ジコチューな関係
いふの
事故チュー
王宮の西側の回廊は日が差し込んでいて気持ちがいいから、よく訪れる。繊細な彫刻に柔らかな光が当たる様子は圧巻だ。思わずぼうっとしながら歩いていると、何やら怒鳴り声が聞こえた。
「今後一切近づくな!」
「こっちのセリフだ! 失礼させてもらう!」
いきなり隣のドアが開き、避けようと右足を動かす。が、いつもよりヒールが高かったせいか踏み外してしまった。目をぎゅっとつむって衝撃に備える。
「レイチェル!」
聞き覚えのある声とともに、強い力で引き寄せられる感覚がした。
それと同時に、くちびるに違和感が。
何か柔らかいものが当たってしまっているらしい。庇ってくれた方の洋服だろうか。すぐに離れようと、先んず目を開けた。
「ア、ルベルト......?」
無意識に言葉がこぼれる。
そこに広がるのは、見飽きたと言っていいほど見てきた無駄に整った顔。犬猿の仲であるアルベルト・クリソプレーズ。若草色の瞳が、めいいっぱい見開かれている。
なぜ、こいつがここに? そしてなぜこんな体制で。
「レイチェル......!? ......っ、お前たち、そんな関係だったのか! 俺を裏切っていたのか!」
これまた聞き覚えのある声に、穏やかではない内容。見上げると、婚約者であるサルウェン・パールが、真っ白い陶器のような顔を真っ赤にしながら叫んでいた。
「サルウェン様......大変お恥ずかしいところを見せてしまいました。驚いてしまったもので。......あの、裏切りとはなんのことでしょう?それと......アルベルトとなんの口論に?」
いそいでアルベルトから距離を取りつつ、起き上がる。まずはなによりも婚約者が優先だ。それにしても彼がこんなに怒るなんて。
「いまさら取り繕ったところで無駄だ。今僕はこの目で、しっかりと、見させてもらった! この事は家にも報告させてもらう」
「一体何を? あ! あの体制は私がよろけたのをアルベルトが助けようとしただけで、何も深い関係などございません!」
もしやあの体制を見て抱き合ってるとでも勘違いされたのだろうか。普通に考えて支えただけでしょ。まったく、これだから温室育ちのあまちゃんは困る。
「深い関係ではない? では君は、誰とでもキスをするような女だと? そんな女と結婚するなど考えられないな。どいてくれ、父へ報告に行かなければ」
乱暴な力で肩を押されてまたよろけてしまう。そしてまたサッとアルベルトに支えられた私を横目で見て、鼻を鳴らしながら去っていく婚約者様。
え? キス......? 何の話だ。私のくちびるは生まれてこの方誰にも触れさせたことはない。婚約者の貴方でさえも。父へ報告、何を? 結婚を考えられない。なぜ。キス......つまりこれは、不貞行為を疑われている!? まさか抱きしめる→深い関係→キスした! なんて思っているの?
「......おい、レイチェル」
「なに。今ちょっとアンタに構ってる暇ないんだけど?」
「もしかして気づいてないかもしれないと思って、親切心から言ってやろうと思ったのたがな。では失礼する」
そう言って通り過ぎようとする腕を咄嗟に掴む。アルベルトの肩がびくりと上がり、ゆっくりと振り返った。
「何隠してんの。言って」
「......君は目をつぶっていたが、実は抱き寄せた時、くちびるに......君のくちびるに触れてしまった。だからあいつが怒ってたのは、そういうことだ」
「は? 触れた......ってもしかしてアンタの指が? うわ、最悪」
考えただけでもゾッとする! 合えば余計なことしか言わなくて、細かいことをネチネチズケズケ言ってくるアルベルトは私にとって天敵も天敵。そんなやつの指が私の清らかなくちびるに触れたかと思うと両腕を掻きむしりたくなる。
「いや、指ではない。くちびるだ。まあつまり、キスだな」
「.............は? え、つ、つまり、サルウェン様の前で私とアンタがキ、キスしたってこと!?」
「そうだ」
はぁあああ!? 何がそうだ。よ! 結婚前の乙女のくちびる奪っといてなんでそんな平然としてられんの!? おかしいでしょ!
というか、婚約者の前で別の男とキスする女って相当やばいやつじゃん! え、だからあんなに怒ってたってことだよね。それは怒るわ! 嫌すぎる!
「そういうことだから、ま、これを機に婚約破棄でもするといい」
「ほんとに何言ってんの!? する訳ないじゃん!」
「君はしたくなくても、あっちはどうだろうな」
「〜〜っ、アンタねぇ! もしそうなったら訴えさせてもらうから!!」
眉間に皺を寄せながら、私のことなどどうでもいいとばかりにそっぽを向いて言ってきたアルベルトを追い越し、急いで王宮を出る。
気に食わないがたしかに婚約破棄も有り得る事態だ。早急に両親と話をつけなければ。
「遅かったな。レイチェル、座りなさい」
「......はい、お父様。もうお話は伝わっているようですね」
「お前の不貞行為についての話なら、そうだな。パール公爵家から婚約破棄と慰謝料請求を突きつけられた」
「......申し訳ございません。っですが、不貞行為というのはいささか言葉が過ぎるかと。サルウェン様も混乱していらして、昂った気持ちのまま話が進んでしまったのでしょう。話し合いの場をいただければと存じます」
いくらなんでも婚約破棄までが速すぎる。サルウェン様が相当騒ぎ立てたか、あるいは元から破棄しようとしていたか。どちらにせよ、事故だという認識を貰わなければかなり厄介なことになる。
「お前がそう言うなら、そうなんだろうがな。どうにも噂が速い。お前とクリソプレーズ侯爵の長男は前々から一緒にいる姿を見られている。その主張を信じる者は少ないだろう」
「そんなっ! 私とアルベルトは喧嘩をしていただけで、全くそのような関係ではございません! むしろ険悪で......」
「それもカモフラージュだと思われるだろうな。とにかく、今回のことはあちらが完全な被害者。お前は大人しくしていなさい」
退室を促され仕方なく部屋に戻る。どうしよう。タンザナイト家に泥を塗ってしまった。
今はただ、ふかふかの布団に包まれて眠りたかった。
「そういえば、私初めてチューだったんだよなぁ......アルベルトと、か」
翌朝は最悪な目覚めだった。はじめに出てきた言葉からその酷さがよく分かるだろう。
私はこの、タンザナイト公爵家が好きだ。両親も兄も優しくて、とても優秀で。使用人もみんないつも笑顔。何不自由なくここまで育ててもらった。だからこそ、何も出来ない私の唯一出来る
あーあ、あと一年で結婚だったのにな。
「お嬢様、本日は屋敷から出られないほうがよろしいかと」
「......分かってる。でも、何かしてないと落ち着かないの」
「......お気をつけて」
何か言いたげなメイドの視線に気付かないふりをして家を抜け出す。と言っても、私の行ける息抜き場所なんて王宮か王立図書館くらいしかない。王宮は昨日の今日で針のむしろだろうから図書館の隅でコソコソするしかないな。
私の愛読書は詩集だ。良く珍しいと言われる。人気ジャンルは歴史書や冒険譚で、詩集はいつも、図書館の隅っこに追いやられていた。いつもはそれが不満だけど、今日ばかりはありがたい。3階建ての図書館は階が上がるほど薄暗くなっていき、ほとんど人もやってこない。今の私にピッタリだ。3階まで上がって新しい詩集を発掘しようと奥の棚まで進んだ時、小さな囁き声が聞こえた。
「アルにいさま、ほんとにこのお本をかりるの? 絵がなくてかなしいわ」
「ルリーにはこっちを借りたから大丈夫。これはお兄ちゃんが読みたいんだ」
「へ〜。すきな人がよんでたんでしょう? わたしよりもその方のほうがすき?」
「難しいことを言うなぁ。ルリーは誰よりも何よりも大切だけど、レイチェルも同じくらい大切なんだ。選べないよ」
「む〜! アルにいさまいじわる。もうわたしかえっちゃうんだから!」
「あ、ルリー走るな! ......はぁ、レイチェルのくちびる、柔らかかったなぁ」
足音が遠ざかっていく。脳が勝手に止めていた息継ぎが始まって、一気に心臓が動き出した。
あの声を忘れるはずがない。見かける度に喧嘩してきた声だ。私に酷いことばかり言ってきた声だ。大嫌いだった声だ。でも。
「アルベルトが......私を、好き......?」
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