第4話 ダンジョンへ
「そう」
シエルのにべもない拒絶にアニスはそう答えた。そして、
「なら仕方ないわ。わたし、一人で潜るから」
「はあっ?」
おもわず、シエルの口から言葉が漏れた。少女はそのシエルの言葉を鼻で笑った。
(ありえない!)
常識的に考えて初心者がダンジョンへひとり向かうのは自殺行為である。その突飛すぎる発想に、つい口をはさんでしまうシエル。
「そこは普通に、パーティー組めよ」
「いやよ。わたしはそんじょそこらのパーティーとなんて組みたくないわ」
「早く、兄さんを超えるの」
その琥珀色の瞳には重い決意が乗っていた。呆然とするシエル。
そんな彼をおいてアニスはシエルの部屋を去っていった。赤いポニーテールが玄関の向こうへ消えた。その潔さはいっそ、嵐の後の空のようだった。
(なんだよ)
しばらくして、シエルは思った。日は傾きかけている。床には長い、シエルの影が伸びている。たった一つきりの影が。ただ一人生き残っただけの影が。その孤独を責め立てるようにハッキリとした輪郭を描いて。
部屋の外の喧騒が聞こえてくる。楽しそうに、ダンジョンからの帰還を喜ぶ、冒険者たちの声、が。
シエルが最後に仲間たちとダンジョンに潜ったときには、その声すら残らなかったのに。
(なんなんだよ!)
アニスの心がわからない。
けれど、あの目。あの目は本気だった。かつての
(──止めないと)
そうしないと、彼女も死ぬ。かつての仲間のように、死んでしまう。それは──、
(それは、嫌、だ)
ほんのわずかな時間話しただけなのに。かつての仲間の妹というだけなのに。けれど今のシエルにとって、誰かが死んでしまうという
シエルは静かに部屋の奥に向かった。黙りこくってしばらく部屋の奥にある収納を見つめたのち、収納を開けた。その収納には最後にダンジョンに潜り、自分だけ生還した後、その記憶から逃げるように押し込めてしまったダンジョン攻略に必要な道具たちが収められていた。そしてそれは、シエルにとってのかつての仲間たちとの冒険の軌跡だった。整理整頓好きのシエルらしからぬ乱雑な収納。それは無意識に仲間と過ごした日々の苦楽すら思い出したくないという、シエルの複雑に乱れた思いの表れだったのかもしれない。
しかし、シエルはその思い出を振り払うように頭を振ると、猛然と道具を漁り始めた。
(アニスはまだダンジョンに潜ったことが無いようだった。なら、早く追いつけるように装備は軽量でいい)
シエルは思案する。アニスの姿を思い返す。おそらく、彼女の志望する迷宮内での役割は──、
(腰に下げていたのは片手剣。なら、アニスは剣士か。──ケイと同じ、だな)
まず収納から取り出すのは上層の地図。第一層から第四層は
薄れかけた記憶をなぞるようにその地図をなぞる。褪せた記憶はそれだけで鮮明に蘇ってくれた。
(次。)
そしていくつかの道具を手に取る。クロスボウ、気配隠しのローブ、魔法薬などだ。
シエル自身、ダンジョンに潜らなかった三年間は魔法薬製作で生計を立ててきた。死蔵していた魔法薬から使用可能なものを見抜いて、魔法薬用の専用ホルダーに収めていく。
(次。)
服も調剤服からダンジョン用の頑丈な物へ。これがあれば、もし戦闘になっても逃げる程度はできる。
(最後。)
最後に、ギルドの登録証。これがなければ、もし死んだときに身元が分からない。登録証を首に掛ける。自らが死にに行くかもしれないという覚悟。その覚悟は、とうの昔、冒険者になると決めたときから持っている。
一通りの道具は揃った。あとは、ダンジョンに潜るというシエルの決意だけ。けれど、シエルの心は過去と不安に揺れている。
もしも。──もしも、間に合わなかったら、と。
それが脳裏によぎるたび、息が浅くなっていく。頭が重く、考えがまとまらなくなっていく。
だから。だから、その恐怖に追いつかれる前に行動する。玄関の扉を開ける。鍵を閉めて、シエルは街へ駆け出した。それは、アニスを早く救うためか、間に合わなかったもしもからの逃避のためか。
目指すはダンジョン。かつての仲間の妹を止めるため。あの赤髪を血の海に落とさないため。
決意は決まっていなくても、覚悟は決まっていなくても、かまわない。今はただ、失われる命がないように、と。その一心で、シエルはダンジョンに向かって走った。
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