僕が堕落から起き上がるまで

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第1話「ごっこ遊び」

 21時の池袋駅、中央ではない北側の西口。ここはかつて、北口という名前の出入り口だった。この出入り口の付近では多くの居酒屋やガールズバー、コンカフェがあり、そしてそれらの店の客引きをするお兄さんお姉さんがいる。特に、ガールズバーやコンカフェなんかのお姉さんは皆濃いメイクで、人を惹きつける地雷系の可愛い服を着ていた。またほとんどのお姉さんが「40分1000円」と書かれた看板を首にぶら下げ、その中の一部にスマホをいじる人がいた。僕はそんな人々に横目を使って、今日の集合場所に向かう。

 池袋は人の欲望と日常が渦巻く町だ。普段は乗り換えに強い駅と栄えた街だが、夜は居酒屋やラブホテルが密集して男女問わず皆遊びに来る欲望の街である。ホテル街は大人のカップルから親しまれているが、つまり裏を返せば独り身には無縁の街。僕はその独り身に僕も該当していたかったのだが、彼女に呼ばれて仕方なくここへ来ている。過去にも何度か呼ばれたことがあって、こんな場所を待ち合わせ場所にされたことも何度かある。きっと、もうじき着くホテル街のホテルにその人と入っていき、一晩を共にするのだろう。そしてそれは男なら誰でも喜ぶことだろう。だが、本心を言うと、その人とこれからすることが例え何でも僕は興味がない。僕とその人との関係は、周りからすれば納得出来るのかもしれないが、僕からすれば妙に受け入れ難いからだ。

 僕の名前は市原一誠いちはらいっせい。あだ名はアイ、23歳の大学院生だ。

 集合場所のホテル入口にて、集合時間が過ぎているが、僕を呼んだ彼女は未だ来ない。暇だから音楽を聴こうにもイヤホンは忘れたし、電子書籍を読もうにもスマホの電源は切れそうだ。こうもやることがないと、自分の目の前を通る人々を観察せざるを得なくなる。大概が若い男と女の二人組だが、女が地雷系のファッションだったり男がおっさんだったりと、たまに目立つカップルがいる。そんな人々を見ていると、デートは恋人同士でなくてもするのかについて考えずにはいられなかった。


「アイくーん」


 自分のあだ名を呼ぶ声が遠くからした。僕は反射的にその方へ振り向いた。


「呼んどいて遅刻しないでくださいよ」

「ごめんごめん、遅くなっちゃった」


 僕の不満は軽く受け流される。

 彼女は眞城聖花ましろせいか。年齢は24歳。芸術系の大学を卒業し、今はその道の職業に就いている。

 今日の彼女は仕事帰りで、普通のOLが着るようなオフィスカジュアルを着ている。自然の二重が美しく、付けている黒マスクがよく似合っていた。今日の先輩は髪を下ろしていて、片方の横髪を耳にかけていた。今日は平日で仕事だったからかシンプルな服装だが、それでも人を惹きつける美しさがあった。

 この人は僕の高校の先輩で、僕と同じ美術部に所属していた。つまり、この人とは大分前からの知り合い。大学が同じだとか、バイト先で知り合ったとか、そんなよくある出会いとは少しだけ重みが違う出会い方だった。


「なんでここ集合にしたんですか」

「ホテル街集合だと、なんかロマンない?」

「はぁ……」


 馬鹿馬鹿しくて、僕は思わず溜め息を吐く。


「そんな大きな溜め息吐かないでよ。仕事が意外と終わらなくて、ちょっと会社に残ってた」

「あぁ、お疲れ様です」

「ありがとね」


 なら仕方ないかと、僕は心で思った。


「じゃ、行こっか」

 

 眞城先輩は僕と腕を組んでホテルに入っていく。もう何度こんな場所へ来たことか。中へ入ることに躊躇がなくなった先輩から、こういうところにはもう慣れているのが感じられた。受付で鍵を貰う時も、エレベーターで上の階に行く時も、部屋を見つけた時も、部屋の中に入った時も、眞城先輩が動じることは全くなかった。

 しかし、先輩は子供がおもちゃで遊ぼうとする感覚で僕を呼ぶことはない。普通のデートに誘う時なら僕を気分なんかで呼ぶことが大半だろうが、ホテルに誘う時は必ず、仕事や人間関係などで何かあった時だ。だから今のような部屋に二人っきりの時、眞城先輩はあえて服を着崩し、まるで愛情を求めて膝に乗ってくる猫のような、寂しくて活力を失ううさぎのような、そんなオーラを出す。僕は先輩のその姿を目の当たりにすると、全く気が向かなくても見てられなくなる。たとえこの関係に乗り気でなくとも、先輩の彼氏であるがなんとかしなければと、自惚れながらも思ってしまう。自分というのはちょろいものだ。興味がないのに、こんなにもすぐに乗り気になるとは。

 寝る準備を済ませた後、先輩はワイシャツと下着だけを着た状態でベッドに座って、ちょっとした上目遣いでこちらを見ていた。


「何か、あったんですか」


 僕は上着を脱いでから先輩の隣に座って訊く。先輩は俯いて話し始めた。


「今日は、大した理由じゃないんだ。仕事が最近忙しくて、少し疲れちゃっただけ……。ごめんね、アイ君は院生だから忙しいのに、こんな理由で呼び出して」

「……先輩は、高校の時も今も、どんなことでも平気な顔してやりとげるような人でした。けど、僕にはわかります。たまに無理して平気な顔をする時がある」


 先輩は僕のほうへ顔を向ける。欲しかった言葉が思わず聞こえてきたような、少しはっとした表情だった。


「先輩、実は大分疲れてるでしょ」


 僕は先輩をベッドにそっと押し倒し、先輩の服の第三ボタンを開け、露らとなった鎖骨にキスする。肌を少し吸う。作るつもりはなかったのに、案外簡単にキスマークができてしまった。先輩は自ら第三ボタンより下のボタンを開け、更に服装を乱す。僕からは先輩のブラジャーが丸見えで、自分に強い信頼を置いているように感じた。僕がブラジャー越しで先輩の胸を触っても、きっと先輩は抵抗しないどころか、喜んでくれるだろう。

 ただ眞城先輩のために僕は動いている。ただのスキンシップでも、先輩を満足させられるように。

 ゼロ距離で眞城先輩と関わっていると、先輩の心音と呼吸音がよく聞こえる。心音はドクドクと大きく早く鳴るが、呼吸のリズムはゆっくりで一回一回が深く、先輩は深呼吸で落ち着こうとしているようだった。僕は先輩のそんな可愛らしい様子と顔を見て、先輩と交わるように関わる。僕は先輩とこうしていると、あの頃の事を思い出すのだ。

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