11

 密閉されたコックピットの中は、液体のような高密度の静寂に満ちていた。


 シートに身体を沈める。神経接続用のインターフェイスがNISとのリンクを開始する。ピリピリとした電気的な刺激が脊椎を駆け抜けた。頭を貫くように走る、わずかな痛み。神経とアーコスのシステムが同期した際に生ずる独特の疼痛だ。


 次の瞬間、私はアーコスになっていた。指先が巨大な拳を握りしめる感触。両脚が重く深く大地を踏みしめる実感。人間にはあり得ない視野角の端に無数の数値とパラメータが表示され、次々にチェックが走る──エネルギー出力八〇パーセント──武装システムオンライン──それら全てが、システムの正常稼働を示す青い文字に切り替わっていく。周囲を走査するセンサが絶え間なく叩き込んでくる環境情報によって、五感全てが拡張されたような心地よい全能感が肉体わたしを包み込む。


 スロットルを押し込んだ。


 重い駆動音が響き、アーコスが発進する。


 一歩目を踏み出した時の反動は、私が知っているよりもずっと重かった。


 二歩目で慣れた。


 三歩目で跳ぶ。


 スラスター全開。巨大な鋼鉄の塊が、瓦礫を弾き飛ばしながらガレージから躍り出る。


 傾きかけた西日の作る、ビル群の長い影の間にそいつは立っていた──タイプ・【ベヒモス】。巨大建築が歩いているんじゃないかと見紛うほどの、超大型ネミスだ。通常ならば小隊編成十人以上での戦闘が推奨される。けれど他のアーコスは周囲にいない。アーコス部隊の連中は、激戦区であろう中央区域に集中している。今こいつを倒せるのは私だけだ。


 負ける気はしない。シミュレータで再現されたこいつとは、もう数え切れないほど戦っている。


 消耗戦では、要塞のような体構造を持つ向こうに分がある。短期決戦以外の選択肢を思考から除外する。戦術はシンプルに、直接エネルギーコアをぶっ叩く──シミュレータで散々練習してきた戦い方だ。


 【ベヒモス】のセンサーが一斉にこちらを向いた。外殻のプレートが移動し、無数の砲口が私に照準を合わせた。複数の熱源を感知。数十発のミサイルが個々の持つ独立思考制御によって標的を捕捉、燃料の爆ぜる音と共に発射された。けれどそれらが着弾する頃には私はそこにいない。スラスターをフルスロットルで噴かしながら、アーコスは空を切り裂いている。青白い光の帯を大気に刻みつけて上昇し、そのまま突き刺すように【ベヒモス】の頭上へ急降下。その天蓋部に火花を撒き散らしながら着地する。


 排熱動作を行おうと開きかけたプレートを右腕のショットガンで吹っ飛ばし、内部構造に侵入する。


 その先には、青白く光るエネルギーコアがある。


 周囲の温度がバカみたいに高い。熱変性のリスクを示すアラートが鳴り響き、視界の端で赤文字の警告がスクロールしていく。本能がわずかに死の気配を察知し始める。


 でも、死ぬつもりはない。


 左腕兵装に信号を叩き込んだ。パイルバンカーが起動シークエンスに入り、機構内部のプラズマカートリッジが炸裂。尋常じゃないエネルギーによる振動が、左腕にダイレクトに伝わってくる。


 トリガを引いた。


 凄まじい勢いで突き出したタングステン・カーバイドの杭がエネルギーコアの外殻を破り、一瞬で中心部まで到達する。内部のエネルギー粒子が漏出を始める。コアから放出された電磁波の影響で、アーコスの全身からスパークが飛び交う。杭の先で、何かが大きく歪む感触がした。


 離脱。


 次の瞬間、青白い閃光が視界をことごとく塗りつぶした。耳をつんざく轟音と共に周囲の空気が一気に圧縮され、それから強烈な衝撃波が押し寄せた。地面が震え、瓦礫が吹き飛ばされ、子供が振り回す玩具箱の中身みたいに全てが宙を舞った。


 私は爆風を浴びながらも背後へ飛び退き、どうにか爆心地からは退避していた。いくつかのセンサを走らせて周囲を確認。【インテグレーテッド・アリーナ】に大きな損壊はない。想定通りではあるものの、少し安心する。


 爆発の余波が通り過ぎたあとは、嘘みたいな静寂が訪れた。かすかに焦げた匂い。微細なエネルギー粒子がまだ辺りを舞っている。エネルギーコアがあった場所には、高温で溶けかけて赤熱しているネミスの残骸が転がっていた。そこから灰色の煙が墓標のように立ち昇っている。


 ──勝った。


 肺の中の空気を全部吐き出す。心臓が暴れてる。全身から吹き出した汗を、コックピットの冷却システムが片っ端から蒸発させている。


 まだ現実味がない。ここから出たら外はシミュレーションルームなんじゃないかって思う。だけど、いつまで経ってもミッション達成Mission Complete.の通知は表示されなかった。


 鋼鉄の拳を握りしめる。


 嬉しかった。


 アーコスの中じゃなければぴょんぴょん飛び跳ねていたかもしれない。


 私は戦える。ストライダーになれるんだ。


 胸の中が充足感で満たされていた。全身に妙な浮遊感がある。心に風船でも括り付けられているみたいだった。


 これ以上ないくらいに気が緩んでいた。


 それが、致命的な隙になった。


 そいつは【ベヒモス】の残骸の向こう側から恐ろしい加速度で突っ込んできた──爆発時の強烈な熱と電磁波がデコイの役割を果たして、索敵レーダを数秒の間狂わせていた。それ故に気づくのが一瞬遅れた。システムが今更のように敵の接近を検知してアラートを鳴らし始めるがなにもかもが遅い。次の瞬間、砲弾の直撃じみた運動エネルギーに弾き飛ばされて、私は地面に転がっていた。


 何が起きたか分からなかった。丸々一ブロックは吹っ飛んで、地面を無様に転がりながらビルの外壁に引っかかって停止した。無数のエラーダイアログで視界が赤く点滅している。幸いコックピットはジンバル式の姿勢制御システムによって重力方向を維持していたため、三半規管がめちゃくちゃにシェイクされる事態は免れた。機体の重心に妙な感覚、


 見る。


 右腕の肩から先が綺麗に切断されていた。


「──────!」


 頭が一瞬真っ白になる。が、すぐに持ち直す。


 生身の腕に怪我はない。失ったのはアーコスの腕だけだ。


 アーコスの神経リンクの精度がもう少し高ければ、自身の腕の喪失を誤認してパニックになっていたかもしれない。


 大丈夫。私は無事だ。


 武装システムが長大なエラーを吐いている。右腕兵装が丸ごと消えたのだから当たり前だ。フリーになった右手でコンソールを操作してエラーログを一括で削除。以後同様のエラーを全て無視する設定に変更。


 立ち上がる。


 数十メートル離れたところに、そいつはいる。


 タイプ・【マローダー】に似ている。有機的な曲線を描く三本の脚部に、人形に近い二腕の上半身がついたフォーム。大きさはアーコスとほぼ同等で二十メートル前後。速度と火力を兼ね備えた、知力の高い強襲型のネミスだ。シミュレータでも、【ベヒモス】が現れるのと別の戦闘シナリオで戦ったことがある。識別システムもそいつは間違いなく【マローダー】だと言っている。


 けれど、違和感があった。


 例えば【マローダー】は集団で連携するケースが多いため、単独で現れるのがおかしいと指摘することはできる。でもそれはあくまで『傾向』の話だ。単独で現れた戦闘記録だっていくつもある。ネミスたちの本隊は中心区画でアーコス部隊と戦闘中のはずだから、そこからはぐれただけと考えればおかしな話ではない。


 いや、もっと根本的に。


 


 いくら直前まで検知できなかったとはいえ、防御姿勢への移行もできなかった。それどころか、丸々一ブロック分ふっ飛ばされるまで、私は自分になにが起きたかすらも理解できなかったのだ。


 そいつが、こちらに意識を向けるのを感じた。


 いつだったか気まぐれで受講した、ネミスの分類学についての授業を思い出す。奴らは五年から十年の期間を掛けて、徐々にタイプが変遷しているのだそうだ。とはいえ歴の浅い学問だから理論の精度も低い。例えば【スウォーム】や【ベヒモス】なんかはその例外で、ここ十年間で外形はほとんど変化していない。一方で【マローダー】は四年前に発見された準新種だ。元は【ストーカー】と呼ばれるタイプから分岐して変遷したと考えられている。


 その『進化』とも呼べる変遷の過程には、特定の性質が異常に発達した個体が稀に出現する。


 ──【アノマリス特異個体】と呼ぶ。


 ネミスが視界から消えた。


 当て勘で左に跳ぶ。


 直後、背後のビルの外壁が爆散した。姿勢制御用のミニスラスターを噴かしながら素早く回転しそちらを見る。ネミスはコンクリートの外壁に深々と刺さった右腕を引き抜いていた。


 腕の先からは、緩やかにカーブした刃のようなものが伸びていた。その外周を囲うように、青白いプラズマが迸っている。


 ……どうでもいいことを思い出した。アーコスに憧れた子供(主に男児)ならば誰もが一度は通る道に、『プラズマカタナ』と呼ばれる架空の武器がある。


 曰く、そのカタナは実体を持つ物理的な刃を持たない。刀状のフレームの外縁にプラズマを高圧縮したエネルギーフィールドを形成し、それを刃とす。一度ひとたび振るえば数万度の超高温によって接触したあらゆる装甲を溶かし切る究極の近接兵装。


 アーコスを題材にした娯楽作品で主人公が握りがちな兵装である。大抵やつらは極東に生息するニンジャとかいう超能力者の末裔で、高度な技能がなければ扱えないとされるプラズマカタナを曲芸のように振り回す。


 当たり前だが与太話である。アーコスに積載可能なエネルギー供給手段では、実用的な攻撃力と延伸域を持つプラズマの刃を放出し続けることは不可能に近い。仮にできたとしてもコストの関係で量産されることはないだろう。そして量産できない戦術兵器に価値はない。あと、そもそも忍者ニンジャは超能力者ではないし、極東出身の私からすると『プラズマカタナ』という言葉の響きはだいぶ間抜けだ。せめて『プラズマブレード』だろう。


 そんな、多くの男児と一部の技術者の夢の塊みたいな得物を、目の前のそいつは握っていた。


 エネルギー供給の問題は、ネミスだからこそ解決できたのだろう。奴らに特有の器官であるエネルギーコアは、たった数メートルの直径でありながら【ベヒモス】の巨体を動かせるのだ。プラズマの刃くらい簡単に再現できるだろう。当然、ネミスがそんな武器を使うなんて話は聞いたことがない。報告すればアーキニアたちが悔し涙を流すのが容易に想像できる。


 右腕の切断面がやけに綺麗だったことに得心が行った。


 同時に疑問が湧く。


 ──どうして初撃で胸部装甲を狙わなかった?


 もしもプラズマカタナが前評判通りの性能をしているのであれば、それだけで私は致命傷だったはずだ。なのに私は生きている。現に、二撃目は回避することができた。


 思えば奴は、高速移動を連続して行っていない。一度目の攻撃から二度目の攻撃までの間に約十秒のインターバルがあった。今もだ。こちらを伺いつつも、攻撃は仕掛けてこない。


 ──もしかして、動き慣れていない?


 もしもそいつが本当に特異個体の【アノマリス】なのだとして。


 突然変異で高速移動能力とプラズマカタナを手に入れた、分岐変遷前は【マローダー】だった個体だとして。


 感覚器官や各種神経系が【マローダー】からそれほど進化していないのであれば、自身の肉体のスペックに対して制御系がボトルネックスペック不足になっている可能性も十分にある。


 あまりにも自分に都合の良い推論だと思う。もしここが戦術理論の教室だったら、教師に当てられたときの答えとしては最悪の部類だ。教室は失笑の渦だろう。


 ここは戦場だ。


 結果だけを見て判断しろ──少なくとも奴は私を二度も殺しそこねている。それが故意舐めプなら対策のしようもないが、奴が自分の身体に適応しきれていないだけであれば勝機が見える。ならば勝機が見える可能性に賭けベットするのが、この場で最も合理的な判断だ。


 それに──この機体は、開発中の次世代制御システムのテスト用に組まれた機体である。


 


 私は右手をコンソールに伸ばす。神経リンクに掛けられたプロテクトを一つずつ外していく。


 その機能については、あらかじめ散々説明を受けていた。


 起動可能な回数は、一度の出撃で最大二回。一回あたりの継続時間は上限五秒。


 それ以上は脳の認知機能や運動制御に関わる領域に不可逆な損傷を与えるリスクがある。


 ──【テンポラル・シンク】起動。


 次の瞬間、システムが起動し、低く振動するような音が耳の奥で響き始める。周囲の音が遠ざかるような感じがした。世界の色が僅かに褪せる。視界の端でパルスする心拍数モニタの更新頻度がゆっくりになり、自らの呼吸音すら遅く深く感じられる。万物が濃密な粘液の中にあるかのように鈍重に動いている。


 ネミス──【アノマリス】を見る。


 左腕兵装へ信号。パイルバンカーの起動シークエンス開始。


 奴の速度に対応することは最初から諦めていた。その次元の高速機動を可能にするスラスターは、このアーコスには搭載されていない。


 なら、カウンターを狙う。


 杭の先端を持ち上げて構える。


 ネミスが動いた。


 今度は見える。有機的にねじ曲がった脚が地面を蹴り砕く。プラズマカタナを構えて直線的な軌道でこちらへ迫る。


 ほぼ同時にトリガを引いた。


 内部機構で爆発的なエネルギーが解放され、パイルバンカーを震わせる。


 ──ぶち抜け!


 捉えたと、思った。




 暗転。


 


 目が覚める。空一面に燃えるような夕焼けが広がっていた。ずっと高いところを、ちぎれ雲が高速で流れている。いつの間に私は日向ぼっこなんてしていたんだろうか。午後の授業はどうした。いや、そもそも今日は休日なんだっけ────


 違う。


 思い出す。交戦中だ。【アノマリス】との衝突の衝撃で気を失っていたのか。


 起き上がろうとする。その瞬間、頭が破裂したかと思った。頭蓋骨に内側からハンマーで叩かれているみたいな激痛が走る。腹の底に強烈な不快感。胃が不規則に痙攣し、胸の奥から喉にかけて焼けるような痛みが広がる。


 そのまま吐いた。


 【テンポラル・シンク】の反動なのだろう。こういった副作用は事前に聞いていなかった。後で文句を言ってやろうと心に決める。幸いなのは、昨日からなにも食べていなかったことだ。胃液とよだれが垂れる口元を右手で拭い、HUDに羅列されたエラーログに片っ端から目を通す。


 アーコスの左大腿部に甚大なダメージ。


 ……人工筋肉のほとんどが断裂している。もう二足歩行は絶望的だろう。


 視界の端でなにかが動く。


 腹の底に冷たい絶望が広がっていった。


 【アノマリス】だ。


 奴は変わらず三本の脚で立ち、プラズマカタナを悠然と構えている。彼我の距離は五十メートルもない。直感──次の攻撃をまともに受ければ私は死ぬ。


 ──いや。


 奴も無傷ではなかった。腹部から胸部にかけての装甲が大きく抉れている。そこから青白く脈動するエネルギーコアが顔を覗かせていた。考えるまでもなく、パイルバンカーによる損傷だ。


 私は未だ赤熱する杭の先端を地面に突き刺して、身体を起こす。必然的に膝立ちの体勢になる。


 ネミスが、カタナを頭の横に持ち上げ、刃先を上に向けた構えを取る。


 八相の構えHasso-Stanceに似ている。カタナを上段から振り下ろし、私を袈裟掛けに両断にするつもりだ。


 迷わず二度目の【テンポラル・シンク】を起動する。


 世界が鈍重な空気で包まれるのを感じる中、鼻の奥に違和感。嫌にゆっくりと、生温かい血液が垂れてくる。バイタルセンサが血圧の急激な上昇を検知。眼球周辺の毛細血管が破裂して、下瞼から出血。


 限界だった。


 どうあがいても、これが最後だ。


 恐怖を感じている余裕もなかった。


 体調は最悪だ。さっきからミリ秒ごとに頭痛が酷くなっているし、口の中に流れ込んだ血の味が気持ち悪い。体力の限界も近かった。アーコスだって四肢の半分を失っている。それに第一、パイルバンカーのクールダウンはまだ数秒は終わりそうにない。それまでは、仕様上の制約によって杭打ち機は動作しない。こんなのは最早ただの竹槍だ。


 最悪の状況だ。誰がどう見たって私の劣勢。


 息を吐く。それから少し無理をして、唇の端を吊り上げた。


 ──でも、まだ生きてる。


 竹槍にだって使いようはある。


 敵が高速で突っ込んでくるのであれば、その運動エネルギーを利用して杭を突き刺してやる。


 杖代わりにしていた杭を、アスファルトから抜く。


 瞬間、ネミスが跳んだ。馬鹿の一つ覚えみたいな直線軌道で突っ込んでくる。それだけで十分な脅威だったが、もう四度目だ。いい加減、慣れる。


 エネルギーコアを見据えて、パイルバンカーを持つ左腕を突き出した。


 ──今度こそ、捉えた。


 が、急所は逸れた。


 杭の先端はエネルギーコアの表面をわずかに削り、そのまま奴の右胸に突き刺さる。おかげでカタナの軌道も逸れた。高温の刃はアーコスの頭部を真っ二つにかち割った後、コックピットの外殻ギリギリを滑り、そのまま地面に突き刺さる。


 頭部に集中していたセンサ類は軒並み使い物にならなくなっていた。一瞬視界がブラックアウトし、直後に肩部に搭載された予備の視覚センサが接続されてノイズの走る映像が展開する。


 目の前で、エネルギーコアが脈動していた。


 ネミスが自らの肩に刺さったパイルバンカーを抜こうともがいている。


 ──ここで逃したら負ける!


 闇雲だった。私はネミスに突き刺さった杭を支点に力任せに起き上がる。ネミスの体組織が断裂する不快な音が、スローの世界で執拗に耳朶を打つ。そのままネミスを地面に叩きつけて、アスファルトに杭の先端を力任せに突き刺した。


 強烈な破壊音と共に【アノマリス】の身体は地面に縫い付けられる。


 これが、最後のチャンスだった。


 パイルバンカーはこう使うしかなかった。もう一度逃げられれば勝ちの目は残らない。だから奴を地面に繋ぎ止めるための楔にするのがこの場における最適解だった。


 ──これが、最後のチャンスなのに。


 他に兵装はない。右腕と左脚も使い物にならない。右足だけでは、脚部を用いた攻撃も不可能だ。


 ここに来て、攻撃手段が残っていない。


 【テンポラル・シンク】の経過時間が四秒を過ぎようとしている。


 残り一秒。


 頭がまだ破裂していないのが不思議なくらいの激痛だった。


 残り一秒だというのに、視界は徐々に暗くなっていく。


 ──まだ、ダメ、なのに。


 意識が遠くなる。


 ──もう少し、なのに、


 次の瞬間、


 


 オイルと金属粉と焼けた電気の匂いが、肺の奥までいっぱいに詰まっている気がした。




 私はガレージにいた。


「……え?」


 周囲を見渡す。


 いくつもの整備用機材と、無数のコンソールが立ち並んでいる。いく人ものアーキニアがタブレットや工具を手に忙しなく行き来していた。その中にはアシュやシアンも混じっている。しかし、誰一人としてこちらに視線を向ける者はいない。


 そして目の前には、耐静電素材の簡易足場に囲まれたアーコス。


「やっ」


 声が、した。


 それだけで泣きそうだった。


「──お姉ちゃん」


「久しぶり、カレン」


 通路の奥から、姉が歩いてきた。


 知っている姉とは、少し違う。十年前はショートだったけれど、この姉は長く伸ばした髪をポニーテールでまとめていた。顔つきも少し大人びている気がする。もしも姉が死んでいなければ、今頃こんな容姿になっていたのかも知れない。


「……ここは?」


「どこだろーね、あたしにも分かんない」


 姉が、私の隣で立ち止まる。


「それにしても大きくなったね」


「同世代の中では小さい方よ。……同い年の頃のお姉ちゃんよりもちっちゃいし」


「背の高さだけじゃないよ。今は立派にお医者さんの勉強してるんでしょ?」


「医者ってよりも研究者寄りね。義肢の制作に関わってる」


「すっごいじゃん。人の可能性を広げられる、すばらしい技術だよ」


 笑いながら、姉は両手で私の髪をくしゃくしゃに撫でる。


「──でも、ストライダーにはなれなかった」


「それはまぁ、これからじゃない?」


「これから……そんなのあるのかな」


 さっきまでの戦場のことは忘れていない。


 【アノマリス】はまだ死んでいなかった。対してこちらには決定打となる攻撃手段が何一つ残っていない。頼みの【テンポラル・リンク】も、次に使えば今度こそ死んじゃうんじゃないかと思う。


 今はどうにか組み伏せることができているが、この拮抗が崩れた時、私は負ける。


「──だから最期にお姉ちゃんに会えたんじゃ、ないの?」


「さぁね、理由なんて知らない。でも、もしそうだとしたら変な話だよね。普通順番が逆でしょ」


「え?」


「死んだ人には死んでからいくらでも会えるんじゃない? わざわざ死ぬ前に会う必要なんてない気がするな」


「…………」


 そうかもしれない。


 そんな気がしてきた。


「じゃあ、どうして……」


「それは自分で考えて!」


 突き放すようなことを言って笑って、姉は私の頭から手を離した。


「んじゃ、そろそろ行くね」


「……うん」


 待って、という言葉を押し殺す。


 ほとんどなにも話せていない。こうしてここで会えた理由すらよく分かっていない。


 だけど、もう大丈夫だと思った。


 この短い会話でもらえた一生分の勇気が、心臓から血潮とともに動脈を伝って、全身に満ち溢れていた。


 姉はこちらに背を向けて歩き出した。が、数歩ですぐに立ち止まる。


「おっと言い忘れるとこだった。最後にもう一個」


「?」


「やっぱりカッコいいでしょ。パイルバンカー」


「…………そうね」


「『魂』ってのはさ、」


「どんなもんでもぶち抜ける、とんがった形をしているんでしょ」


「ん!」


 姉はこちらに背を向けたまま、頭上高くに拳を振り上げる。


「──ぶち抜いちゃえ。あんたならできるよ」




 次の瞬間、


 私はアーコスの中にいる。戦闘行動中のカレン・カザミに戻っている。左腕に装備したパイルバンカーで【アノマリス】を地面に串刺しにしたその瞬間から、まだ一ピコ秒も経過していない。


 【テンポラル・シンク】の稼働限界まで一秒を切っていた。


 それで十分。


 次の行動は、とっくに決まっている。


 ──『魂』ってのはさ、どんなもんでもぶち抜ける、とんがった形をしてんだよ。


 使い物にならなくなったパイルバンカーをパージ。フリーになった左腕を、グリップから離す。


 ぶち抜くってのは、なにも杭打ち機だけの専売特許じゃない。


 視界の真ん中にエネルギーコアを捉える。青白く脈動するネミスの心臓。その表面には、パイルが掠った際にできた微細な傷がある。


 左の拳を、強く強く強く握りしめる。


 極限状態でリミッターが外れている。筋繊維が断裂していく感触が、引き伸ばされた時間感覚の中で意識に刻み込まれる。二度と左手が使えなくなるんじゃないかと思った。


 だからどうした!


 拳を振り上げたその瞬間、周囲の時間がさらに遅くなったように感じられた。世界がこれから炸裂する一撃に焦点を合わせている。大気の流動が、万物万象のあらゆる運動が、次の瞬間に備えた『溜め』を作るように停止する。


 魂はとんがった形をしているんだ。


 だから、タングステン・カーバイドの杭なんてなくたって、どんなもんでもブチ抜ける。

 

 ブチ抜いてやる!!


 出したことのないような唸り声を上げながら、私は左の拳をコアに振り下ろす。拳は鋼鉄の塊となり、秒速二〇〇メートルを超える速度でエネルギーコアの真ん中を捉える。


 コアの表面に触れた瞬間、宇宙そのものが震えたかのような衝撃が走った。


 外殻は予想していたよりもあっけなく壊れた。


 一瞬の沈黙。


 その後、破壊的なエネルギーが漏れ出す。爆発的な光と熱がコアから溢れ出し、周囲の空間すら歪ませながら砕け散る。爆風に曝されたアーコスのフレームが悲鳴を上げる。


 構うものか!


 ここで止まるような魂だったら、ここまで歩いて来られなかった。


 強い想いはプラズマカートリッジなんて比較にならない推進力となる。


 拳は一本の杭となり、コアの中心部まで深々と突き刺さった。


 それから、全てが真っ白い光に塗りつぶされた。

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