第7話 付き合ってきた!

「か、彼氏……!?」

「い、いえ! 間違えました!!! 彼氏になってというか。彼氏のをして欲しいんれす!」


 呂律が怪しくなった黒舘先生は、頰を紅潮させて俺に再度物申した。それまで微酔だった俺の脳内が、一瞬にしてアルコールが蒸発し現実と夢を混在させる。


「ど、どういう……? え、現実?」

「現実です! 戻ってきてください!」

「現実……? 現実、か……。現実なのか」


 自身の言葉を噛み砕いて、理解し落とし込む。どうやら黒舘先生の言った事は本当らしい。焦って現実に引き戻してくれた。

 どうやらこの発言は他の人には聞こえていないようだった。少し離れていただけ助かった、と思いつつ。今一度状況を整理した。


「なんで彼氏の役なんて……?」

「それはちょっと理由があって……」


 しどろもどろになっていた様子だったが、呼吸を整えてゆっくりと話し始めた。

 今の彼氏のことと、先日の会話のことを。たまに滑舌がうまく機能していない時があったが、黙っておくことにした。


 うっすらと涙腺を腫らしながら、一通り話し終えたことで深呼吸をする。酔いもすっかり覚めたようだ。


「なるほど――――」

「……すみません。本当にいきなりのことで」

「いえ、そこは問題ないです。俺は相手すらいないので」


 あはは……、と自虐したのだが、かえって気まずそうな表情を見せてしまっていた。どんだけ真面目な性格なんだか。

 話を聞いた限りその彼氏はとても胸糞の悪い行動をしているようだ。よって、次に会うときに見返してやりたくて、俺に声をかけたらしい。

 そういうことなら全く以て問題ない。


「彼氏のフリをする件。そういうことなら任せてください」

「っ! ほ、ホントですか!?」

「えぇ。そんなヤツ、俺からも一言言ってやりたい気分ですし」

「ありがとうございます……!」


 笑って見せると、ぶわっとまた涙を流す。

 涙目で何度も何度も俺に頭を下げてくる。傍から見たらカツアゲしてるみたいだ。

 少し心苦しく感じて、ハンカチを渡してなだめた。

 まるで同じ学年とは思えない眼前の女性に、少しだけ胸をなでおろす。


「なんか……少し意外でした。黒舘先生は塾の中じゃとてもしっかりした印象だったので」

「そんなことないです! 私だって嫌なものとか苦手なものはありますよ」

「例えば?」

「うーん……。掃除とか…………?」

「ふっ♪」

「!? なんで笑うんですか!」

「いや、すみません……あははっ」


 想定以上に可愛げのある答えに、少し笑ってしまった。長考する姿も珍しいし、ここまで表情がコロコロ変わるとは思ってもみなかった。

 頬を膨らませながら詰め寄ってきたので、焦りはしたが、どうにか落ち着かせる。


 なんで俺の周りは距離感がおかしな人がちらほらいるんだか……。

 こほん、と咳払いを一つ。


「それで、どうしましょうか。その彼氏と会う日時は決まってるんですか?」

「いえ、まだ決まってなくて……。また分かり次第連絡しますね」

「了解です。いつでも連絡してきてください」

「っ。……柳先生って以外と女たらしだったりしますか?」

「えっ」


 爽やかな返しをしたつもりだったのだが…………腹黒く見えてしまったのだろうか。

 冷徹な、とまではいかないが、ジト目でこちらを見てくる黒舘先生。ここ最近は桜庭と会っていたせいで、甘やかし癖がついていたかもしれない。


 冷や汗をかきつつ、誤魔化した。


「そんな気はないんですけど……」

「あんまりそういう事してると、勘違いする人がいるので気を付けた方がいいですよ」

「あはは。そんなことないですよ」

「現に楓は柳先生目当てで来たようなものですし」

「えっ。あれって口実じゃないんですか?」

「はぁ…………」


 大きな溜め息を吐いて、落胆した表情を見せる。

 冗談交じりの戯言だと思っていたのに……。いや、考えてみれば思い当たる節も…………。

 だんだんと表情が崩れていった俺に対して、黒舘先生は呆れ混じりに笑ってみせた。


「まぁこれを機に、もう少し人との接し方に気を付けたほうが良いかもですね。って、私が言えたことじゃないですけど」

「いえいえ。恋人がいるってことは、真っ当なコミュニケーションができてるってことですよ」

「柳先生がそれを言うんですか? 塾の中じゃみんな頼りになりっぱなしなのに」


 ムッとした表情で再度アルコールを入れだすのを横目に、自覚のない行動をどうにか思い出そうとする。

 思い当たる節は…………なくはない。


「真っ当なコミュニケーションって言ったら、それこそ黒舘先生の方が」

「……? 私ですか?」

「えぇ、特に生徒の前とか。冷静で良い大人として接してられている所とかは尊敬しますよ」

「そんなそんな。普通ですよ」

「生徒の為に授業準備念入りにしてる所とか、俺も最初の頃はヘマしたときに助けられても居ましたし。あと、問題解けなくてこっそり聞きに来るところとかも」

「そっ、それは…………」


 少し褒め殺しすぎたろうか。

 最後に冗談交じりにからかうと、みるみる内に頰が紅潮していくのが見て取れた。

 アルコールも混じっているせいだろうが、やはりいつもの様子と違って新鮮だ。普段からこの雰囲気で接しても良いだろうに。


 黒舘先生は俯いた直後に、早足でその場から去り早野さんの元へと向かってしまった。

 早野さんが遠目でこちらを見ては、眉を寄せながらニマニマとしている。


「まるで俺が悪者みたいに……」


 誠実さを語ったのは本心だ。あんな聖人君子と比べて俺は隠れて高校生を家に連れている悪い大人。比べるのもおこがましい。こんなことが知られたら何と言えば良いか。


 黒舘先生が置いていった酒の入ったカップを眺めつつ、嘆息を一つ吐く。

 すると隣に来た洸成がきょとんとした顔でこちらを見る。


「なに、フラレたのお前?」

「逆なんだよ」

「?????」


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