい。それを僕に貸してほしい」


 青年の論は悪魔の証明にも等しかった。

 知らないものを『ある』とも『ない』とも証明することはできない。その論法と、少女の心の揺れを捉え、決まった答えへと誘導するようなやり口を覆すような方法を、少女は持ち合わせていなかった。

 少女は小さく頷いて、手から細い鋼鉄を生み出す。

 青年は素晴らしい手際で自らの手錠を外すと、ついで少女のそれも外した。自由になった手のひらで、青年はそっと少女の肩に触れる。


「ありがとう、スー。……もうじき“見回り”の時間だ。ここに来る兵士はきっと鍵を持ってるだろう。それを殺す。……出来るかい?」


 殺す。少女はその言葉に身を竦ませたが、後には引けない。


「……これが最後なら、やる。殺すのは、得意。……ねえ、エラン」


 怖々と、遠い記憶を手繰るように、少女は青年の手のひらに触れた。


「……わたし、出来るかな、脱獄」

「……うん、きっとね。君ならできるよ」


 されるがままになっていた青年は、やがてやんわりと少女を引き離す。人差し指を口元に当て「静かに」とジェスチャーを送った。

 独房の外を、足音が近付いてくる。やがて、やや着崩れた軍服に身を包んだ兵士が2人の前に現れた。兵士は周囲を気にしながら、口元に手を当て、小声で話しかける。


「……あー、2人とも。内緒なんだけど、今からここを──って、なんで手錠、っ」

「スー、やるんだ」


 青年が短くそう告げると、少女は両腕を鋼鉄化させる。速度は先程の比ではなく、少女の瞳は獲物を狩る動物のように鋭くなる。

 兵士は一瞬驚いたものの、優れた反射神経によってすぐさま拳銃を抜き、発砲する。それは少女の心臓を逸れ左肩を射抜くと、上体が大きく傾いだ。

 しかし少女は、かつて生体兵器であった少女は、怯まない。怯むことが出来ない。傷口を鋼鉄によって塞ぎながら、右腕から伸ばした鋼鉄で兵士の腹部を串刺しにする。

 兵士は衝撃に目を見開き、鋼鉄が勢いよく引き抜かれると、ぐらりと足から力が抜けた。


「……う……っぐ……なんで、……っ、これ、じゃ……」


 兵士は血が吹き出る腹を押えながら、鉄格子にもたれ掛かるように前のめりに倒れ、それでも震える腕でもう一度拳銃を構えようとする。その手のひらに、少女の鋼鉄がぐさりと刺さり、また声にならない悲鳴をあげ、その動きを鈍くして行った。


「……すごい、すごいよ……スー……」


 青年は血がかかる事も構わず、崩れ落ちる兵士の軍服を探って独房の鍵らしきものを手に入れる。外側に手を回しながら鍵を開けると、兵士を押しのけて戸を開けた。

 まだ息がある兵士は「もう戦争は」「悪魔憑き」「隊長」などと口走っていたが、出血多量のため動けない様子だ。青年はその首を躊躇なく踏み潰す。兵士は沈黙した。


「…………傷は大丈夫?」

「ん……大丈夫。こうしてれば、そのうち……治る」


 兵士を一瞥した青年はすぐ少女に目をやる。辺りは依然として暗いものの、少女の左肩には血の赤と鋼鉄の鈍色が入り交じっているのが見て取れた。青年はおそるおそるそれに触れる。その部分には感覚がないのか、少女はきょとんとした顔をするだけだ。


「……そう、不思議なものだね。ここだけ人間じゃないみたいだ」


 青年は数秒それを眺めた後、「行こう」と言った。


──────

──────


 基地内に2発目の銃声が上がり、兵士たちは音の方角である独房付近へと集結した。

 兵士たちが目にしたのは、全身から鋭利な鋼鉄を生やす少女と、その後ろで何者かの血に濡れる青年の姿だ。

 その姿を認めた上官は激昂する。


「……貴様ら……ッ! 殺す……!」


 懐から拳銃を抜くも、少女の動きの方が速かった。鋼鉄は上官の脇腹を抉り、それからも兵士たちの息の根を止めない程度に鋼鉄で傷つけながら、人の波を進んでいく。

 そうすれば怪我人の介抱のためにより多くの兵士の足止めが出来ると知っていたからだ。混乱と銃声が飛び交う前線基地は、もはや無法地帯と化していた。


 少女が屋外に出る頃には、月明かりの下、格納庫から持ち出された戦車すらもが少女を追っていた。その目がたじろぎ、助けを求めるように後ろを振り返る。


「……エラン」

「……はあ、はあ……君、その感じだと戦車とやりあうのは厳しいのかな」


 青年は腕を押さえ、肩で息をしていた。少女の後を遅れずに着いてきたが、大した戦闘訓練も受けていない青年では兵士たちの攻撃を全て躱すことは不可能だったのだ。太い血管を損傷したようで、出血の量がかなり多い。

 青年は少女の視線に、青白い顔でへらりと笑って見せる。


「……言っただろ、僕は死ぬのが目的なんだよ。これも悪くない。……痛いけど刺激的だ」

「……傷、を」

「すぐ死ぬわけじゃない。……それより早く離れよう。増援を呼ばれたら、さすがに撒けない」


 青年は少女の鋼鉄の腕を軽く掴み、前を向かせた。

 その手のひらに線状の傷がつく。少女の鋼鉄は青年だろうと構わず傷をつけた。


 背後で戦車や狙撃銃の砲撃音が聞こえ出し、2人は祖国に向かってまた走り出した。行く手を阻む兵士を斬り、貫き、穿ち、躱し、また斬り、貫き、穿ち……

 少女の動きはまさに獅子奮迅と言った様子で、歩兵戦なら負けなしという悪魔憑きの評価に誇張がないことが分かる。

 空がいよいよ白み、少女や青年の姿が段々と明らかになってくる。


「……エラン! ……どっちに行ったら、機関に行ける?」


 少女は雪のように白い髪と、春の青空のような水色の瞳を持っていた。日に焼けたことなど、外に出して貰えたことなどないのだろうその四肢は白く──現在は無骨な鈍色に覆われ、兵士たちの返り血がそれを紅に塗りつぶしている。

 人の血肉を啜る悪魔憑き、そのものの姿だった。


「そう古くない車輪の跡がある。僕らを乗せてた車はここを通ってたんだろう。……ここを真っ直ぐだ」


 それに答える青年は、口ぶりや態度と裏腹にかなり線の細い、小柄な体躯をしていた。黒い髪は無造作に切りそろえられ、地面を見つめる瞳も同様に、夜のような黒色をしている。

 一発の銃声が貫き、青年の体にまた新たな穴が空いた。


「エラン!」

「……う、大丈夫……じゃ、ないかも」


 血の塊を吐き、青年はその場に蹲ってしまう。少女はその体に手を当て、鋼鉄で簡易的な止血作業を行おうとしていた。青年は首を振り、それを止める。


「……僕はいい。僕には戦う力とか、ないし。……兵士たちも大分周りを囲ってる。君一人で行ってくれ」

「でもっ……2人で脱獄するって……言った」

「…………もう、したよ。あとは君が行きたいところに行けばいい。僕の言ったことも忘れて」


 また新たな銃声がして、少女の数センチ脇を掠めていく。


「僕と君は友達でもなんでもない。さあ……行くんだ。幸せになるんだろ。…………“こんなこと”しといて、勝手すぎる物言いなのは分かるけど。君一人なら、可能性がある」


 青年はもう息をするので精一杯のようで、それ以上は何も言わなかった。少女は1歩、2歩と後ずさってから、くるりと青年に背を向け、走り去ろうと前を向く。


 その時、地平線から太陽が顔を出した。


 人間の活動開始を告げる灼熱の光源が山々を照らし、人間の転がる大地を照らし、やがて少女と青年をも照らす。


「あっ、……ああ、あ────」


 少女はその強烈な光に目を焼かれた。


「い、痛い、見えない、何も────っ」


 目線の先にあった祖国の景色が白んで消えていく。少女がいくら手を伸ばしても、その腕すら見ることは叶わないだろう。

 機関で育ち、時たま戦場に駆り出される以外は外に出たことのなかった少女の目は、光に大変弱くなっていた。

 少女は苦痛のあまり体の制御を失い、体から鋼鉄を縦横無尽に生やすと、蛇のように地面をのたうち、暴れ回った。


「スー……ごめん、ごめんね……」


 的の大きくなった少女を銃弾が逃すはずもなく、鋼鉄の体に次々と穴が空いていく。ヒビが入り折れた“鋼鉄の触手”とも呼ぶべきものは、きらきらと金属片を散らしながら地面へと落ち、突き刺さる。その断端からまた新たな鋼鉄が生まれる。

 無限にも思える崩壊と再生を繰り返す少女を、青年はずっとそばで見ていた。血を失い、こちらも霞んでいるであろう目を目一杯に見開き、口からこぼれたのはたった一言。


「……綺麗だ」


 口や腕や腹、色んなところから血が吹き出るのも構わず、青年は恍惚とした目で少女をただ見続ける。


「綺麗だ、スー……君の、……人間じゃないところが。君の鋼鉄の体が。人間の血に染まり、人間を血で染めることしかできない。……それでいて血の通っていないその体が。燃やしても炭にならない、無機物のその体が。……綺麗だ」


 青年はそう涙すら流しながら、ゆっくりと目を閉じた。


 少女は依然として暴れていたが、徐々にその勢いは弱まっていく。体に空いた穴から赤色が滲み始め、修復が追いつかなくなり、……やがて、地面に力なく倒れる。


──────

──────


「目を開けろ」


 青年と少女が沈黙した後、上官は2人の元に赴いていた。

 少女に負わされた傷の処置もそこそこに、捕虜として捉えていたはずの『大罪人』を見下ろす。


 青年も少女も血の気はなく、死んでいるように思われた。少女の方はもはや人間かも怪しくなるほど、全身が鋼鉄で変形している。

 上官が目を向けたのは青年の方だ。その体からはまだ血が流れていた。

 それを蹴り飛ばすと、青年は苦しそうに咳をして、うっすらと目を開ける。黒い目を緩慢に動かし、上官の姿を認めると、皮肉げに笑った。


「……死ね、なかった?」

「…………ッ、貴様、よくも……よくも、モンド伍長を……ッ」


 上官はもう一度蹴ろうとするのをすんでのところで堪え、震える声で尋ねる。


「何故、このような事をした。……あまりにも、あんまりだ。……もう戦争は終わった。……貴様らはモンド伍長の……否、私の、甘さによって、我が国の孤児院に送られることになっていた。……それが、それが、こんな」

「知ってましたよ。あの話、聞こえてた……んで」

「ならどうして!」

「普通に……敵国の孤児院に行くの……嫌ですよ。……でも、そう、だな……そう、僕が、人間じゃないから、だ」


 青年の目は虚ろで、話すと言うよりは、言葉が漏れだしていると言った様子だった。上官はその頭に向かって拳銃の照準を合わせる。


「僕は人間が嫌いだった。……その代わりに、無機物のことを、愛するような……どうしようもない、存在、だった。だから彼女は、僕の運命だと思った。……孤児院に、入れられて、また……生き地獄の日々に、戻るくらいなら。……戦場で、彼女が、無機物として、武器として、舞うところを見たかった。……見たくなって、しまった」


 上官の顔が戦慄に染まる。


「……貴様」

「……悪いなあ、とは、思ってる。スーは……僕と違って『人間』……だから、多分、孤児院でも……上手くやれた。僕も、彼女が生きること、を……止めたいわけじゃなかった。でも、でも……本能、って……抑えられないん、です、ね。……どうしても、やりたいこと、って……あるんですね。その機会を手に入れた時、僕は……」


 上官は強く強く歯を食いしばった。

 青年の台詞は、奇しくも部下の言葉と似ていた。


「悪魔め」


 そう一言漏らし、青年の口の端が上がった瞬間、……上官は青年の頭を撃ち抜いた。

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悪魔憑きと鋼鉄、あるいは人間ミサイル 六亜カロカ @hakareen8

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